テストって

2006-08-29 12:08:47 | 学習塾って?
テストについて以下の内容で述べます。
また数日かかると思いますがご容赦下さい。

①テストとは調べるためにあるものです。目的になっ
 てはいけないのですが、今は違ってきてますね。

②テストが目的になっているのは学校や社会も良くな
 いのです。ただ入試などは仕方ない所もあります。

③テストは制限時間があるので処理速度が大切です。

④作る方は、目的別にどんなテストでもつくれます。
 それを踏まえてテスト評価を注意深くしましょう。

⑤テストを受けただけでは賢くはなりません。上手に
 使って初めて役に立つものです。

⑥テストは一部分しかチェックできないものです。

⑦信頼できるテストを継続すれば力を測れます。

最初は「テストは手段」ということ。
当たり前のことですがね。

理科などで実験をしてテストをしますね。手段です。
ところがテストそのものが目標になってしまっている
のです。これはよくないことです。

もちろん、資格試験、入学試験、などは合格が目的に
なります。ほんとうは、それだけが目的ではいけませ
んけれど、気持は分かりますよね。

今問題は、学校で絶対評価の導入に伴い日々の学習
を大切にすべきだ、ということからテストを重ねて
その点を積み上げるやり方、です。
最終的に学力がつけばよい、というのではなく途中
の数字も上げておかなくてはいけません。毎回のテ
ストで点ととる必要=目標ができたのです。

一見悪くないことに思えますが、手段を目的にして
しまったので本当に大切なものが見えにくくなって
しまいました。目先の得点ばかりを追ってしまうの
です。細かい締め切りを設けられ、それごとに点を
ださねばなりません。
ハウツーに頼っても取り敢えず点、という生徒が
増えているのではないでしょうか。

学校の試験対策の塾が受けているようですね。
もちろん私も試験対策をしますが、それだけに追わ
れるようにはしたくありません。
長いスパンで勉強をしてゆきたいと思います。




東大が目標ってヘンじゃない?

2006-08-28 12:38:22 | 学習塾って?
・・とタイトルを書いて気付きましたので急いで
書いておきますが、以下は『ドラゴン桜』の悪口では
ありませんのでヨロシク。

昨日のテストの話の続きです。

テストは色々な目的で行われ様々な形式があります。
学校や塾でテストといえばペーパーテストが多いです
ね。従来から多くの欠陥があると分かっているもので
すけれど、それに代る適当な物が「ない」のです。

テストについてですが。何をテストするべきかという
問題は私の手に余る大きなことですので除外しておき
ここではテストの特性に関することから。

ペーパーテストは、実施する側の都合から時間を制限
して行われることが一般的です。

時間内にどれだけ処理できるか、そのスピードが遅い
人は点が出にくく、自分の力を反映させることが難し
いですね。

物事をきちんと処理しないといけない性格の人は時間
がかかることが多く、不利でしょう。
字をゆっくりと丁寧に書き、計算もあわてず騒がず
ジックリとするタイプより、急いでするので字などは
汚くて乱暴だが「がーっ」という方が強いものです。

充分な時間があるテストならばまだしも、時間を急ぐ
ものであれば思うより以上に点がでないものです。
あせってミスをしやすいことも加わります。

いいわるい、ということではないのですが、実力を
出せないと言うことでは損ですね。

高い偏差値を求められるテストは時間が短いことが
多いようです。対策しておくべきでしょう。

早い遅いは性格のようなものですから、一気に変わる
ことは難しいですが、ある程度訓練で解決できます。
たとえば最近では百マスなども時間を意識してます。

近年の生徒は昔に比べて処理が遅いようです。
計算などだけでなく生活のリズム自体がゆっくりと
丁寧なのでしょう。

もちろん、当該分野で能力が小さいから処理スピード
がでないということもあります。「性格」だけでは
ありませんので訓練が必要です。

しかしスピードばかりを強調しすぎてはいけません。
勉学の力は処理スピードだけで測れるものではありま
せんから。
時間をかけても考える、ほうが大切でしょう。

そういう「考える力」を測定する手段としてペーパー
テストがどれだけ有効か、大いに疑問があります。

大学受験でみましょう。
予備校などでどういう指導をしているか。
極端に言えば、考えることは棚に上げ、問題の解き方
だけを覚えこませます。記憶力勝負です。

入試で「考える問題」を出されても、それへ塾が対策
をし、考えずに済むようにします。イタチゴッコ。
小論文などでもパターンを覚えこんで対応すればよい
などという本が出版されているほどです。
考えることを教えるのは時間がかかるからでしょう。

入試が迫っていれば「考える」ことより、短い期間で
点を上げることについ目が向いてしまうのですね。

ただこうやって合格しても当人の力が伸びているか?

問題の意味は分からず、答だけはマル、なんてことも
よくあり生徒の中にはマルになっているから「分かっ
ている」つもりの子もいます。
じつは私もそうでしたね。


ペーパーテストで考える力を測るのは難しいものです。
それでも安易にペーパーテストで済ますのは、効率重視
からでしょう。物事の軽重を間違えています。

人が人を見る度量が薄れてきたのか、日本では数字に
頼りたがります。
これも、本来手段であるテストを目的にしてしまう力に
なるのですね。

大学進学も似ています。
大学とは人が自分を磨く「手段」でしょう?
なんで「目的」なの?

東大とか京大とかが目的になってしまう日本の社会、
目的にしてそれがヘンでない日本って
・・・・・ヘン。


ああ時間に追われる

2006-08-27 11:33:15 | 学習塾って?
テストでは、実施時期が一種の締め切りであるという
問題があります。
習熟度を測る場合が多いのですが、一つの単元を勉強
し始めて一定の期間が過ぎるとテストをされます。
「できるようになったかな~」です。

この締め切りに間に合ってできるようになっていれば
よいのですが、人によってはあと少しのところにまで
来ている人もいます。
その人が、テストの作り方によっては0点になるかも
しれないのです。もう少し待ってくれれば100点か
もしれないのに。
テストの実施時期によって点数は変わるのですね。
(大規模な締め切りが入試です)

点を左右するものは実施時期だけではありません。
習熟度をチェックするものか、合格点に達しているか
をチェックするものか、入試で定員以下に振り落とす
のが目的か、などでテストの作り方が違いますから
当然、点の出方も変わります。
個人でもテストの種類で得手不得手がでるでしょう。

特に、振り落とすタイプのものは数多くの技術を駆使
されますので、塾などでは対策をとります。
本来の学力にほとんど関係のない、つまらない技術も
多くあります。
模擬試験でもそういう技術の部分でひっかかっている
のか、本来の学力がついていないのか、表面的な数字
よりも内容のチェックが欠かせませんね。
入試が近くなればテクニックの勉強も必要になります
けれど、途中ではまず本来の学力をつけることに気を
くばりましょう。

さらに大切な話になります。
テストは問題の作り方により点数の出方が変わります
が、大げさに言うと、どんな出方でも作れるのです。

最高点、最低点、平均点、得点分布など自由です。
つまり、逆から見ると数字は力の割合を示していない
ということになります。

とあるテストで80点と40点の二人がいます。
力が倍ほど違うか?そんなことはありません。
この二人が100点と95点というテストも作れます
し100点と0点も作れるのです。

したがって数字はあくまで参考。
間違ってしまった内容を確認することが重要です。
テストが手段であるとは、このことです。

点数がよい人も自分に厳しく、何が出来ていないかを
チェックしましょう。





テストを受けますか?

2006-08-26 22:50:57 | 学習塾って?
テストは部分しかチェックできません。
課題の全ての内容を調べるテストなど膨大な量に
なるので不可能です。
ペーパーテストには制限時間がありますしね。

部分しか調べられないのに、それで正しい判定をでき
るか? 大丈夫、できます。

自分達でテストを作り、或いは定評のあるものに参加
し、長い間いろいろとやってみて自信があります。
もちろん、あまりに微細な事は誤差があるでしょうが
学力とか合格可能性とか、まず間違いありません。
(個々の例では違う場合もあります。原因不明です)

経験的に上記のように言うのですが
たぶんサンプル調査と似ているのだと思います。
一定のデータで「全体」を推測できるのです。

では反対に受験者の側からはどうなるでしょうか?
当然のことですが、どこが出題されるか分からない
ので全範囲を網羅して勉強しておかねばなりません。
(ヤマカン、悪くないのですが別の機会で言います)

きちんと勉強しようとして気をつけることは・・

理解し、マトメをし、覚えるべきことは一生懸命に
覚え、その上で自己チェックとしてテスト形式の
問題をやってみる。課題が分かればモトに戻る。
あまりに常識的ですが結局これしかありません。

もしも、テスト形式のものばかりをやって、対策勉強
になるでしょうか?万全とはいえませんね。
テストとは、部分しか載っていないものだからです。

出題されやすいところ、などはテスト形式でカバーが
できます。短時間で一定の効果はありますね。
ただ、それだけでは不充分です。

たくさん同じテスト形式の問題をやっても、それだけ
では、途中から努力のワリには結果が伸びません。

ドリルのようなものでも同様です。
練習には大変役に立ちます。実践では量をこなして
おくことも大切です。
ただ繰り返しますが、それだけでは不充分なのです。


上記のことと繋がりますが、テストを受ける回数だけ
を誇っても、学力向上にそのまま結びつくものでは
ありません。

テストをしたことを活かさなければなりませんね。

テストの回数や種類は適正な所までにしましょう。

過去、進学塾で出会った生徒にこんな人がいました。
どうも、試験を受ければ力がつくとおもっているフシ
があったのです。
テストと授業が重複すると「テストを受けたい」と
いうのですね。
授業は力を伸ばすために受けるものなのに、テストは
チェックをするためのものなのに。

自分に役立つテストの受け方とは

①信頼できるテストを受けること
②継続的に受けること
③結果を冷静に分析し必要な手をうつこと
この3つが柱になります。

テストも使い様、なのですね。


貧乏塾の大風呂敷

2006-08-24 10:36:47 | 学習塾って?
ごく小さな塾が、教育や業界や、について身の程を弁えぬ大きな話
をするのは、サスガに躊躇はあります。
立派な方がご覧になり「何を言ってる」と仰るに違いありません。

私ごときは、そういうことを書かず、身の回りの小さな具体的なこ
とを書けば無難だとは思います。

私の存じ上げている塾の方にも二通りありますね。
普段、こちらが話を振っても、ノって来られない方と、来る方と。
常に大きな話ばかりでは困りますが、あまり無関心のご様子ですと
違和感は残ります。理論はいいのか?ってね。

例え話ですが
小さなお寺があるとします。仏教を真剣に考え、日々のお勤めを
されていると思います。
小さければ仏教はどうでもいい・・ことはありえませんよね。
(もちろん、現実のお寺にはいろいろあるかもしれませんが。)

多少強引ですが塾も同じだと思います。(お寺さんスミマセン)
小さければ教育や業界のあり方を考えないでよいとは思えません。

私がブログを始めたのも、オソマツではあれ、自分なりに考えて
日々の自分に反映させる目的もあるからです。


キャッチフレーズのようにして、チラシなどに立派なことを書い
ておられる塾があります。
私は、上記の理由から、よいことだと考えます。

ただし、口先だけ立派というのもありそうなのですよね。
割合を調査するなんてことはできませんが、少なくとも明らかに
誇大広告みたいなのがあります。どう考えてもアヤシ~。
その口上をどう具体化するか、が整っていないのでは?

例えば『人間を育てます』。。どうするの?と突っ込みたくなる
ときがありますよね。居直られて終わりですが。
「九九を教えることも人間を育てることだ」とかナントカ。

『個性を伸ばす塾です』
だいいち、個性って何?どういうものをどう育てる?と訊けば
「それはネ、人間いろいろ、私が適切に判断して、良い所を
 伸ばしてあげましょう。そもそも・・」
胡散臭いでしょ?

もし、そういうキャッチフレーズの塾がいらして、差し障りがあれ
ばお詫びします。
ウチはこういう方法論があり、具体的にはこういうことをしている
と皆さんに説明してあげてください。通じると思います。

逆に、大きなことを言わない塾のほうが正直なことがよくあります
し、その気分は私もよくわかるツモリです。
だから、業界では「大きな話」をしない方も多いのですよね。

それに「足元が弱い大きな話」は、消耗が大きい。
これは学校を見ていればよく分かります。理念は、理論はご立派
ですよね。さて足元は?

塾の気分としては
「できもしない大きな理屈を振りまわすから学校はダメなんだ。
 問題が解けるように分かりやすく導いてやるのが第一なんだ」

確かにそうだと思います。プライオリティーのありようが違う。

ところが、塾は理論がないから上記のように言うフシもあります。
業界の歴史は浅く、理論は弱い。方法論も少ない。
バカにされている業界だから応援してくれる人は少ない。

多少気の利いた風なことをいうのは、テキトウに教育理論を齧り
都合のいいところだけ頂戴し自己肥大して見せている、なんて
タイプが多そうです。ジミチじゃないのですね。

良心的なパターンとしては、信念のある方が、幸運にも一応成功
し、その経験論と、自分にあう教育論をちょっと飾りつけ
・・こんなところでしょうか。

あるいは私のようにリストラされたタイプの世迷い言でいう
「教育論」
もちろん論にも何もなっていないのですよ。

ただ、それでも理論を追わなければと思うのは、業界の先が見えて
きたように思うからです。このママでいいのかなあ?

安易に、自分の体験だけに基づく「現実への迎合」で仕事を
終えてよいのでしょうか?
今、私達の目の前にいるのは一人一人かけがえのない人間なのに。

まあ、この仕事で金儲けに走るよりはよほど宜しいのですがね。


「出来る子」を集めたら「勝ち」?

2006-08-23 11:29:02 | 学習塾って?
昨日思いきりデカイことを言ってしまって、あと
「困ったな~」

時々は「塾と言うものは」なんて話も書いてみます。
どう考えても私の手には負えないのですが。

塾といっても学習塾ですね。
①進学・受験請負型
②補習型
に大別されますが
③折衷型もありえます。私のところはこれ。
(というより、いずれにも属さないツモリ)

大規模な塾では習熟度別にクラス編成をしていますので
看板は①で経営実態は③なんてのもある。

こんな話、面白くないですね。
やはり私には向いてないか(早い白旗です?)

では気を取り直して
「塾って効果あるの?」くらいから始めましょうか。

私が言うまでもなく、皆さんご存知のように
役に立たないこともあります。
ただ大きく捉えると、役に立つことが多いでしょうね。
まったくダメなら淘汰され消滅しているでしょうから。

皆が行くから、塾に行くという時代もありました。
これも、行かないと差がつく、からと考えると
塾通いには効果があるということになります。

最近は社会の格差拡大の一端を担っているとも言われます。
お金持ちでないと偏差値の高い学校へ行けない。
皮肉ながらこれも塾の力を認めていただいている!

更に、一部の「脚光を浴びている」公立の進学校は
あきらかに塾や予備校の進め方を研究し導入しており
これも、かなりの「評価」を頂いていることになります。

文科省などもシブシブながら塾のとりこみを計るため
一定の認知を与えてきております。

ただ、月謝だけ払って損した、という話も聞きます。
(私のところでなければ良いのですが・・・)

先生と生徒との間に、相性がありますね。
塾も同じです。
適切なときに自分に合う塾へ行けば大丈夫です。
受験対策なら、多少合わない塾でもたぶん何とかセーフ。

それをA塾かB塾か、と選択するのは難しい。
同じ時間では一人の人間は一つの塾にしか行けないの
で比較検討ができないのですね。
Aに行って伸びた生徒、Bでも伸びたかもしれない。
Bならもっと伸びたかもしれない。もちろん
Aの方がよかったかもしれないとも言えます。

ある程度の比較はできるでしょう。
でも商品のようにキチンとは比べられないのですね。

で、結局「合格者数、規模、CM、評判」などが判断
材料になるのです。
進学塾はここが勝負です。

ジツは受験では「通る子は通る」のです。
AでもBでもほぼ通ります。
それで「出来る子」をどうゲットするか、だけが
大きな課題になるのです。
生徒を連れて逃げ、別の塾を作るなんてことまでありますね。

学校でも同じですね。
いかに「出来る子」に来てもらうかで躍起です。
偏差値を上げるウラワザとかも使ったり、ね。

だから「伸び率」に注目ですか?
似たり寄ったりですよ。
伸び率のよさそうなところを集めれば勝ち。

そんな分かりきったことは関係ないという声が
聞こえてきそうです。
勝ち組みへの可能性を求めて、合格すれば良い、
評論家の綺麗言はウンザリ、受験勉強の弊害など
十分承知しているがリスクを冒す価値はあるチャレンジ
なのだ、と。
今の日本はこうなっちゃった。

時間ギレです。続きは明日。
字を大きくしてみました。落ち着かないですね。



塾を活用する法

2006-08-22 11:19:18 | 学習塾って?
ワンパタンの言い方が増えていますが、塾は「手段」
ですから使い方もしっかりしたほうが得ですね。

塾に通う目的は
 入試対策
 学校の成績向上
 勉強をわかりたい
 学校が合わない
などでしょうか。
(重複することもあるでしょう)

実際は個々の方のお考えや事情、時期により様々
ですね。保護者の方のご希望や生徒の気持もそう
です。気持が変わることもあります。

当然のことですが、意思は早いうちに固まって
いるほうが、手段を利用する効果が上がります。

受験では特に本人の気持が大切です。
ムリヤリでは失敗したときに後が難しいですね。

目標がはっきりしていても、手段の使い方を間違える
こともあります。

例えば、入試対策で塾に通う場合
生徒の中には、いわゆる入試テクニックだけを身に
つければよい、と思っている人もいます。
あるいは、出るところを教えてくれればよい、
ドコソコの塾は出題を当てる率が高い、
などと言う生徒もいます。
塾もそういう広告宣伝をするところがありますね。

こういう「楽をしたい」タイプは保護者の方が高学歴
であることが案外と多い気がします。
多くの生徒が途中から学力の伸びを欠いて困っている
のですけれど、情報が伝わっていないのですね。
伸びないことが学問として証明されているか、は知り
ませんが多くの関係者が知る経験則です。

塾もプロとしての仕事ですから「~だけでよい」と
強く希望されますと、それに合わせます。
特に組織で塾をしていると「仰る通りにいたします」
となりやすいでしょう。

それに、受験のテクニック重視のやりかたが、100%
の確率で「生徒が伸びを欠く」とは言いづらいところ
もあります。

ただ、繰り返しますが多くは失敗しているようです。
気をつけられますよう!
現在の日本の学生の学力低下の問題にも結びつきそう
ですが、その究明は学者にお任せします。

さて、塾を利用する上で最も重要な事は何でしょう?

ご自分たちのお考えを塾に伝えてよく相談されること
です。

伝え放しでは不充分です。
塾の考え方もよく聞き、様々なことを話してお互いが
相手の考えを各々充分に理解する必要があります。

話合うなどという、まだるっこしいことが生徒の学力
向上に結びつくか疑問だと思われますか?

そんなことはありません。
反対に、もっとも大切なこと、と思います。

話すと言っても、お互いを無理に一致させることでは
ありません。
お互いの意思疎通が充分であることが生徒のために
なるのです。

塾にも自分達の「流れ」があります。
利用なさる側がその流れに乗ることは大事です。
でも、意思疎通が不充分の間に「100%お任せしま
すからヨロシク」は良くありません。
8.30

塾はピンチ

2006-08-22 11:12:37 | 学習塾って?

進学塾に比べ補習塾は流行るところが、より少ない
ようです。
補習塾は効果があるのかどうか分かりにくいセイも
あるでしょう。
進学塾ならば、合格者数など一定の数字を示し塾の
効果の告知もしやすいし、理解していただきやすい
のですが補習塾はそこが難しい。

見た目でも、生徒が変わった、伸びたということが
見え難いし、伸びていることを説明する客観的な材料
も乏しいのです。
計算プリントの処理時間が何%改善、などと言われて
もインパクトが弱いでしょ?
進学塾ならドコドコ何名!で分かりやすい。

また同じ「点数10%アップ」させても、90点の子
が99点に上がるのならけっこう見栄えがしますが、
30点が33点では上がったように見えませんよね。

更に、この国では受験に関することなら財布のヒモが
緩みがちですが、「補習」へはあまり金離れがよろし
くありません。
もしも(可哀相な話ですが)究極の選択として、一家
に二人子供がいて、有名難関校に合格の可能性が見込
める子と、学校でも真中より下の成績の子と、どちら
かに塾の費用をかけるとしたら・・・

学習の得意な子に費用をかけるのが普通でしょう。
なんたって「学習」塾なんですから。
学習が得意でない子は別の才能を伸ばすように
そちらのほうにお金をかければよいのです。

ただ、勉強は生きて行くことの基礎につながることが
多いので一般の習い事より汎用性が高く、従って補習
塾に通わせ、あまり出費はできないが、一定の学力は
つけたい、ということでしょう。

出費のありかたが本当にそれでよいか、疑問は残りま
すけれど、現実でしょうね。


そもそも高い税金を投入して学校で民主的教育がエン
エンと行われてきたハズなのに、それでもなお補習塾
が存在するのは、いったい何故なんでしょう。

学校が機能しているのに、補習塾があるとすれば詐欺
みたいなものですね。その逆なら税金のムダ遣いが
心配です。

進学の部分だけ塾のマネをしている場合ではないの
かもしれませんね。
なぜ大変な家計の中から補習塾の月謝を捻出される
のか、かなりスゴイことですが、学校サイドの意見
も聞いてみたいものです。
(こんなことを言うとヤブヘビかなあ?)


写真は、やはり先の旅行でのものです。
ジミな文章を補うべく明るい花にしました。
名前は、たぶんカンゾウ。恋忘草。
ヘメロカリスという名札だったか記憶がアヤシイ。
漢方薬のカンゾウ甘草とは違います。

いい仕事してますね(古いか?)

2006-08-22 10:16:28 | 学習塾って?
中島誠之助の著書『ニセモノ師たち』を読みました。
(講談社文庫)
テレビ番組で骨董の陶磁器などを鑑定し「いい仕事
してますね」という流行語を作ったあの方です。
他人から本を頂いたので読んだのですが、面白い本
でした。

特にプロとはどういう仕事振りをするか、という所が
スゴイ。少々威張ってるな、と思いますがそれだけの
自信を持っていらっしゃるのですね。

また、義父から受けた教育の話も勉強になります。
これが「教えない」教育の極致なのです。
デキル人間を作るにはここまで厳しくしないといけな
いのかもしれません。


本は面白かったですが、塾の仕事と比べると、正反対
のところもあります。

中島さんは、鑑定を依頼した人がホンモノであると信
じているものがニセモノあった場合、「ニセモノ」と
は言われません。
プロが鑑定をするとはいかにあるべきか、を考えられ
た結論で説得力があります。
(もちろんテレビ番組とは次元が違う話)

ここが塾の仕事と正反対なのです。
私達は、ニセモノはニセモノと言わなければならない
のです。たとえイヤな思いがお互いの間に生じようと
場合によっては塾を辞められることがあっても。

なぜならば、私達は未来ある有為の人間を相手にして
いるからです。

中島さんの仕事も最後は人と向き合う仕事です。
ただ、人と人を繋ぐ品物が介在します。

塾の仕事は人と人が直接に関わります。
物品ならばたとえ壊れてもし方がありません。
人間は壊すわけにはいきません。

塾の仕事のプロとしては基本中の基本。
決して、自分に入るお金のほうを大切にして
人の将来をないがしろにしてはいけません。

世間の塾が最低限これだけでも守っていれば
業界の認知度合いも違うでしょうにね。

(最後に昨日の話に繋げたつもりですが成功?)
8.31


学習塾で美人になるって?

2006-08-22 09:33:46 | 学習塾って?
マジにYES

世の中に「才色兼備」いらっしゃいますね。
ウラヤマシイ。

美人だから「才」が伸びたのでしょうか、
それとも才があるから美しくなられたのでしょうか。

こんなことを書いてると、ウチのカミサンから
「ど~せアタシは」
といわれそうですが蛮勇を振るって続けましょう。

人の美しさはどのようなもので磨きますか?

もともとご両親から頂いたものは大きいでしょう、
さらに最近ではお金をかけて修正できるようです。

でも多分それら以上に大事なことが
性格、健康、頭の良さ
これらは必須条件ですよね。

そしてこの3つは勉強や習い事に通じるのです。

受験勉強をしながら美人になる、なんてステキな
ことでしょう!

もちろん、受験勉強中とかクラブで忙しいとか、時間
が自由にならない人はお化粧や着こなしなどオシャレ
に割くゆとりは少ないかもしれません。
それで一見目立っていない、人もいると思います。

でも基本的には、塾や習い事に通い自己を磨けば
ルックスもよくなるのです。
強引な話と思われますか?
いや、学習塾の宣伝というより、学校に通っても
ピアノを習ってもよいのです。
そこで自分を磨いておれば、という話です。

勉強をしながら「素直な性格」とはどのようなものか
を学んでください。
人が指図する通りにするのは素直ではありませんね。
「先達」の話を自分で咀嚼し身につけられることを
素直と言います。

従って素直な人はスジがよくなります。
勉強でも「スジ」大切ですよね。

健康でないと勉強は進みません。
勉強をきちんとするということは、健康管理を実行
しているということです。

逆に勉強の側から、健康とか、生活習慣とかを
推し量ることもできます。
勉強見てると家庭での様子が分かるんですねえ。

勉強をすれば頭が良くなります。

頭がよいのと勉強と関係がないという人もいます。
学校の勉強など、さほどしていないのに紳介は頭が
いい、なんてね。

それは間違い。
学校の勉強だけが勉強ではないですよね。
たとえ学校で勉強をしていなくても、本当に必要な
勉強をされていたハズですよ。

よほどの天才を除いて、勉強しなくて頭が良い、など
という人はいません。
していないように見える人はいるでしょう。
でも、勉強をすることだけが頭をよくする方法です。

勉強をしてもよくならない、という人もいますか?
普通のヒトは、やって伸びないということは
ありません。
やりようが足りないか、方法が悪いか、です。

みなさん、ビケイを目指して勉強しましょう!

性格や頭脳が揃ってなくて美人もいるぞ、ですか?
「ちょっと見」だけですよ。すぐにボロが出ます。

9.1