国本武春のCD

2008-06-30 09:20:46 | 塾あれこれ

とても面白い、聞き応えがあるCDです。
『アパラチアン・シャミセン』


まず昔話から先にしてあと武春さんのCD。

小泉文夫という日本の民族音楽研究を発展させた
えらい先生がいらっしゃいました。
ラジオなどで穏やかな感じを受けました。

世界の民族音楽を研究し、メディアを活用して人々に
クラシックやポップスの西洋モノだけが音楽ではなく
世界中に豊かな財産があることを教えて下さった。

惜しくも若死にされましたが今でも私たちの記憶に
強く残る方です。

『世界の民族音楽』というレコード50枚組みだったか
の全集を出されました。
(結構難しいものが多かったけれど)

日本では沖縄の音楽を大変高く評価されていましたね。

台湾の高砂族の合唱も衝撃的でした。

ヨーロッパでもよく知られるもの以外にマイナーでも
沢山の音楽があることを知りました。

彼はまた日本の学校教育が西洋音楽に偏重することに
異議をとなえ、伝統音楽を取り入れるように主張され
ました。
現在はその主張が通ってきたのかなあ。

世界的なエスニック音楽の盛り上がりの中、邦楽の
復権も喜ばしいものがあります。


三味線で今の音楽を、というと津軽三味線の上妻さん
は面白いですね。
初期のCDでも結構幅広い音楽をしています。

同じ三味線ですから国本さんのものも若干カブル面は
あるかもしれません。
でも、あちらは電子音だし。

ブルーグラスを伝統的に演奏しながら楽器に三味線を
加えてある、というか三味線が中心の音楽です。

アコースティックなものだけに音の世界が違えばダメ
なのでしょうがとてもなじんでいます。

バンジョーの代わりを三味線が出来るというのでは
それほど面白くありません。
なるほど三味線もアリ!
という音楽になっていますのでブルーグラスとか
カントリーとか好きな方で未体験の方がいらっしゃい
ましたらお勧めです。


国本武春さんは、そうあの国本武春さん。

若手で唯一人?頑張っている浪曲師です。
語り、三味線を弾き、タレント豊かです。
笑いも多いし。

NHKの演芸番組ではかなり昔から出演していますね。

年齢層の高い客が不思議にノッてるのもいいですな。

しゅーちしん

2008-06-29 17:18:19 | 塾あれこれ
マイクを手に踊り歌っている若者がいます。
レイによってTVの向こう側です。

一人が青いハンカチ?を一生懸命振り回してアピール

腕に巻いていたものらしく、本当はハンカチとは言わ
ないのでしょう。

少し前に書いた「不如帰」関連の文でハンカチに言及
しそのネタの続きを書いていないものですから自然に
目が向いてしまったのでしょう。

(羞恥心)でした。

アイドルの空気はいつの時代も変わりませんね。


このユニット、社会貢献が大です。

羞恥という漢字を読める若者が増えたハズです。
書くのは大人でも怪しいが現時点では若者のほうが
正答率が高いかもしれません。

さらに意味が分ればなお素晴らしい。
その心を持て、とまでは要求しすぎでしょうね。

名前のつけかたが秀逸です。
凝っていてかつインパクトがある。
一ひねりが利いています。
紳介はエライね。


かのキャラクターのモテぶりに異論もあるようです。

(おバカを売り物なんて、世も末だ)
その気持ち、分らなくはありません。

平和ラッパみたいなアホキャラは限定された世界で
認知されていただけですから。

でも、私はあれでいいと思います。
有名になれば良いのです。
悪いことをして金を儲けるより、よほどマシ。

社会に出れば学力テストの点は「なんぼのもん?」
気力、体力、人柄、人脈などが優先します。
次に才能です。
学力はその中の一つにしか過ぎません。

勉強が出来なくて引っ込んでる理由はまったくナシ!

ええ、もちろん出来ないより出来た方がよろしい。
人脈なども作りやすいしね。

でも出来なければ他のことにチャレンジです。

おバカでもスターなら若者に夢が湧きますよね。
平等感が増します。

努力しない夢は実現しませんが、まず夢をもつのが
第一歩。

でも努力しない夢は、どちらかというと妄想。


羞恥心のブームで気になるところをあえて言えば
努力しない人たちが「ど~せ」と居直って日々を
過ごし、そういう気持ちを発散させるだけのアイドル
になってしまうのならば寂しい。

羞恥心の側の責任じゃないけれども。


アイドルってものはもともとそれほど発展的な
存在ではありませんでした。

天知真理ちゃんはあのころ輝いていた。
それだけで良いでしょう?

私は南紗織でしたねえ。

ガラス越にチラと見受けましたがこの世の
ものとは思えませんでした。
絶対に同じ人間じゃありませんよねえ。

「イノさん、確かにあんたとはチガウわ」
「はい」

残念。見たい、エミリー・ウングワレー

2008-06-28 10:33:40 | 塾あれこれ
見逃してしまいました。
大変残念です。
こういうことは取り返しがつかない・・

京都で展覧会をしていたようです。
知らなかったので行けるハズもないのですが、
それでもくやし~。

エミリー・ウングワレーの展覧会が今東京で。

貧乏で東京までは行けません、ああ。

エミリー・ウングワレーはオーストラリアアボリジニ
80歳近くで絵を始め20世紀末に亡くなられています。

現代美術そのものに見える世界が、実はアボリジナル
なものであったという驚き。
美術を学んだ秀才たちと同じ地平にポンっと登場でき
る天才性。
絵を勉強していないのですから。

そんな物語はなくても、造詣は斬新、色も鮮やか。
感動的な世界です。

是非とも自分の目で見ておきたかった。

実際に接しないと自分にとって好きか嫌いかが決まり
ませんからね。
メディアを通した鑑賞では間違うことがあります。


再び丸谷才一の『ゴシップ的日本語論』
ジェイン・ハリソンという古典学者が「芸術と祭祀は
情緒を再現し、再生しようとする点でよく似ている」
と主張したと書かれています。

上記エミリーの絵もアボリジニの世界をそのままに
表現しているようです。
神話も景色も動物も、ありとあらゆる物が平等に混在
しているさまを「見えるとおり」「言いたい通り」に
描いたのでしょう。
それが色の塊り、点のつながりになります。

そこで心を打つのだと思います。

ただ線を引き色を使うのではなくスピリチュアルだか
ら。

きっと本物の前に立つと「ドリーム」が色の向こうに
見えるはずだと思うのです。

いや、残念。

暗い話

2008-06-27 09:45:04 | 塾あれこれ


親友の母は楚々として美しい方であった。
そのうえ明るく優しく、自分の母とよく比べた
ものである。
「オフクロと違うな~」

いつごろだったかそのお母さんが被爆されていたと
聞き驚いたことがある。
まったくそうは思えなかった・・


勤め先には体内被曝の方がおられた。
健康そのものにお見受けしたが、心のどこかに不安を
持っていらっしゃったかもしれない。


私の母は原爆にあわないで済んだ。
広島市内に住んでいたのだが数ヶ月前に尾道へ引っ越
していた。
父が兵隊で朝鮮に行くので父の郷里へ戻ったのである。
少しずれていれば原爆にあい、私は多分この世に生ま
れることはなかった。

叔父(父の弟)は長崎で投下直後の町に入っている。
強い残留放射能を浴びていた。


このように私の小さな世界に接する様々な人間がもつ
それぞれの世界に原爆が強い影を落としている。


広島にかなり以前からある沖縄料理店、
私より年上の大将は友人のように接して下さる。

結婚したときも心から喜んでくださった。

その彼が幼ないころ沖縄戦があった。
山野を逃げたそうである。
重い口から少しだけ伺った。
それ以上は話そうとされない。

私と接する世界には沖縄戦があった。


父がシベリアで生き延びて私が生まれた。


在日韓国人(北朝鮮系かも)の方とよく飲んでいた。
若いころ密航船で行き来した、と聞いた。
酔ったあげく明け方の内緒話である。

私と接する世界には朝鮮戦争もあった。


地下鉄サリンに1時間ずれて助かった身内もいる。

御岳大崩落で土砂深くうずもれた知り合いもいる。

塾の生徒でアメリカンスクール時代の友達がインド
ネシアの大津波で行方不明になった人もいる。


私が無事で生きているのが不思議なほど色々な事が
身近にはある。

ひと事ではないということである。
自分の身の上に同様のことがおきるかもしれない。

水俣も地球温暖化もわが事として考えなければなら
ないのだ。

余りに無力な自分に呆然としながら。

国語も英語も

2008-06-26 14:28:35 | 塾あれこれ
国語か英語か・・いささか古い話題ですね。

二者択一は疑わねばなりません。

丸谷才一は文春文庫『ゴシップ的日本語論』で
教育についてふれ、今の日本語の弱さを嘆きます。

そして、近年の英語か国語かという選択は正しくない
国語も英語も十分に教える必要があると述べます。

もちろん英語が大人になって実用的である事を踏まえ
それだけでなく日本語の勉強にも役立つ、と。

「英語の先生は日本語をよく教えてくれる」

低学年での英語では、日本語への還元は難しいかも
しれませんが、ある程度勉強が進めば日本語理解の
大いなる助けになりますね。

明治以降の多くの文学者が外国語に堪能です。
いやそれ以前だって漢籍は必須でした。

漱石=英語、鴎外=独語、荷風=仏語など
まあ今更ここに書くまでもない常識ですよね。

日本語を磨くに外国語の目が有効である証拠
でしょう。

もちろん日本語の古典などがきちんと入っての
外国語学習です。
日本語の感覚が無くては何も始まりませんから。


文章力とは(内容)(論理)(語感)を総合したもの
であろうと思いますが、日本語ではいまだ論理力が
弱いのではないでしょうか。

外国語を学ぶと論理力が強くなります。
フランスでは「国語」というと論理の勉強だそうです。
ものを考える力を育てるのですね。

国語か英語か、程度の問題意識そのものが論理性に
欠けることを示しているのでした。


高校受験でも小論が大切になってきました。

そこでどんなことが言われていると思われます?

指定字数を守りましょう、字は乱雑に書かないこと、
誤字脱字は減点です、課題文を引用しましょう・・

ここに論理が登場して来ないのです、
情けないとは思われませんか。
これが国語教育、ひいては生徒の国語力の実態を
現しています。

論理といっても難しいことをする必要はありません。
自分の考えをきちんと展開し提示できているか。

小論は具体的な添削指導が不可欠です。

大学受験用に想定文例を集めた参考書などがあり
ますが、百害あって・・かな?

繰り返します。
論理といっても難しいことではありません。

小説書くのも論理
お笑いも論理
仕事のプレゼンも論理

ご家庭でニュースやバラエティに突っ込んで頂くのも
簡便に論理を磨けます。

「じゃ、○○はどーなのヨ」ってね。

私はもっぱらTVへの突込みを楽しみにしています。

黒い雨が見えますか?

2008-06-25 22:14:20 | 塾あれこれ

自分の目玉では自分自身は見えません。
私たちは一生かかってつむぐ自分の小さな世界しか
知らないで死んでゆきます。

鏡には映ります。でも左右が反対。
もう一枚使えば左右は直ります。それでもやはり像。
実物とは違います。
テレビで見るより実物に逢いにいきますよね。


そうはいっても像が実物の複写であると認識できる
能力は人間の得意とするところです。

大脳のオカゲで写真に写っているヘンなオヤジが自分
であると分かります。
ヘンと認めたくなくても。

ニャンコには出来ない芸当ですよね。
写真を見せ「ほらお前だよ」と言っても分からない。

姉妹を連れて実物と写真を並べ「同じでしょう?」
と見せても分からない・・

写真だけでなく人間はもっと色々考え想像できます。
日本のワンコに熱帯雨林の問題は分かりませんよね。


上記写真は昭和45年新潮文庫『黒い雨』です。
写真は初版本で定価140円でした。
カバーの絵は亡き香月泰男。

盗作ウンヌンはありましたが井伏鱒二の筆力もさすが
でインパクトがある作品、皆さんご存知ですよね。

本を読むことも想像力ですが、この本はもう一歩
進めてみてはどうでしょう。

本を片手に宇品から国泰寺、横川まで歩きます。
ちょっと遠いか?

歩きながら当時を頭に浮かべるのです。
今目の前にある平和な町が一瞬にして燃え上がるのを
想像するのです。

『いまもなほ八月六日乱反射』

その意味で
「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」の活動は
たいへんに意義があることです。

土本典昭さん

2008-06-24 22:28:55 | 塾あれこれ
水俣のドキュメンタリー映画で知られる土本典昭監督
が亡くなった。
テンショーがシンダ。

二十代半ば、国立に住んでいたころ彼に会った。
というか若者の小さな映画研究会にドキュメンタリー
映画を教えに来られたのである。

古武士の印象であった。
背は低いがエネルギーの塊り。
ドキュメンタリーにしばしば登場されているが
画面よりももっと分厚い存在感があった。

強く優しい人であった。
劇映画をみるしかしていない、馬鹿な礼儀知らず共に
正面から向き合ってくださった。

実際、詰らない質問をしてもこちらの目を見て丁寧に
答えて頂けたのである。
すでに「水俣」で著名な監督であったが微塵も偉ぶる
ところはなかった。
多忙そうで、はばかられたのであるが一度一緒に飲ん
で欲しかった、誘えそうな気もしたのである。

彼自身の小さな作品を上映して我々に分析させるなど
面白い「授業」だった。
出来る人は授業も違うのである。

直接伺うことができた話は多くはなかったが印象深い
ものばかりである。

現場に飛び込み真摯に向き合うと良い映画になると
仰っていた。
水俣のように大きな「現場」であると深刻な状況
様々な人生、考え方も事情も多様、思想や政治も渦巻き
その中で自分をみつめ、きちんと生きることは大変で
あったと思う。その上での映画つくりであった。

原爆、沖縄、水俣
これらに共通するのは罪も無い弱者の痛み。

政治運動がすぐ意識される事柄でありヤスモノの人間は
目を曇らせることが多いが、それではいけない。
人として見過ごすことができるか!
ウヨクとかサヨクとかの次元ではないことである。

土本監督の仕事を考えなければならない。

それにしても国立で会った頃の土本さんの年齢を越え
馬齢を重ねるばかりの自分である。

落ち着かない夜になりそうだ。

沢村一樹はなかなか

2008-06-24 09:27:50 | 塾あれこれ
いわずと知れた売れっ子であるらしい。

らしい、と書くのは私がほとんどNHKしか見ない爺
であるからで、もっぱらサラリーマンNEOで彼を
知っているのであります。

セクスィー部長も彼なくしては出来ないもので悪くは
ありませんが、私が好きなのは「ニュース解説」の
パロディ
番組制作者がえらいのか、よくここまで、ですね。
あれ最近見かけませんが、もうムリなのかも。


彼が「マイロード」で自分を語っていました。

自伝というものは、元々ある程度割り引いてみないと
いけません。
美化や露悪化、自己韜晦、話をオオゲサにする、など
さまざまな落とし穴があるからです。
無意識が多いでしょうから見分けも難しい。

もちろん自分でしか分からないことは(自伝)になら
ざるをえないのですがね。

沢村一樹が描いてみせる自己はなかなかにハングリー
な人間です。
賢い人のようでマザコンを表面に出し、普段からの
研鑽をイヤミなく理解させます。

日々、考えている人のようです。
(ハングリーだから考えられるのですね)

モデルから俳優に転進するとき、運命の神様の前髪を
掴みます。
モデル時代の社長から「今辞めると違約金が生じるか
ら契約が切れる半年後まで待ったらどうか」と言われ
それでも即座に俳優に踏み出します。

自分に向いてきた流れをパっと掴むのですね。

日ごろから考えている人間である証拠でしょう。

人生にはいくつか転機があり、それは自分で感じる
ことができるものです。
普段、考えている人はその際の結論が早いのです。


彼はこうも言っています。

うまく行かないとき、自分が持っているものを出し
きろう、すぐに引き下がってはいけない!

人に転身を相談しないとも言います。
相談するヒマがあるなら何らかの行動を起こすと。
正解ですね。

物を考えること自体アクションを起こすことです。
もわ~っと悩むのは考えている事ではありません。


具体的なアドバイスを求めやすい事の相談は
して構わないのでしょう。

自分で答えを出しかねてする相談はよくありません。
心のどこかに自分が求めているものがあって、それを
言って欲しい、なんてのもありますね。
こういうのは自分でアクションを起こすほうが早く
解決します。

本当に混沌としている場合ならば尊敬できる人と話を
するのが大変に有益でしょう。

また、気持ちが落ち込んでいるだけのときは
友達が有難いものです。


繰り返しますが人生の選択は自分で。
それができる自分を育てることが必要です。

もう少し続けたいのですが時間ギレ。
マッコウクサイしねえ。

ぶつかったりブロックしたり

2008-06-23 14:39:06 | 塾あれこれ
ビミョーですねえ、昨日の日本代表サッカー。
これから先が思いやられます。


今は別の話。

昨日、路面電車で市内へ出かけました。

乗降口に立っている若者に車掌が中へと誘うと
退場をくらったFW某に風貌が似ていた彼は
車掌のそばに仁王立ちして通路をブロック。

わざわざ彼に言いに行くのも(怖いし)
車掌の隣のことだし。
これって市民の義務?


山登り用の格好をした団塊世代風の方が多い昨今
電車の中でよく荷物がぶつかるんだ・・

一言「失礼」と言って後ろを通るなんて、ない!

そもそもあんな格好しなきゃ近辺の低い山を登れ
ないのかなあ。

登山姿の集団が山道を行き来し挨拶が飛び交う?
普通の格好で山に行けば、大衆劇場に迷いこんだ
一般人みたいな気分になるのかしらん。

少なくとも電車では迷惑な年配登山家?が多いね。


電車の降りる際に乗車賃でもたついている若者。
慣れなければ仕方ないかもしれないけれども
スミマセン、も恥ずかしいもない様子。

日本式「恥の文化」は悪いものではないけれど
消え去りつつあるのかもしれないですね。


今度は帰り。

バスに乗り込み一番前に座った女性。
20代かなあ、ガマ口を出して覗き込みコインを
探しておられます。
掌に一枚二枚と握りながら首を傾けたまま大あくび。
お嬢さん、どちらか一つずつ、でどうでしょう?

彼女、次に買い物を取り出し、箱をじっと眺めると
ヤオラ中身を取り出して顔に塗り始めた。
次は駅前で終点である、なにも急がれなくても・・

わずか3~4分の「充実した」時間。


長い下りエスカレーター。
急がない人は左に立って右を空けています。

オバアサン、コロコロを左にして右に立ち
通路完全ブロック。
流れが詰ってしまった。

降り切って地下通路でも後ろからの人にフェイント
攻撃の山、抜かせません。
競輪の選手顔まけであります。


私も気づかずに人をブロックしてたりするのでしょう
ねえ、広島式ブロック文化・・

ひばりの津軽山唄

2008-06-22 11:04:28 | 塾あれこれ
金曜日TVをつけると番組が終わりかけていましたが
美空ひばりが津軽山唄を歌っているので
しばらく見入ってしまいました。
「え?津軽山唄じゃん。知らなかったなあ」

「りんご追分」に津軽山唄を挿入していたのです。

もちろん民謡も下手ではありません。
なかなかの節回しです。
ただ、当然のことながら自分にひきつけて歌います。
「ひばりの○○」になってしまいます。

そこが物足りないといえば、そう。
正統派津軽山唄、たとえば成田雲竹さんには、敵わ
ない。
かたや津軽民謡の神様ですから。

反対に雲竹さんが「りんご追分」だと。。。


NHKラジオで長く竹内勉さんが民謡を紹介されて
いました。
彼の番組がなくなってNHKの価値は3割減ったネ。

葦原英了でシャンソンを勉強したように、竹内さんで
民謡を勉強しました。
知らなかった世界ですから初めはかなり拒否反応が
出ましたが、途中からハマリました。

現代の民謡がなぜ面白くないか、本来どれほど素晴ら
しいものであったか、よく分かりました。


その竹内さんの番組で美空ひばりを流したことが
あります。江利チエミも。
一定の評価はされていましたね。

(ひばりについては07.6.26に書いています)

私がいろいろ言わなくてもひばりは良い。
本当にしみじみと良い。

それに対して江利チエミの評価が低すぎない?

昭和といえば(美空ひばり)ばかりです。
確かにチエミはスターとして少し落ちるけれども
今は大差がついた感じで少し不満です。


何事につけ、○○は△△、ときまってしまう風潮
が強い時代ですね。
分かり易いけれども。
アメリカ人流で超単純な社会になったようです。

一見、色々なものがあふれている日本です。
でも実は一色。

百マスがよければみんなそれ。
良い方法ですけど、流行でやってるような気
すらしたものです。
右へならっていれば安全な国ですからねえ。

ひばりは良いねえ、と言いにくいじゃないですか
ちょっとだけ違うぞと言いたがる私としては。

でも実はみんなと同じなのに少し違って見えるように
カッコつけてるだけ。。。