どこも同じか

2017-12-07 09:57:47 | やる気
TVの報道番組です。

中国人が登場。
これまた傍若無人に勝手をしていました。
朝鮮に限らずどこの国も同じなのでしょうか。

江戸川の河口に自生をする牡蠣は日本人は食べない
そうです。食べられたものではないらしい。

ところがそれを中国人が獲ってゆくのだそうで。
その際、河原で牡蠣を打って中身を取り出し
牡蠣殻は辺りに放ってしまうのだそうです。
辺りは殻の山になっていました。

これも日本の税金で片付けなければなりません。


そんなケシカラヌ中国人のあり様をTVカメラが追い
記者が声を掛けています。

すると、・・そうなんです、お家芸の「無視」
せいぜいが聞こえないふり、分からないふり、です。

自分たちさえよければよい。
捕まえられなければ何でもやってのけるのです。

そこにあるのはごくごく貧しい性根と
日本人などを馬鹿にしている心情。
キュウーキョクの自己中ですね。

これが中国「文化」なのです。

もちろん一部の中国人の話なのでしょうが
結構目立ちますね。


先日、岡山の市電の中でのことです。

私たちが乗車したのに電車が動きません。

すると中国人らしき客がノッタリ乗りこんできました。

ワンマン電車の運転手は後ろを振り向き
「乗ったら早く座れ」と身振りも交え大声を出しました。

日本人なら「はい、すみません」でしょ。
迷惑をかけてるのですから。

ところが、・・そうです、
お得意の「無視。」

日本語が分からない、という振りでしょうか。

万国共通じゃバカヤロ。

よほど感性が鈍いか、尊大なのか。


付き合わないですむならそれにこしたことはない民族ですね。

竹岡先生、勉強になります

2008-10-15 15:25:49 | やる気
ひとあたり準備が終わり悩む時間です。
散歩かブログか。

9月の最終週から保護者面談が続いて外へ出る
機会がさらに減ってはいるのですが・・


本日は山陽女学園(廿日市市)で講演がありました。
もう二十回目になるというセミナーです。
こういう形は学校の姿勢を示す良い企画ですね。

で今回は講師が竹岡塾(亀岡市)の竹岡先生。

少し前にNHKのプロフェッショナルに出演された
例のドラゴン桜のモデルになられた先生です。

塾の先生は情熱とユーモアが必要と改めて感じました。
更に自らの仕事に対する慎重さ、人に関わることの畏れ
をお持ちです。
人間を潰すかもしれない怖い仕事ですから。

いろいろなお話をされましたが、同意できることが
多かったですね。
塾の仕事をしていると似たような発想になるのかなあ。

終わり頃にされた「所詮、塾なんて」というグチ話など
私がしばしば陥る感覚でもあります。
竹岡先生はそれに捉われてはいけない、という趣旨で
話されたのですが。


家庭、学校、地域、これらが不思議な意思を持つ如くに
生徒のやる気をそぐ働きをしている話も首肯できます。

「うちの子はダメで・・
 先生。そんなに力はありません」

こういうご家庭の何と多いことか。
それは謙譲の美徳、とは少し違いそうですね。

本気で褒める、塾や学校ばかりでなく家庭でも大切な
ことになります。
きちんと評価してあげなければなりません。

そこまで子供を見つめる必要があります。
うわべで褒めても逆効果ですから。

埋もれている可能性を見つけるのが家庭から教師まで
の役割なのです。
もちろん甘やかすと言うこととは正反対です。


少々クタビレていた私には良い勉強になりました。

PS亀岡は学生の頃大本教の本山を訪ねたことが
  あります。
  小説を読んで行ってみたくなったなんてここだけ。

やる気、は難しい

2006-08-11 11:29:31 | やる気
昨日まで書きました「教えない」は学習する人に対して周りが
サポートする話でした。
次は学習する人の内側の話です。

いうまでもなく、学習において最も重要なことは「やる気」です。
少々教員が下手でも「やる気」がある子は伸びます。

ですから、やる気の引き出しかたというのが、永遠の課題のように
なっています。つまり決定打はない。
ましてや私ごときには「よく分からない」

もちろん個々のケースとしては、どんな教師でもいくつかの成功例
を持っているでしょうが、皆に効く特効薬は無いようです。


「やる気」を引き出すのに強制をもってする、という世界がありま
す。歌舞伎などが有名ですね。物心つかないうちから強制してしま
います。途中、反発があってもいつしか「やる気」がでてくるると
聞きます。やっててよかった、ということがあるのでしょう。
勉強は皆がするので、このようにはなり難そうです。

強制がむつかしそうなので、そうではなく(少なくともそのツモリ
ではなく)大人の側が、それとなく仕組んでおいて、いつのまにか
その気にさせるという方法もあります。

国語を好きになってもらうために、家にたくさんの本をおいておく
などもその一つでしょう。読み聞かせも流行っていますね。
本を読めば国語が得意になるか、かなり疑問があるのですが、読ん
でくれれば善しとしましょう。ジツは読んでくれる保障すらありま
せん。まあ、親が沢山読んでいる姿を見せるのが一番でしょう。
それも子供を教育するため、などという気を捨てて、です。

いずれにせよ、必ず有効というわけではなさそうです。


どうも我々は「何かをしてやろう」などと思いすぎるのではないで
しょうか?それは案外自分のためにしているかもしれません。
単なる自己満足であるとか、自己弁護の伏線。
「できるだけのことはしてやった」

でも逆効果かもしれないのです。
何もしないで待ってやる、ということのほうが気持はシンドイです
が有効かもしれません。
「教えない」気分と似ていますね。

自分の例で恐縮ですが、子供のころ母に「勉強しなさい、宿題は済
んでいますか」とよく言われたものです。
そうすると「やる気にならない~」という気持になりました。
特に反抗期には。
何も言わないでいてくれるのが良かったのにね。

ミエミエの「薦め」も逆効果でしょう。
よく、国語の先生の子供が国語嫌い、とか、好調の子供が勉強しな
いとか。言われますね。
もちろん親はミエミエで勧めているわけでなないのでしょうが
子供には、そんな風に見えてしまうのかもしれません。

タイヘンですが、見守ってやるのが一番。
やる気をそぐことをしないように。

ただ気がついたときに手遅れにならないような最低限の訓練は
何事につけ、必要です。

やる気(その2)親がコダワリを捨てれば子はやる気になる

2006-08-10 11:14:50 | やる気
「やる気」に関していくつか述べます。


成績が良ければやる気が出る、という子がいます。まあ当然といえ
ば当然、そんな子も多いだろうなと思いますが物足りないですね。

そこには自発的なエネルギーが感じられないからです。
「やる気」の原動力になるという、その成績をどう上げるか、大切
なところが未解決ですから。
一種の、鶏と玉子の関係かな。

「やる気」に成績は根本的な解決にはなりません。
成績が下がるとやる気も失せる、というのでは、本当の「やる気」
であったのかどうか、疑問が残りますね。

成績は「やる気」と関係もあるでしょうが、気持を支えてくれる
条件のひとつなのですね。


親子で、とことん話し合って納得を得る、などという解決法もあり
ます。最近は少なくなっているような気がしますけれども。
親とのおしゃべりは増えても、話し合いは少ない・・・

少なくなったとはいえ、ご家庭できちんとお話をされているという
こともしばしば耳にします。

逆にそれと一見似てはいても、親子でよく話し合った、と仰るワリ
には案外と甘い段階で済ませていた、ということも多いようです。
正直な感想で失礼ではありますが「とことん、ってその程度?」と
思ったこともあります。
中には「とことん」話して「記念受験」なんて方もおられました。

話し合う、ことはとても大切なことですが、場合によってはしっか
りと話し合うこと自体が大きなプレッシャーになる事があります。
したがって、これも特効薬的解決策とまでは言えないようです。


私が進学塾に勤めていた頃の話です。
その塾は、現在はちょっと元気が無いので残念ですが、一時は広島
の二大受験塾の片方でした。かなり長く続いたと思います。

広島県は戦後異常とも言えるほど中学受験が盛んになりました。
その中でY塾といえば、ナラシタものでしたよ。

その頃、生徒の保護者にはお医者さんも多かったようです。
子供に医者になって欲しい。そのため進学校へ行かねばならない。
それならば進学塾から。

大きな期待を背負って中学受験をし、運悪く結果がでない、そんな
生徒が引続き中学部で高校受験を目指す、というのもありました。
そのプレッシャーは相当なものです。

けれど、強烈な受験勉強をし、あげく不合格だったわけで、中学生
にもなると素直に「医学部に行く」などとは言いづらいのです。
親がいくら「とことん」話をしても、子供は動けません。
塾にだけは行く、ならばまだ良い方だったかもしれません。

こういうときの成功例を申し上げます。
親が医学部進学を諦めるのです。
「分かった。もういいからあなたの好きな道に進みなさい」

すると、しばらくして、数ヶ月とか後に
「勉強はきちんとする」とか「医学部にいってみる」などと
子供の方から言うのです。ぼそっと。

これは一例だけのことではなく案外と数の多かったことなのです。

もちろん、親が子の将来を全く諦めて放り投げるのではダメです。
親のホンネである熱き心は失わず、しかし子供の意思を尊重すると
いうスタンス、これが「やる気」を引き出したわけです。

反対にうまくいかないケース。父親と息子の間で時折あります。
普段は会話のチャンスが少ない分、真面目な話になると真剣さ同士
がぶつかることがあるのです。高校受験くらいが多いでしょうか。

論理ではたいがい父親が勝ちますので、追い詰められて行き場が
無くなった子供は伝家の宝刀を抜きます。いや、父親がそうさせ
てしまうという方が正解かもしれません。

「別に高校に行かなくていい」とか「○高でいいじゃん」とか。
「学校の先生は人間の価値は学歴ではない、といってる」とか。

いったん抜くとこの年頃ではうまく納めるすべを知りません。
そのまま振りまわしますから、危ないのなんの。

親の熱き心の伝え方も難しいものですね。

なお、刀は納めるときも気をつけないと怪我をします。念のため。


やる気(その3)ホントに本気で褒めてますか?

2006-08-09 10:44:27 | やる気
「やる気」がでるきっかけの一つに「ほめられる」ということが
あります。
これは現在の教育ではとても重要視され、充分に目配りされている
ことと思います。私が加えることは何もないのですが、自分の整理
にもなるので書いてみます。

褒められても、それほど心に響かないことがあります。

一つは相手の心がこもっていない、これは論外でしょう。
もう一つが、当人が褒められる価値を感じていない場合です。
「あなたは褒めて下さるが、自分にとっては普通のことで、褒めら
れても格別嬉しいとは思わない」

結局、自分が褒められたいことを、相手に褒めて欲しいのです。
また、タイミングも大切です。

何を褒められたいか、大人が知るのは難しい場合もあります。
子供の中には意思表示が充分うまく出来ない子もいるからです。
さらには、褒められてもうれしいのかどうかすらこちらからは分か
り難い子もいます。大人が思うより多いようです。

もちろん、ずっと見つづけていれば次第に分かることでもあります
が、時間はかかります。微妙な表情を読まねばなりませんから。
こちらから一声かけて更に表情を引き出すこともあります。

もちろん、本人が褒められたい内容がすべてその名に値するかは
別問題です。褒めてはいけない時もあります。迎合は負け!


最近、カタチだけでもオーバーに褒めよう、と言われています。
褒めることが苦手な私には勉強になることではありますが、しかし
日本の文化は控え目が美徳。不自然になりそうで、オーバーには
できないのが現実です。
私など、下手にやって「ヤスモノの営業マン風」になるかもね。

ほかに「褒め尽くす」のも難しそうですね。
ほめることの引出しをたくさん持っている必要があります。

先に少し触れましたが、普段褒めない人のほめ言葉は効きます。
教員が多い塾では役割を分担することもできます。ただ、受けな
い役割は引き受け手がいません。役割をあまり固定するとツライ
ですね。

間接的に褒める、のもよくある作戦です。

ご家庭でも以前は役割分担がありました。ただ、封建的な家庭
の仕事の分担と重なっていたため現在はウケがよくありません
けれども、カシコイ家庭もまだ沢山あり、上手に役割分担され
ているケースもあります。

今の子供は、普段カライ人に誉められる嬉しさを知らない人が
多いかもしれませんね。


褒められて嬉しいのは相手が本気のときです。

褒める側は本気で褒めなければなりません。
無理やり褒めるネタを探しとにかく声をかけ・・ではシラケます。

褒めるとき、よく他の人と比較して褒めようとしますね。私も陥り
ます。東大に行った○君は中1のとき~だったが、この子は・・
なんて発想がよぎるのです。
普通、この学年なら~だけど、とか。

けれどもそれはきちんと褒めることには繋がりません。
褒められたいとき、褒められたいことを、褒められたいのですから
人と比べられても仕方ありません。
褒められるのだからいいか、程度の効果でしょう。

人と比べられては、褒められるべき場合にうずもれてしまう
事も多いのではないでしょうか。

比較するなら本人とします。
昨日までのその子が今日どこまでできたか、ここが大切です。
その子をよく知り素直に「よくできた」という実感を共にします。
「おお、すごい」が心の底からでてきます。
本気であればこそ、気持の良い瞬間を共有できるのです。

すぐそこに「やる気」が来ていませんか?

(もちろん、ものごとそんなに簡単には進みません。現実は
 いろいろなことがあります。
 でも大筋は上記の流れで間違ってないと思います。
 甘いかな?)


何でも褒めるというのは私には無理ですね。
褒められないところは褒めない、注文をつけるところはそうしま
す。叱るべきは叱る。
無理をせずにいれば、ブレが少ないはずです。

{たぶん、明日から暫く更新できません。盆休み?
 秋暑のころまでには復帰しますので、よろしくお願いします}

神頼みを笑えます?

2006-08-09 10:05:17 | やる気
やる気の続きです。
受験をすることでやる気が出ることがあります。多少、我田引水で
すが、受験とやる気について述べます。

やる気が出ていない人が受験をする・・・
以前は少なかったように思いますが、最近は結構多いのでは?
それだけ受験「地獄」が甘くなってきたのです。
単なる希望では以前は通りませんでしたが、時代は変わりますね。

とはいえ「やる気」があるほうが合格可能性が高いのは当然。
まず、本気で通りたいと思ようになる状態がスタートです。

ところが、当人も周りも本気のツモリでいて、ジツは少し強い程度
の希望、「単なる希望」の亜種ということもよくあります。

本気になると目の色が変わって来ます。文字通り髪ふりみだして
も平気なくらい。冗談も通じ難くなります。
本音で「ここまでやれば落ちてもいい」と思えるようになります。

もしそういうレベルにまで到達すれば、万一(受験ですから)結果
が悪くても快復力が大変に強いのです。
初めは人一倍がっくりします。本気であればあるほどショックも
大きいのは当然。
でも立ち直るのも案外早く、次のステップでの足取りが違います。
勉強の中身が身についているので自分の力に確信が持てるのです。

やる気を一定の期間、裏付けた自分の実績が自信を呼んでいる!

逆にテキトウに受験した人はショックは小さくて済みますが、次の
ステップで勢いがでてきません。
やれ「自分は向いていない」だの
  「あんなものは人間の価値に結びつかない」だのと。


受験勉強をしていると「やる気」がうまれることがよくあります。
ハートに火が付く、あるいはお尻に火がついた状態になる、のです
が、その火種はそこここで飛んでいるのです。
触れた自分に火が付くかどうか、これは当人次第です。
本人も火が付いて初めて火の粉が飛んでいたのだ、と気付きます。

これは人為的には作りだしにくいものです。
火の粉はいっぱい飛んでいますから、火が付きやすい自分にして
おくことが大切です。少なくとも湿らせておいてはいけません。

やる気は維持できないと役に立ちません。
その場合、生活習慣がものをいいます。できれば幼いうちから
キチンと育ってくれればありがたいですね。

中学受験までは「維持」が大変なので親のサポートが重要です。

高校受験以降は、細かい口出しは逆効果が多いですね。
ビットキャンパスのような物で自己管理できるとよいのですが。

さて、タイトルは神頼みでした。
受験のお守りなど、常識的には役立ちませんよね。
でも、神頼みまでする、くらいの気持は悪くありません。
何もしないで、神頼みは最悪ですが。

以上は人それぞれご自由に(どこかの首相みたいだ)

神頼みをした人の噂をしてる受験生を見かけます。
「Aはお宮に参ったらしい」「お守りを5つも持ってる」
こういう噂話をしてる奴は本気になっていないですね。
人は人、自分は自分、でなくちゃ。

私ですか?今は神頼み派です。
毎年、太宰府に行っています。
学生の頃はお参りなどしませんでしたね。やる気がなかったか?!


繰り返しが正確で速いか

2006-08-09 09:45:36 | やる気

難関校を挑戦できる生徒と、そこまでいっていない
生徒と、違うところはいくつかあります。

その一つが、正確さ。

正確にできるか、で成績が大きく違ってきます。
逆にいうと、全体としての力にはそれほど差はないの
です。
(正確さ、だけでも不充分ですけれどね)

正確ということは繰り返しができるということです。
「一回だけ正確」では意味がありませんから。

点数がでない生徒の中にこの正確さが足りない子が
多くいます。課題の学習はほぼ出来ているのです。
分かっているのに点が伸びないのですね。

例えば方程式の習いたて。
移項すれば正負の記号が逆になりますね。
この程度の繰り返しで間違えるのです。
できる子はいったんマスターするとミスしない。

逆に1番が出来て、すぐ2番の同じ所が間違えている
などという子は点がでないのですね。

場合によっては、同じ課題の繰り返しなのに、どこが
間違っているか、すら分からないこともあります。

分かっているのに、繰り返しで躓くのです。

運動神経、といわれるものに似ている気がします。

何を隠そう、私は大の運動オンチ。
ですから分かる気がするのです。

運動で能力が高くない子は繰り返しができませんね。
さっき出来たプレイができない、ドリブルが続かな
い、同じ所へ投げられない。

私は中学高校でよく体育教師にバ声をもらいました。
「マジメにやっとるのか?」
こちらはマジメですが、出来ないのです。
何故できないか?
わかりません、とにかく出来なかったですね。

ですから今は叱る側も、叱られる側も分かる気が
しています。
「なんで間違う?さっきと同じじゃないか!」
なんて言いますが
「出来ないものは出来ないよね」
とも思っています。


勉強の処理スピードも運動に似ています。
ささっと出来ない子にミスが多いのです。
正確に繰り替えせる子は速い。

ゆっくりと丁寧にやってるハズなのに間違う。


じつは、決定的な対処法が分かりません。
すぐに言えることは、やる気、でかなり改善
されるとは思います。

ただ、それだけじゃないですよね。
う~む。
9.2