ユニクロのヒートテック

2009-11-30 12:07:40 | 塾あれこれ
んとに、またも何を今更・・

やっとユニクロに行ってきました。
さすがに先週は混んでいると思いましたのでね。
その代わり売れ筋のもので色など品薄もあったのでは?

目的はヒートテックの靴下。
どげなもんじゃろう?と。

はは、暖かい。
ウワサは本当じゃった。
冷え性には助かりそうです。


で、ここ数回、いつもどおり何を言いたいんだか、
「何を言うかはっきりさせることが肝心」という文で
これですからねえ。

さっさと切り上げましょう。

99年出版、かの有名な『分数が出来ない大学生』から。

浪川幸彦教授が「最近の学生は」と嘆いておられます。
大学一年生への授業を久しぶりに担当し、張り切って
開始したところ突然一人の学生が手をあげ
「先生、この授業何をしてるか分かりません」

こんな趣旨のことを叫んだというのですね。

それが92年春。
この頃すでに学生の学力劣化が目立っていたということ
です。

同じ本で、岡部恒治教授は大学側の問題として
91年の「大学設置基準の大綱化」による教育体制の
無責任化を指摘されていますが、もちろんそれだけが
原因ではありません。

学生や社会の変化が行政にバイアスをかけているという
面があるのですから。


このころの大学生は、小学校以来どういう教育を受けて
いたか。

文部省の学習指導要領の劇的な改正があったのが80年
いわゆる「ゆとり教育」が始まったのです。
その子達がどんどん大学にやってきはじめていた。

大学の先生方はまずそれを疑ったでしょう。

もちろん大きな原因の一つであったことに間違いは
ありません。
でも、それだけで劣化したのではないハズです。


強引ですが料理の世界。

フジテレビで『料理の鉄人』が始まったのが93年
(当初、素人が何十人も出てという頃はダメでしたが
 陳、石鍋、道場はすごかった。
 そのうち看板にいつわりあり、というか事前の準備
 が目立つようになって熱が冷めました)

あのころはまだ景気が良かった。
グルメ全盛でしたね。

ただし、料理本は写真と丁寧なレシピで埋まり
辰巳さんの名著など読まれなくなった。。。

同じころ大人がすでに変わっていたのです。

教育でも(・・強引だね)
先生がすでに変わっていた。
指導要領変更だけではなかろう、と実感する次第です。


変わるのは悪いことばかりではありません。
機器の進歩。

ガリ版→リソグラフ→pc→ウェブ

どんどんと便利になりました。
利用しないテはありません。
それは良いのです。

勉強システムも新しいものが浮かんでは消え
流行っては捨たり・・

全体としてマニュアル化がすすみ、そのとおりに
しておけば上手になると。
見方を変えれば受身の指示待ち教師増産です。

自分で考えることが出来なくなっちゃった。

結局誰が儲け、誰が被害を受けたんだか。
こちらが問題。

数千年かけての検証を耐えて完成した勉学の姿勢を
もういちど評価しなければなりません。

いま自然発生的に全国で「教えないこと」が
増えている理由ですね。


教えない、とか寺子屋とかいうとすぐに漢文の
素読などの古臭いイメージを抱かれます。

そうではなくて、相手を見ながら不要なものを削って
対応してゆくと「教えない」に行き着くのです。


ユニクロに頼るだけでなく運動しなくちゃ。

サルガド

2009-11-29 18:15:46 | 塾あれこれ
本日2つめの投稿です。

セバスチャン・サルガド

この崇高な写真家の展覧会が東京で行われ
その会場でサルガド本人に話を伺うという
NHKの新日曜美術館では久しぶりに良い
放送をしてくれました。
(ここのところ低調でしたからね)

今更、私如きがコメントする何物もないほど
素晴らしい写真家で、あらゆる賛辞が似合う
芸術家です。

番組で、彼が「写す相手と一体になる」ことを
強く訴えていましたが、そこなんですね。

他の仕事にも共通して言えることでしょう。
人間の仕事って結局それにつきるのです。
人として、いかなるシンパシーをもてるか。

展覧会に行きたいですけれど遠いなあ!


一時期、デイズジャパンの購読を止めようかと
悩んだときがありましたが
サルガドを池澤夏樹が紹介するという企画には
抗しきれず続けてしまいました。

それで良かったのですけれど、
いまサルガドの載らないデイズジャパンは、
やはり寂しいね。


もし彼をご存じない方がおられましたら
再放送が来週6日夜8時からありますのでお勧めします。

「サルガドを知らない人は幸せである。
 なぜならこれからサルガドに出会う幸せが待っているから。」
なんちゃって、下手なパクリで叱られそうです

削る、

2009-11-29 14:44:13 | 塾あれこれ
志賀直哉がもっとも有名ですが「簡潔な文章を書く」
これが現代日本語の目標として多くの支持を
受けています。

もちろんそのためには不要の部分を削るのですが
どういう方向の文章であるかで削り方が違います。

誰が読むのか、何を伝えたいのか、それにより
文章はまるで変わってきます。
そこをハッキリさせておかないと文章にならない
とも言えます。

案外、きちんと押さえられていないところでは?
・・意味が分りにくい文も多く見受けるからです。
(自分のことはタナにあげて、ね)


辻静雄は、「最高を知れ、そして削れ」こんな趣旨
のことを書いていたと記憶します。
(調べれば分るのですけれど、手抜き)

方向を定め削るという意味では上記と共通しますね。

削り方は実作・練習あるのみです。
自分で感触を掴む以外には方法はないようです。

宮崎先生を天才と言うのはこの削り方の上手さが
際だつからです。
(もちろんそれ以外にも理由はあります)


逆の例を挙げてみましょうか。

東大の総長を務められた蓮実重彦というエライ
先生がおられます。
彼が筑摩書房から一般の人向けに出されたものに
『監督 小津安二郎』という本があります。

引用しますね。
「この引用文には一つの否定的な言辞も含まれていないが、
 差異をきわだたせるという作業そのものが内包する否定性
 の批判こそが今日の思想的な課題であるときに、われわれは
 この種の立場に同調することはできない。問題は、パラダ
 イムからの偏差の測定という否定的な身振りから小津を
 解放することにあるからだ。
 もちろん比較を原理的に排除することは無意味だし・・」 

B5版のこの本のうち200頁がびっしりこの調子です。

偉い方の書かれる物は違いますね。
私にはいったい何のことやら。

1983年の2400円は結構シンドイ定価でしたが、途中で
読むのを諦めてしまいました。
いつか再挑戦と思うのですが、読んでると腹が立って
きます。

この人は誰に向かって書いているのだろう?
読む人が大勢理解できないということに気づかない?

確かに厳密に書かねば自分の考えを伝えられない
変に削っては誤解を招く、とは思いますよ。
でも、書くということはそのリスクを背負って
自分の責任で削ることが大切ではないでしょうか。

私はこのブログの存在を実の弟にも言わないのですが
それは蓮実先生のような厳密性を求められ
あれもあるぞ、これはどうする、とイチャモン?を
つけられるに決まっているからです。
もちろん親切心からです。

けれど、それに応えるのは煩わしい。

Bもありうることを思いつつ、Aだけを書く!
Bについては別の機会に触れる。
なぜなら何を書いているかを明確にするため。

・・この加減が分らない人が多いのではないか?


ある料理を分析して調味料の割合を、例えば
9対7.5対4.8と見つけたとしましょう。
プロの仕事ならこれくらいは普通の割合ですね。

(これを30:25:16としても数学上は構いませんが
 調理ではたぶん却って宜しくない)

少し単純化して6:5:3という表示もありえます。

けれども2:2:1とできるかどうか?

そこで誰を念頭においての表示かが重要なのです。
家庭むけレシピなら2:2:1として
あとはご自分で微調整をどうぞ、というのが
正しいことです。

それを家庭向きでも30:25:16に、という人は
頭が悪い、といわざるを得ません。
いくら難しいことがお分かりになっても。

組織で仕事をするとこのテの頭の悪い、しかし
ご自分ではそうは思われない方に悩まされますね。

(また途中になっちゃった。
 これからユニクロに行って下着を検討しますので)

分りやすく、でよいか?

2009-11-28 11:51:12 | 塾あれこれ
壇一雄『壇流クッキング』中公文庫から引用します。

朝鮮風ニラ卵の作り方
「フライパンに少し多目のサラダ油を敷き、塩を入れ、
 強火で一瞬ニラをいためる。ニラがシンナリなりか
 かったと思う頃、卵を二、三個、よくかきまぜながら
 流し込み、半熟よりやや煮え加減で火をとめる。
 焼きすぎないのがコツだ」

次は辰巳浜子『料理歳時記』中公文庫から。

わが家のお雑煮
「出汁昆布を前日から水に漬け、濃い昆布水を素にして
 鰹節の芯だけをたっぷり使って出汁をとり、醤油の色
 をきかせた清汁に仕立てます。別鍋に昆布をひいて、
 切餅を茹でて茶碗に盛り、清汁をそそぎ入れ、芹の
 みじん切りと花かつおをふりかけるのです」

(私井上が思うに鰹節の芯とは、血合いのない所)

辻静雄『フランス料理の手帳』新潮文庫

冷たいブッフ・ア・ラ・モード
「赤身の牛肉を大きなサイコロに切って香りの強い野菜
 と一緒にブランデーにつけてから、ベーコンと、
 サッと強火でいためて、あとは玉ネギやニンジン、
 仔牛の骨など入れて水やブイヨンでグツグツ六七時間
 も煮たもので・・・煮ていた鍋ごと冷やしてしまう」

きりがないので引用はこのあたりにして
辻さんの文庫本が昭和58年(書かれたのはs48年)
壇さんが昭和50年
辰巳さん昭和52年

いずれも名著。
当時評判になって読んだのだと思います。

エッセーとして書かれたものとはいえ、数量表示がなく
それでも作ってみたりしましたね。
(ブッフアラモードは挑戦出来ませんでしたが)


森枝卓仕『全アジア麺類大全』旺文社文庫 s61

カオ・ブン
「椰子の実一個から果肉を削り取り・・五カップほど
 が目安・・干し唐辛子五本は水に漬け・・・・」

松本秀夫『名菜38品』新潮文庫 s63

これはレシピを紹介するので料理エッセーではなく
その所為か数量表示も細かい本です。

洋梨鮮貝
「貝柱 4個・・洋ナシ2個・・
 調味料A 卵白 大匙1 片栗粉 小匙1・・」
のように数量を表示し

「①イカはすり身にして調味料Aの卵白を加えて・・」
と現在のレシピの形態が整っています。

中公文庫ビジュアル版、柳原敏雄著『漬けもの風土記』
これは1995出版ですが、もともとの本が昭和55年に
書かれたものです。

ついでに引用してみます。

あんにんご(新潟)=ウワミズザクラの花穂の塩漬。
「つぼみの花穂を二十本ぐらいずつ束ねたものを
 カメなどに塩をふり込みながら重ねて漬け込み
 上塩を少し多目にふり、熊笹の葉などで葉蓋を・・
 塩は18%程度」

マジメな方からはお叱りをまた頂戴しそうですが
大雑把に言って、とある時期から料理のレシピの
発信の仕方が変わってきているように思えます。

丁寧に分りやすく、だれでも出来る、科学的・・
マニュアル化ですね。進歩しました。

それは、悪いことではありません。
が、欠点もある。

いまそのことに気づき始めている人たちがおられる
そんな気がします。

(つづく)

辻調の天才・宮崎先生Ⅱ

2009-11-27 22:06:59 | 食べる
辻調の宮崎先生、天才であると10/23に書きました。
最近も絶好調ですね。

上沼恵美子の『おしゃべりクッキング』
関東でも見られるのかなあ?
味の文化が違うからネットされてない?

たかじんの『委員会』とか『探偵ナイトスクープ』
などが流れないとか放映されていても時間帯が悪い
とか聞きます。
関西と関東とでは好みがずいぶん違いますね。

『おしゃべり・・』も見られないとしたら可哀相。

特に3人の中で宮崎先生は次元が違ってきつつあり
これを見られないなんて。。

一見しただけではどんな味か分からないのです。
ええ?とか、ふつーじゃんとか。

ところが実際に作ってみると、あら不思議。
マジックかもしれない。

先日はウスターソースで酢豚。
豚のウスターソース味だろうと思いますよね?
ご家庭で酢豚。
私は酢豚が好きじゃないのに旨かった。
騙されたと思って作ってみてください。
感動しましたね。

ウェブサイトにレシピが載っていますから
んとに騙されたと思って・・

食材も極力少なくとどめ、調味料も同様
珍しいものなどはほぼ使いません。
代わりにコレで、というセンスがよいのですね。

調理法も単純化されているようです。

そしてナゼこうするか、という説明が分りやすく
丁寧です。

(レシピの変遷と教育法のそれについての類似は
 明日書きます、スミマセン)

ネコ敲き

2009-11-26 18:21:08 | 塾あれこれ
新聞の広告欄で見ただけですが(ネコタタキ)

週刊誌も、本当に叩くべき所は手を出さず
ネコをたたいてどーする?

ネコも新型インフルエンザに罹るという報道は
以前から見聞きしています。

もっと以前から、いくつかの病気がペットから伝染る
という話も常識として知っております。

更に人間が作り出している環境が動物達によくない
ものであるということも分っております。

これらをグチャグチャに取り混ぜて、多分ノラネコを
叩こうという記事ではないでしょうかね。
不衛生だ、何とかしなければ、と。


飼い猫がよそ様の庭などでワルサをする
それが問題になっているところもあるようです。

お袋も生前ドコソコのネコがやってきて庭で粗相をする
と嫌がっていました。

それもあって私たちはネコを飼うときに外へ出さないと
決めて飼いはじめたのです。

小さいときからそう育てると外へは出たがりません。

窓から外は良く見ていますし、よその猫が近寄れば
ウ~なんて言ってます。
外界を認識してはいるのですが自分の出てゆくところ
とは思っていないようです。
外へ出なくてもストレスは無さそう。

放し飼いが良いのかもしれませんが、現在はそれが
しづらい世の中なのです。

またネコにとっても良い環境ではありません。
一般家庭で「毒」をまく時代です。
除草剤と言う名の。

ネコの足や体について、それを舐めると思うと可哀相。
ガソリンなども触れるでしょう。

もちろん伝染病やケンカなど危険はいくつもあります。
へんなものを口にするかもしれません。
食品添加物も怖いですね。

ネコが人間に害を及ぼすのと
人間がネコに害を及ぼすのと、どっちがスゴイ?


ネコを叩いた時代、その地でペストが大流行したのを
ご存知でしょうか。

ペストは現代でも決定的な薬がない病気です。
しかも大変に怖ろしい伝染病で
実質的な対処法は猫による鼠の駆除しかないのです。

ウソだと思われる方はネットででも勉強して下さい。

ネコ叩き。
天に唾する行為ですね。

汚い猫に近寄る人は少ないし、あと気をつけます。
週刊誌で大宣伝していただかなくて大丈夫でしょう。

繰り返しますが悪いやつは沢山います。
それをこそ暴いて叩く勇気を持って欲しい。

ビビッてできないのなら悪口を言うより
ネコの存在の有難さを広めるべきでしょう。

大週刊誌A アホちゃうか。

素直に言いにくい

2009-11-25 18:48:39 | 塾あれこれ
先ごろサッカーの全国高校選手権、広島県の予選が
ありました。
昨年、第87回は広島皆実高が全国一!

今年も皆実とそのライバルの観音が県代表をかけて
戦い、PKで観音が全国に進みました。
両者譲らぬ良い試合でしたねえ。

その観音のサイドバックで頑張っていたK君が
中学時代、当塾に通っていたのです。
文武両道をゆく、よき先例を見せてくれました。
クレバーな、位置取りのよい選手です、

知っている人が頑張っている姿というものは
自然に応援したくなるものです。

さて、それをブログに書こうとして悩みました。

塾のブログではいかにも宣伝臭がしますから。
しかもサッカーには何の貢献もしていません。

彼が頑張ったのです。チームも、指導者も、
小学校からのサッカー仲間も、家族も・・

その人たちの並大抵でない苦労を、何の関係もない
人間が喜んでいるフリして宣伝に使ってよいのか?

彼から「あんたには関係ないだろ」とお叱りを受ける
かもしれません。

ただ逆に、何も触れないでいると
「喜んでくれないのかよ」と思われるかもしれない。

学校や地域なら素直に応援し喜ぶことも可能ですが
学習塾じゃ、塩梅が分らない・・


ところでこういう、自分は何も貢献していないのに
いかにも何らかの影響を及ぼした、って一種自慢を
することを何というのでしょうかね?
我田引水でもなく、便乗でもなく

運動に限らず、学習でも、将来だれかが良い仕事を
したとして、関係した学習塾の「てがら」?
「かれは、教え子で」なんて言いにくい。
ほとんど関係ないことではないか、と思います。

でも、それでも、もしそんなことがあれば
喜びたい。。。

ん~、つくづく塾って日陰だなあと思いますね。
全国大会に出るくらいでね、悩むとは。


と、まあずいぶん持って回った「教え子自慢」です。

紅葉

2009-11-24 18:07:51 | 塾あれこれ
園池公毅著『光合成とは何か』講談社BLUE BACKS

光合成って本当に難しいですよね。
学生の頃「カルビン回路」だけで嫌になりましたが
この本の話はもっともっと詳しくて大変です。

筆者はとても頭のよい方らしく(←当たり前じゃ)
分りやすく書いて下さっている(ような)のですが
付いて行けない・・・なさけない。

もっとも、難しいけれども大まかには~、程度と
勉強するだけでも有益だろうと、
わが文系頭が恨めしいのですが読書を続けています。


そんな人間のために、分りやすく興味深い話題も
(箸休め?)にいくつも書いていただけています。

例えば、紅葉の話。

どんなことが書いてあるかといいますと・・
光合成の色素として葉にクロロフィル(葉緑素)が
あるので木々は緑に見えます。
またカロテノイドという黄色い色素もあり、これも
光合成をします。

秋になって黄色に色づく葉ではクロロフィルが先に
分解され、残った黄色の色素が目立つので『黄葉』を
するのだそうです。

赤くなる紅葉は、秋になってアントシアンという色素が
新たに合成され、あの赤を出すのだそうです。

アントシアンは光合成色素ではありません。
なぜ光合成に役立たないアントシアンを葉が落ちる前に
新たに作り、クロロフィルを分解するのでしょうか?
どうせ葉を落としちゃうのに。

未だに答がハッキリしないのだそうです。

紅葉ひとつですら、わからないことがあるなんて、ネ。


こんな話を知るだけでも役に立ちます。

文系の先生方!
たかが新書です、挑戦してみられませんか?

(一緒に苦労しましょう、へへ:)

ちあきなおみ

2009-11-23 10:56:54 | SONGS
これも少々タイミングが遅くなった話ですが
NHKで2回に亘り放映された、ちあきなおみの特番。
彼女の世界を再確認できました。
昔からのファンには、何を今更と言われそうですが。

昔の私は彼女への関心が今ほどではありませんでした。
良さがそれほどは分らなかったのでしょう。
もちろんかなりの歌は口ずさめますし
『喝采』を初めて聞いたときの驚きも覚えています。

10代の少年に十も二十も上の女性が分からないように
私にはマイナスに思えるところもありました。
(実際は2つしか違いませんがね)

叱られそうですが
例えば、水商売のおねーさんみたいな感じがするところ
・・少年は南沙織の方をあこがれますよね。

同様に女優では木暮実千代が(濃くて)苦手でした。
いい女優サンなのにねえ。

何も分かっていなかったと思います。

ちあきも、お化粧が濃くて、ちょっと三白眼ぽくて苦手
・・ゴメンなさいね。


改めて歌と映像を見ますと、上手いものですね。
表現力も確かです。

美空ひばりに負けないのじゃないか。
ただ、あちらはヒット曲の数が違います。
ちあきが富士山なら美空はエベレストくらい。
まあ、時代も何も違いますから。

日本古来の、一見口先で歌っているような感じ
それが宜しいですね。
♪カモメよ の「ドンブラコ」でラのところ、
彼女の歌い方でなくては表現できない(寂しさ)

あれを西洋風の咽喉をしっかりと開け胸の奥底から
空気を震わせて「ドンブラコ」じゃ、ブチコワシに
なりますから。

美空ひばりも悲しみの表現が上手く、それは歌手が
もつ、というより人間誰しもある、存在としての、
キリスト教なら原罪かな、そこに表現が到達していて
皆が感動するのですが
ちあきなおみはそれ以外に、人間の社会的関係に
かかわる哀しみも強くありそうです。

これは人により大小があります。
人生により味わわなくてすむ哀しみ

・・なぜ私だけ?


哀しい歌でも、歌い終わったちあきなおみは
ふっと笑います。

哀しみを極めて。


思えば♪X+Y =ラヴ ラヴ、ラヴ アイラヴユー
と明るく歌う中にすら、いくばくかの悲しみがあった。

今頃わかるようでは遅いですか。。。

JIN-仁- よいですね

2009-11-22 14:39:09 | 塾あれこれ
たいへん遅ればせながらTVドラマ『JIN-仁-』
面白いですね。

初回はこれからどうなるか、次回以降が不安で
その次あたりからは、子供で泣かせるのはどうか
などと思っている間にいつか見てしまっていた。。。


ドラマにゆく前に少し違う方向からの話になりますが
我が家では「事業仕分」に似た手法は以前から存在し
れんほうサンみたいな怖い顔して仕分を迫られます。

「この箱は何ですか? 資料?
 この3年で何度見ましたか、お答え下さい」

「そう聞かれてもデータをとっているわけではないし
 万が一、1回も見ていなくても必要なものはあるし」

「わかりました。では即廃棄とまでは言いませんから
 外の物置に移してください」
有無を言わせぬ迫力ですな。

仕事の仕分ばかりではありません。
生活のあれこれ、食事とか服装とかチェック!

「エリが曲がっていますよ、きちんと外へ出して」

(るせえな)とか思うと顔に表れるらしく

「いえ、別にそれでもよいのですよ。
 お気に召さないのなら何も申し上げませんから
 どうぞご自由に」

本当に何も(申し上げ)られなくなっちゃうので白旗!


先日は「休日にゴロゴロ、TVばかり見て、たまには
植木鉢に水をやるとか、家事もなさいませんこと?」
と麻生裕未さんみたいに仰います。

(彼女、良いですね、大ファンです。
 できればこのドラマでは鉄漿つけて欲しかった)


「なに?この(どらま)・・マンガじゃん」
「は、今どきはマンガ原作が多いようですな」
「てぬきじゃん、荒っぽい」
「そうではありますが、マンガゆえに伝わるという
 利点もあるのでして」

ひとつにはさっと描くのでポイントが明白になり
また、どうせマンガ原作と思ってい、案外良いと
印象が強くなる効果もあります。

演技でも、お笑いタレントが真面目なものをし
「案外いいじゃん」となる、あれです。

こういうマンガ原作ものでは『ドラゴン桜』が
良かったですね。
「んな、バカな」
でも、テーマは伝わります。

『JIN-仁-』もそうですね。

江戸時代にそんな都合よくすぐに医療器具が作れるか
とか、部屋の照明は手術ができる明るさか?暗いぞ~
とツっこんでもそれはピントがずれています。

吉本新喜劇にマジメじゃないと突っ込むようなもの
歌舞伎に写実じゃないと文句つけるようなもの

『JIN-仁-』は原作が面白いのでしょう。
わかり易い世界です。
脚本もおおむねグ~
俳優が良いですね。揃っています。
(ただ、武田鉄矢はどうかなあ)
演出が落ち着いているのもよいですね。

(比べてはいけませんが
『ウェルかめ』は演技指導が弱い。
 あんなにベタベタしてはいけません。)

閑話休題

『JIN-仁-』は暗くないのが一番ですが
気恥ずかしいほどのキメ台詞も妙に良い!
「医は仁術ではなかったか」みたいな、ね。

その平凡さ、悪くはありません。
・・ドラマですから。

(このあと日本文化とアメリカ化について書く
 はずでしたが長くなるので止めましょう)

『JIN-仁-』の一番の魅力は
「希望」を描いていることです。
今の日本には「希望」を描きにくいから。
技術をたたえ、人間存在も肯定します。

甘い?

かなあ・・


事業仕分、悪くはありません。
でも「希望」も欲しいですよね。