鯛の厚み

2007-09-30 11:05:57 | 塾あれこれ
カラカラと引き戸を開けると昔ながらの三和土。
ラッシャイ、知った店ならアイコンタクトだけと
いうのもたまには面白いもので。

知らない店で一瞥だけ、というのはコワイ。

テーブル席はなく、一人だけが握る店がよろしい。

十五年ほど前、和歌山市内に店の奥で握って出す形が
残っていたのは嬉しかったですね。
雀寿司、美味でした。

客は一、二組というのがほどよく
繁盛している時間に行くものではありません。

何かつまみを聞いて酒。
熱燗と言いたい所ですが高級店に行けない私の経験
では、もっのすごーく熱いのを出される事があるので
カンとだけ言います。

あとは一人前を握ってもらい、さっと帰る。

・・まあ、こんなことをしてみたいものです。


親しくなると教えてくれることがある。
「初めにヒカリものをいう客は通」とかね。

ものの本だとギョクからと書いてあったが・・

「いや赤身」というプロもおられる。

つまりプロでもいろいろということです。
握りのポリシーも当然人様々。

さらに流行りもあります。

近年でっかい魚が乗っかっている店が多いよう
ですけれど、品がないですね。
日本人がそうなっちゃったから、でしょうけれども
一口で食えぬ握りなんてあるものか・・


新天地(広島の飲み屋街)に昔風の寿司屋が
ありました。
この町には手ごろな寿司屋が少ないので貴重な店
でした。

鯛の厚みが今風より若干薄めに、つまり絶妙に良い
加減に造ってくれます。
味も香りもこうでなくちゃいけません。
分厚くて口でもごもごする鯛など旨くありません。


昔、塾の後輩を連れて言ったことが1度ありました。
鯛の厚みも何も・・
海辺で育ってもこれですから情けない。

尤も、私の実の姉もそうです。

尾道に戦後からの寿司屋があり、ここの鯛はよい加減
にしてあるのですが、分からない!

寂しい世の中であります。

巨人の江川は別格だった

2007-09-29 10:58:10 | 塾あれこれ
我々凡人ができるメディアリテラシーは昨日のような
ツッコミが一番だと思いますが専門の方には
笑われてしまいそうです。

でも素人の強みでオオザッパにいかせてもらいます。


メディアの中で偏らないこと。
TVだけで情報を得ない、とかね。

同じTVでもNHKもフジもTBSも、と広げておく。

自分の考えに合わないものも我慢して聞く耳を持つ。
かなり意識しておかないとできません。

メディアの宿命的な欠陥をいつも念頭に置く。

専門家の言うことを鵜呑みにしない。

数字や聞きなれないテクニカルタームが多いものは
要注意。

素朴な感覚を大切にする。ただ決して固執しない。

これくらいで自分なりの物の見方を作れるハズ。
私は自分を落語の隠居風でよいと考えています。
エラクはなれないと気付きましたから。
20才台までは生意気でした・・・


プロの話を聞くのが難しいですね。
プロフェッショナル・リテラシーを「提唱」
する所以です。

下手をすると(しているか・・)
ただのガンコ爺になってしまうのです。


昔、中日ドラゴンズのレギュラーが
「何と言っても投手は江川、あれは別格」
と教えてくれました。

何度か呑み屋のカウンターで一緒になったあとの
話ですからテキトウな話ではありません。
二割台の人でしたから、あんたが苦手なだけ?
とも思いましたが、さすがプロですから色々な
話を聞くとなるほどと思いました。

今でも多分正しいであろうと思います。

ただ、あえていいますと
その人の意見なのか、みんな同じ考えなのか
これが分からない。

多くのプロと話をできる人間ならば別ですが。


とある元相撲取りさんとしばしば飲みました。
といってもガバガバじゃありませんが。
(5/29をお読みください)

千代の富士が幕内に入って間がない頃
そのオジサンが「あれはいいね」
同じ小兵力士ですから余計に目が利いたのかも。

そのオジサン(こう呼べといわれていましたので)
評論家が大嫌い。
「あいつらウソばっかり書く」

相当詳しい人でも正しくないのですね。
もちろんオジサンの話だけが正しいわけではないの
ですが。

若い頃いじめられた話も聞きました。
陰惨。

プロの目利きをもう一つ。
元北の富士さんが白鵬の出だしの頃
「アレは悪くて横綱」とTVで言ってた。
当りですね。
(良くて~止まり、をもじった言い方です。
 人柄などが悪いという意味ではありません)


プロはスゴイのではありますが、それでも鵜呑みは
やめましょう、という話、続きます。
シリキレトンボでした。

木久ちゃん

2007-09-28 08:52:17 | 塾あれこれ
長い間親しんできた木久蔵という名前が
この度木久扇に変わりました。

この人の高座は面白い。
テレビではそれほどとも思えないのですが。

三平や枝雀に通じる面白さがあります。

高座近くで見ると体から湯気が上がっていました。
本気で演ってますね。
亡き横山やすしが彼を気に入ってたのも肯けます。

今、体力はどうなのだろう?


TVで十八番の彦六真似をやってました。
以前にも増して似てきたのではないでしょうか。
どこか顔つきまで似て、憑依したような。

私は彦六=先代正蔵の大ファンでした。
サラリーマンをしつつですが「追っかけ」状態で
鎌倉能舞台の正蔵も三井カルチャーセンターでの
正蔵もきちんと見ております。

月に一回の{銀座たいめいけん}での研究会も
欠かさず通いました。
もちろん東京落語会も。

特に毎月第二水曜のニ水会にはどんなことがあっても
高座のまん前に陣取りました。
会社は必ず定時退社。場合によっては出先から直帰。

それでも遅くなりそうなときは女の子に頼みました。
「ゴメン、先に行って席とってて」

・・さてこれは本当でしょうか?
正蔵を聴く若い美人がいるか?


さて。

今回は上記の話をマクラにメディアリテラシーならぬ
プロフェッショナル・リテラシーのようなことを口走
ろうと思います。
終わり頃、八代目正蔵に戻るかもしれません。

現9代目正蔵がうすっぺらで、区別のためにいちいち
先代と付けねばならないのが面倒ですね。

ラクゴ・リテラシーはいずれ触れるとして
メディア・リテラシーは日本でも定着してきていると
思われます。
テレビなどにツッコミを入れればよいのです。
私は得意。
人に見せられませんけれども。

ためしてガッテンでスーパーに『和食料理』と出た。
私すかさず「なんじゃそりゃ、和食でええ」とかね。
こういうのはタダのツッコミですが
それにしてもなんという日本語でしょう!
腹たつ。

(例によって明日へ)

月がとっても

2007-09-27 11:14:06 | 塾あれこれ
月がきれいですね。
私もこんなことをいうようになった。。

♪月がとっても青いから
昭和30年ですが流行った事を覚えています。
満月に似合う歌ですよね。

最近になって気付いたことですが
『森の水車』『星の流れに』など子供のころから歌詞が
気になっていた・・マセたガキ・・
それらの歌が同じ人の作だったのです。

清水みのる。

シベリアに抑留されて帰ってきた頃の(私が生まれる前)
父の大好きだったのが『かえり船』

これも清水みのるでした。

親子二代で気になるというのはメンタリティが近い
ところがあるのでしょうか。

もちろん私は童謡とか小学唱歌などで育っていますから
マセたところばかりではありません。念のため。


これらのヒット曲に共通しているのが
歌詞の出だしの上手さです。

歌詞の一行、数小節でふっとその世界へ
引きつけられるのです。

緑の森の彼方から・・
波の背の背に揺られて揺れて・・
星の流れに身を占って・・

何だろう?その世界を覗きたくなるのです。

私が俳句を捻ったりする爺になったのもこんな歌が
下地になって育ててくれたのかもしれません。

簡単そうに見えて大変な芸ですね。

昔はプロの作詞家作曲家が沢山いてこういう名人芸を
競っていました。

ただ阿久悠や、なかにし礼は物語にして作品世界を
作るということが多いので、新しくはあったのですが
今から見ると苦労したんだなーという気になります。
それ以前のプロに多少及ばないところがあります。

シンガーソングライターなんてあたりからプロの
影が薄くなり、最近では若い人のヒットはまるで
素人のような歌詞が多いですね。
ワンパタン。
ドラマのシナリオもそうですがPCが作っているよう
に決まりきった事柄を組み合わせているだけです。

(中には吉田美和のように素晴らしい人もいます。
 若くはないか?)

最近やっと少しだけ小学唱歌などの見なおしが
始まっているように思います。

子供たちに伝えておきたいことです。

向田邦子さんが「明けてゾケサは別れ行く」
と勘違いしていた、そんな風でも構わないから
よい歌を心にしみこませておきたいものです。

20年後少しはマシな歌が出来てくるでしょう。


芳賀徹の『詩歌の森へ』中公新書
これは気持が良い本です。
芳賀先生の本はたいがい良いですね。

どんどんと上がりますね

2007-09-26 10:20:56 | 塾あれこれ
原油、レアメタル、穀物など次々と高騰しています。

食品の値段が上がるのは貧乏人には辛いですね。

だからという訳でもないのですがインフレ話。
素人がオコガマシイとは思うのですがあと少しだけ
続けます。
なに、そんなにネタがあるわけじゃないですから
もうすぐ終わりです。

インフレは直にひどい状態になるとは思いませんが
地球温暖化とよく似ていて気がつくと止められない
おそれが強いのです。

いずれ正常に戻るとしても長い時間とその間の一般
の人たちの犠牲は大変なものです。

インフレといっても世界的なものになるでしょう。
経済がグローバルになっていますから。
今回の米国からのサブプライムローン問題でもそう
ですね。世界中が影響をうけています。

通貨量が大きいこと、資源やエネルギーの供給問題
地球の気象状態から来る食料を初めとする不安など
危険が一杯です。

サブプライムローンで最悪2000億ドルとIMFが
予測していますが、これくらいあれば十分きっかけに
なりうるのではないか?

もちろん各国の政府通貨当局が協調していますから
何が何でも悪化するということではないでしょう。

これからもっと難しい事態になって協調できるか
には難しい所があるかもしれません。
その国の事情が影響してきますから。

また全体を先に考えねばなりませんから一時期の混乱
で人々が困ることは二の次なんてこともありえます。

切羽詰れば預金凍結くらいは有り得るでしょう。
何でもあり、を覚悟しなければなりません。
外国の預金など封鎖されないかなあ。

経済界も大変ですが、さまざまな資源の自給率が小さな
日本は世界経済の混乱を受け易く人々が苦しむ恐れが
強いのです。

円が急速に安くなり国内のインフレが世界よりも大きい
ということも有り得ます。

そうなれば農業だ、と始めても異常気象で皆無作なんて
こともある。


昨夜は我家のネコが月見をしていました。
少し過ごし易くなってノンビリしています。
つまらぬことを考えない方がよい、
わが身のことだけ心配せよ、と教えてくれたようです。

心配してテがあれば別ですけれどこれ以上失うもの
がない貧乏人が世界経済心配してドースル?
でした。

えにうかぶめにうかぶえがうかぶ

2007-09-25 10:41:09 | 塾あれこれ
放りっぱなしにしていたEメイルを整理しました。
ちょっと気を許すとすぐ溜まりますね。

自分が打ったメイルにはひどいのが沢山ありました。
とんでもない漢字変換を見つけ恥ずかしくなります。
何ヶ月もして今さら謝りのメイルもヘンですしね。


しゃべる場合はもっとヒドイはずです。

友達の結婚式などでもよくやりました。

しゃべるのが商売の政治家でも失敗します。
言葉が足りなかったりして新聞で叩かれてますね。
中にはワザと間違えるなどという変化球を投げる
センセイもおられるとか聞きます。

しゃべる言葉は時間の流れに拘束されますから
「Aである。が、Bも・・」と言おうとして
前半の所で相手が怒ったりし、話が続かないと
いうことがあります。

難しい。


プロでも間違います。
先日、某・準国営放送局のベテランアナウンサーが
ラジオ番組でミスをしました。

リスナーの投書を読んだあと
「光景が絵に浮かぶようです」

それを言うなら「目に浮かぶ」
百歩譲って「絵が浮かぶ」ですよね。

単純に「絵が」といったツモリで口からは
「絵に」と言ったのかもしれませんけれども。

これくらいなら大したことはないですか。
若い人になるとトンデモナイ日本語を発しますね。

上司やトシヨリは注意しないのでしょうか?
嫌われたくないから言わないのか
若者が言うことを聞かないのか
聞いても修正する能力がないのか。。。

「今は○○という言い方も多く使われ定着してきた
と思われるので、あながち間違いとも言いきれない」
などと言い逃れか弁解かみょーなことを言う
「ことばオジサン」のアナウンサーもおいでですが
それはいけない!

ことばは意識して守らねばすぐ崩れるのです。


子供にはちゃんとしておきたいですね。
大人になると気付いていても教えてくれません。

CMで客に向かってコイツというシズちゃんみたい
になると困ります。
教えてくれないでホされるだけですから。
(CMはとても面白くシズちゃんを応援しますが)


私「なので、は接続詞では使わないように」
生徒、怪訝に「先生が好きなNHKで言ってますよ」

これが困るんだよね。

「NHKと私とどっちを信じる?」
「NHKで~す。とーさんも、なのでって言うし。
 間違ってるならとーさんにも言ってくれますか」

困るんだよね。

マジック大好き

2007-09-24 10:23:38 | 塾あれこれ
少しブームが下火かもしれませんが
マジック、いいですね。

特にテーブルマジックが好きでイリュージョンは
ちょっと。

むかしの寄席の奇術もよござんした。
アダチ竜光、超一流の存在感でしたね。

近年はテレビで見るだけですが前田知洋が最高です。
セロやマルコ・テンペストなども必ずビデオを撮り
時間を見つけては楽しんでます。


私の子供のころに手品ブームがありました。
デパートで手品セットというのを売ってたような
記憶があります。
不器用な私も挑戦したことがありますが当然失敗
しまくりでした。弟があきれていた。

上手な人はさぞ快感でしょう。

大人となってからは
ショーとしての出来のよさ、と騙される快感とが
重要に思えてきました。

前田のクロースアップマジックなど何度見ても
面白いですね。

「入りと出」だけで考えれば、
このときはもう一番上にあるはずだ。
であれば前のこの段階で一番上にきているだろう。
などと思うのですがそれが正しいとしても
どういう指使いで出来るか、感心するばかりです。

ただ騙されて快感を味わうだけでもよいのですが
つい、どうなっている?と思いますよね。
それも含めて快感なのですけれども。


うがった物言いをすれば世の中の出来事はすべて
入りと出の間はブラックボックスです。

前田のマジックもPCもその意味では同じ現象と
言えます。
もちろん、ブラックボックスの内容を知る人も多く
そこに魔法があるわけではありません。


何事によらず次々と研究をしていっても、何故か
分からない部分は必ず存在します。

なぜか分からないけれど光の速さが一番なので
そこから理論を組み立てます。
光は屈折するのだ、から教え始めて構わないのです。

何故動くか分からないけれどPCに向かうオジサン
と違いはありません。(違うか?)

人間の立場に2通りあります。
ブラックボックス状態を許せない人と
構わないからそれを活用しようとする人と。

全てを知るわけには行きませんからどこかで後者の
対応をしますね。

なるべく勉強したほうがよいのですがね。


余談ですが、入りと出をよく気をつけていれば
変なトリックに引っかかることが減ります。
「詐欺師」にやられる危険が少ない。

詐欺ではありませんがバラエティー番組の
「それでは皆さんスイッチオン」というのは
アヤシイですねえ。
出てくる数字に番組に都合がよいものがありそう
な気がします。

プロのマジックと同じで、何でもありの世界に
見えます。


場合によりブラックボックスの中を考えないほうが
正しい判断を得られることがあります。
よく分からないけれど、この入りでこの出はヘン!

この条件でこのサービスは何かアヤシイ、という
場合、イロイロ説明を聞くと却って騙されます。

素朴に「そんなうまい話は無かろう」という対応を
するのが安全です。
何だか今の若い人に少ないようですねえ。
マユツバって言葉自体を知らないのでしょう。

夕餉で叱られた

2007-09-23 11:09:59 | 塾あれこれ
夕食をしながらインフレの話をしかけると
カミサンに叱られました。

「暗いハナシはやめて」
「どして」
「インフレになりそうだとして対応策ってあるの?
 無いんでしょ?」
「はい」
「なら、今話をしてどうなるの」

おっしゃると~りであります。

私は父方の祖父にどうも似ているのですが
思い出しました。
小学生の頃、じーさんが食卓でグチるのです。

「今、○○の口銭が~になっての。」
この辺りから始まってエンエンと続きます。
食卓は真っ暗。
(コーセンが何か、子供には分かりませんでしたが)

私もその年になってきたか・・


カミサンには付加価値についても鋭いツッコミを
もらいました。

不要な付加価値は多いかもしれないけれど
そもそも日本は原材料を輸入し加工貿易でなりたって
いるのではないか。
その国が付加価値を否定できるのか?

う~。

付加価値の全てを悪いと言ってるのではありません。
利用価値の無いものが多いと思うのです。

何をさして言うのかもアイマイでした。

技術の進歩で省エネが進む、それをどう思うか?
大きく付加価値に含めればそれを否定できる人は
いません。

それ以外でも、品質の向上は良いことでしょう。
(何を「向上」とするか、は問題です)

個人的にはエアコンとか冷蔵庫などの品質向上は
好ましいものと思いますね。

ただ、それらがどこかから細々とした付加価値に
繋がって行くのです。
冷蔵庫にパーシャル解凍とか、要らないものがね。


世界中がインフレになったとしましょう。
みんな生活が苦しくなり購買力が落ちます。

買い控えをし、買う場合も安いものへ向かいます。

暫く前に書きましたが数万円の扇風機は買いません。
付加価値に縁のない数千円のものを買います。
羽が回れば良いのです。

その時にどうする?

付加価値のつかない製品なら日本から買う必要は
ないのです。自国で作れますから。


付加価値でどれほど儲けているか国家は試算を
して発表すべき、と思います。

最低基準の製品価格に換算すれば良いのですから
付加価値率のような目安は作れるでしょう。

企業は必要ではない付加価値を洗いなおすべき
です。
資源や労力のムダ遣いですから。

少なくとも日本製品は不要な機能がついている
という不評判は避けられます。

世界経済がどう変化するかその幅も見こんだ
体質改善を急ぐ
と塾のオッサンは思います・・・

サブリミナル効果のような

2007-09-22 10:35:41 | 塾あれこれ
冷たい視線はサブリミナル効果のようにじわっと効きます。
視線と言うよりもマイナスの「思い」でしょうか。
伝わりますね。

「この子はダメ」との気持は子供にすぐ分かります。
自己暗示のようになり、チャレンジ精神が育たなく
なってしまいます。

ですから「ダメ出し」は難しい。

そこで「褒めて育てる」となるわけです。
ただ・・留保したいこともある、という話をします。


私が気付いてからでも日本で20年くらい前から
褒めて褒めて育てるご家庭があり、また増加して
いると思います。
ノビノビと育っている子も多いですね。

ただ、バランスが必要です。
ただヒタスラ褒めればよい、という立場もあると
思いますけれど。

人間は全能ではありません。
出来ることもあれば出来ないこともある。

出来ないことが現れた場合どうしましょう。

例えばほかの子は九九ができているのに自分だけ
ちっとも出来ない。
これをどうやって褒めます?

全能感を壊さないように褒めて育てても眼前に
不能の事実をつきつけられることが有り得ます。
一種の挫折感を覚えるのではないか?
もしかすると褒め過ぎが逆効果になってないか?

九九は出来なくても他はスゴイという誉め方も
あると思います。
でもそれは次の挫折を呼ぶのではないでしょうか。


誉め方の加減が必要と思います。

最大限に褒めればよいか?
何かちょっと出来たら「うわっ、スゴイ。天才!」
もっと出来たらどう褒めるのでしょう。

他にもっとスゴイ奴が現れたら・・

どこかで挫折するのではないでしょうか。

東大に行ってタダの人になっちゃった、は
よくある話です。


褒める側が、どれほど多くの段階を知っているか
どれほど客観的になれるか、
シンパシーを持てるか。

褒めすぎない。
場合によっては、敢えて褒めない。

ダメだしすべきはきちんとする。

一人一人をどれほど捕まえているかがポイントに
なりますね。

ムリに褒めれば疲れます。
本気に褒めればお互い気持良い。

ど~せバカよ

2007-09-21 10:16:11 | 塾あれこれ
ウチらバカよ。
自分のことなのですが複数形を使います。

「ウチらあ、バカよね・・」
以前の生徒で、きつい広島弁です。

「・・分かっとるワイね。
 じゃけーど、そー言われたら、やっぱ腹立つよね」

前に勤めていた塾で、生徒がばらばらと帰路につき
廊下で女の子が大きな声を出していました。
きっと授業で何か言われたのでしょう。学校か?

その悔しさ、腹立ち。
深いところでも傷ついています。

受験塾に来ているのですから一定の学力はあった
でしょうけれど、思うほどに結果が出ないのですね。

本人はよく分かっています。
そこへ上塗りするように、家族や塾やから
「ダメ」を出されるとつらいでしょう。

場合によってはずっと後までその意識が残るかも
しれません。

「私は出来ないのだ」

もしかすると一生。


私も他人事ではありません。
体育も、音楽も、劣等感の塊で過ごしました。
勉強だって思うようにはいかなかった。
嗚呼。

誰にでも幼時には全能感があるはずです。
無限の可能性が将来へ向けて開いています。

それが一つずつプツプツと消えてゆくのが
大人になるということなのでしょう。

ですから人はみな無力感や劣等感と手を繋いで
生きているのです。

そこへ「ダメ」を出されると良い気はしない
ですよね。

ぬきんでて優れた才能が別にあるのならば
カバーしてくれるかもしれません。
自信がありますから。

多くの人はそうはいきません。


兄弟では子供のうちには特に遠慮のない
言葉が飛び交います。
「できんの?ばーか」

常にそれに曝されていれば劣等感が染みつく
こともあるでしょう。
もしかすると大人の目も怪しい。

特に下の子は上に向かって背伸びをし、大概は上ほど
出来ないわけですから、成長する過程での苦労が多い
と思われます。


古来、日本では「ダメだし」の多い教育法が
採られていたようです。

近年「褒めよう!」という教育が広まったのは
良いことだと思います。

ただこれもバランスが大切です。
叱られることが下手な若者が増加しているとか。
褒めて育てることの副作用ではないでしょうか。

(経済の話なども途中のままですが、この話も
 次回以降続ける予定です。
 06年8/9の記事もお読み下さい。よろしく!)