あれから

2018-12-03 09:01:07 | 塾あれこれ
何年も前の仕事上の案内通知が出てきました。

教材会社の研究会案内です。
ありていに言えば教材展示会。
西日本各地の会場予定が書いてあります。

高松・・サンメッセ、 岡山・・コンベックス
福山・・ローズコム、 徳島・・アスティ
などなど

カタカナばかりですね。

広島は「文化センター」・・何かダサイ


サラリーマンのころはもちろん塾の時代でも
時計は必需品でした。

しかしそれも次第に頼らなくなったのは
私と仕事との距離感が変わったからでしょう。
昔をふりかえるとそんな気がします。

仕事を辞めてしまった今では時計はほぼ必要が
ありません。
もちろん家では壁の時計を見てはいますが。

外出する時は時計は持ちません。
とはいえ確認できるに越したことはありません。
JRの駅の時計などはありがたいですね。


最近道を歩いていて気づくことは、町に時計が無い事です。

銀座の和光にはまだあるのかなあ。

あんなにシンボルのようなものでなくても、以前なら
煙草屋を覗けば、果物店の店先にも、時計はありました。
町中に同じ時間が流れていました。当たり前か。

今は皆さんスマホですね。
その方の周りにだけ少し小さめの時間が流れています。
そのかわり、占有


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1 コメント

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和光の時計は、まだありますよ。 (元・山口塾生)
2019-02-02 01:42:46
昭和60年に小4クラスでお世話になった者です。もう43歳になります。
小学校4年生で入塾したものの、小学校5年生の冬休みに広島から横浜に転校し、山口塾ともそれっきりになり、久しぶりに「山口塾」で検索したら井上先生のブログにたどり着きました。
井上先生には、「受験は厳しいものなんだ。他の小学生がやらないことをやるんだから、絶対合格するんだ。やる気がないならやめちまえ!」と檄を飛ばされた覚えがあります。小学生ながら、とても厳しい先生だと感じてて、正直、先生の授業ではいつもビビってました。
そんな中、授業中に「五月雨」の読み方を当てられ、わからないので小声で「ごがつあめ」と答えたのに、「ん?さつきあめ?惜しいな~」と言われたのは、今となってはいい思い出です。笑
狭い教室に子供達がぎゅうぎゅうに詰めて受けてた夏期講習、牡蠣小屋から漂う潮の香り、有孔ボードで囲まれた新館教室‥山口塾が懐かしいです。
その後、お陰さまで転校先の横浜で第一志望の私立中学校に合格し、その後も自分の希望を叶えることができました。
今は私立総合学園の法人本部人事部で管理職として勤務しています。今の自分があるのも、井上先生のお陰だと思ってます。本当にありがとうございました。
塾は閉塾されたようですが、またブログに遊びに来たいと思います。
先生におかれましても、どうぞいつまでもお元気でいらしてください。では。
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