やばそう

2018-06-25 19:12:49 | 塾あれこれ
かなり以前からだらだらと引っ張ってきた当ブログでした。

*塾を止めたのにケジメがついていない

*パソコンも変えねばならない

*長く続けすぎた

*スタイルが時代おくれのままでよいのか

などなど
そこへ

決定打になりそうな通知がきた模様です。

gooの事務局からブログのパスワードを変えろと
言ってきたのです。

随分前からこの無料ブログを続けてきたのですが
gooもついに、お前も多少の負担ぐらいしろと
云うことなのでしょう。
たぶんホンネはそれ。

私としては、金を負担するまでのご立派な発信を
しているわけではないので、できれば無料を、と
勝手な思いがあります。
立ち上げなおすのは面倒という気もします。


いつ途切れてもおかしくない状況でしょう。

その時はどこか別に始めている筈ですから
何かの加減で見つかればよろしく再お付き合い下さい。

ずっと何もしなくなることはないと思います。
ボケ防止に役立っているかもしれませんからねえ

一生に呑む量

2018-06-24 10:34:15 | 塾あれこれ
一生のうちに呑むアルコール量は決まっている、
興味がある説ですね。

先輩Sさんの話です。

「一生に呑むアルコール量は決まっているから
 晩酌はこの程度に限定している」

さらりとした話で聞き流しましたが、あとで
面白い云いようだな、と思いました。

科学的な根拠があるとかないとかの話ではなく
レトリックとして、人生訓として、の面白さです。

私など貧乏性ゆえか自分の呑み分をあせって消化し
今やチビチビとしか飲めなくなってしまいました。
一生の呑み分が、残りあと少しということなのかなあ。


一人一人の分量まで同一なのか
人により違うものなのか

まあ、誤差も大きいかもしれません。

あまり細かい話は野暮というものでしょう。


心拍数と寿命にも似た話があるようです。

掛け算をした量が一定だというものです。

心拍数が少ない人は長生きができるかもしれません。
反対にドキドキが多い仕事の方は短命・・

統計があるのかなあ?

たとえこの説が正しいとしてもこちらにも誤差はあるでしょう。

そうじゃなきゃ
「あなたは何歳何カ月で死にます」
なんて言われちゃいます。

面白くない人生になると思いませんか。

Sさん

2018-06-22 19:36:27 | 塾あれこれ
久しぶりに声を聞きました。
5年以上かなあ。

会社勤めのころよくしていただいた先輩の友人が
Sさんです。

友達の友達は友達、という感覚でいっぱしの仲間面を
していた私です。

今から思えばあちらは後輩に門戸を開いていただけ
だったのかもしれません。

それでも知り合いや、友人の少ない私からすると
たいへん有り難い存在の方々でした。

迷惑ばかりかけていたように思います。

新婚のSさんチには真夜中によく電話しました。

でも一度もこちらに嫌な思いをさせず明るく穏やかに
接してくださいました。(奥様も)

お勤めの会社でも超優秀な方だったようです。

「矢張りね」と思われませんか?


「突然の電話で失礼します。
 私、広島の井上と申します」

「まあ、井上さん!懐かしい~~」

「Kさんですね、御無沙汰しております。
御主人は・・」

年来の大親友もかくや、とばかりの応対です。

Sさんとも、何だか久しぶりの会話で
お互いの病気自慢です。


再会を約して電話を切りましたが
あまりにも遠くに離れてしまった私たちです。

会えるかなあ。

作句

2018-06-20 19:30:05 | 塾あれこれ
見なければよいものに限って目に入ります。
先日は新聞で、とある専門家が
「事実をそのまま記すのは"句"じゃない」
という趣旨のことを書いておられました。

どうせ句でオショーバイをされている方の
我田引水理論でしょう。

そもそも句に優劣をつけるなんて、どうかしてない?


朝陽を浴びる人はたいがい気持ちよく感じるでしょう。

その人が「朝陽はよい」と詠んだら上記の(専門家)
何と仰るでしょうね。

「そのままを詠むのは感心しない」とか
「同じ物がいくつも出来てはよくない」とか

私はそれには「どうかなあ」と思わざるを得ません。

平凡であろうが、事実のまんまであろうが
何が悪いのでしょうか?

気持ちが良いものは気持ちがよいのです。

何人も何人も「道が真直ぐで寂しくなる」と
詠んで何が悪いのでしょう。

一番の人だけに称賛される価値があるのですか?


ま、そんな世界もありうるかもしれません。

でも「気持ちよい朝陽」と大勢が詠う世界もアリです。

上から目線で専門家に否定される必要はないのです。

習い事感覚の句作や添削は良い加減にしませんか?

絵画の世界などでもそうなのでしょうね。

口直し

2018-06-18 20:03:11 | 塾あれこれ
TVの料理番組、一シーンでした。

アラカンのお笑いタレントと40過ぎの料理人が
登場しておいででした。

こんな処にもヘンな日本語が出てくるのです。
若い人のことばかりは言えないようですね。


メインの肉料理にワンプレートで野菜サラダを添えます。

「メインはお皿のここにのせます。
 あと、口直しに野菜サラダです。」

驚きました。
(口直し)はねーだろぅよ、おじさん。

「直す」とは(悪い→良い)という場合に使います。
ご自分の料理がまずいので、口直し!!?

一緒に見ていたカミサンが
「今の若い人は良い場合でも使うらしい・・」

「正しい日本語じゃ、ねー」

「言葉って変わるものヨ」

ここで言語の必須条件である保守性についての講義をしても
嫌われるばかりでしょうから
(犬は昔からイヌと言って居るから通じてきたのです)
「はいはい」・・で終了しました。


しかし、なぜ「付け合わせ」って言わなかったのでしょう?
簡単な日本語なのに。

なぜTV局は妙な日本語を垂れ流すのでしょう。
簡単な編集で済むのに。


思うに、言って嫌われるのを恐れたジジババが見逃してきたのか
あるいはその連中から日本語が壊れてきているのか

W杯西甫戦

2018-06-16 16:49:30 | 塾あれこれ
今回のW杯は気分が乗りませんでしたが
始まってみると流石ですね。

生で見るほどの体力が無いので
スペインvsポルトガルはビデオに撮りました。

その代わり朝から結果を知る恐れがあるものには
一切触らず、生で見る気分で観戦しました。

すごい試合でしたね。

隣国なのに全く違うスタイル
チームの力の強さはそれぞれだし
決定力も素晴らしいものでした。

特にスペインのパス回し
ロナウドの決定力
分かっているのに凄いのですから。

日本はいつになればこのレベルに到達できるのか。
全く不可能なことでもない筈ですが。


成人式

2018-06-13 20:38:38 | 塾あれこれ
成人を何歳からとするか思案中とか。
それは必要な検討でしょう。

それにくっついて「では、成人式はどうなる?」
って声が多いとか。

けれど成人「式」って必要なものなのでしょうか。

卒業式や結婚式とは違います。

成人は個人が育ってなるもので
明治じゃあるまいし今の社会では式は必要ないと思うのです。


社会制度として成人の線引きは必要でしょう。

が、式をあげるものではないですよね。

私は現在「高齢者」に属しますが
高齢者式などをした記憶はありません。

まだ記憶はボケていないと思うのですが

腰ぬけ日本

2018-06-11 20:43:07 | 塾あれこれ
トランプ外交には驚かされますね。

少なくとも「めまぐるしい」
これが好結果を、もしも生んでくるとしたら
「目覚ましい」などと形容詞が変化します。
結果がすべての世界ですが、さてどうなりますか。

それにヘラヘラと追従するのが日本
・・情けないですね

「へっ、今度は米朝首脳会談ですか。
 応援してまっせ、何でもお申しつけ下さい」

これだけのための日米会談でした。

拉致問題は表面的ではないでしょうか。

もし本気なら、もっと圧力をかけるべきです。

口先だけでなく具体策を国民にも説明すべきでしょう。

パチンコを非合法にする、なんてどうですか

アウンサンスーチー

2018-06-08 19:28:34 | 塾あれこれ
いちゃもんで恐縮です。

現在のミャンマーを代表する政治家アウンサンスーチ-
どうも気に入りません。

私が大学でお世話になったY先生の京都大学での「教え子」が
アウンサンスーチー氏であるというただそれだけのことで
昔から関心がありました。

特に彼女が若かりし日、軍事政権から長期間にわたり自宅軟禁され
悪政に抵抗する(星)となっていたころは世界中から注目を集めて
いましたね。

敢えてケチをつければ「建国の父」の娘であるゆえに国民からの
注目を浴びており、それに軍事政権が「火に油」の政策を
とってくれていたからであり、スーチーさんの力はどうであったか・・

その後も苦労が続いているようですが、近年、軍部と折り合いがついたか
民主的な国であるというイメージづくりに利用されている、ように見えて
仕方がありません。

苦渋の結論=軍部との折り合い、とも思いましたが、どうも違うのではないか。
自分の都合で「軍部の圧力」を云い散らし、政治的な無能を誤魔化そうと
しているように見えるのです。

ロヒンギャ問題への無策無能、冷たい視線、などで強く感じます。

国際社会もかなり彼女への落胆が進んでいるのではないかなあ。

母校修道

2018-06-05 10:26:59 | 塾あれこれ
「井上センセ書くのはお得意だから」
あのKに皮肉られたことがありました。
そこだけは才能がある、ですか

確かに書くスピードは速いですけれど
ただそれだけのことです。

挨拶、弔文、契約書、川柳、恋文、・・・

普通の出来上がりでよいのであれば
才は不要

これは訓練でつくられるものなのです。
ただ、ひたすら書く、ただ、書く

(日記をつける、手紙を書く、ブログをする
仕事上の文を進んで書く、何かを参考にする
調べることを億劫がらない、辞書をひく
名文を書きうつす
他人の目になって推敲する
・・)

これで一定のレベルに達します。
スポーツに似ていますね。

小説などは次元が違いそうです。
挑戦する気にもなれないですね。
どうして、ああ嘘八百を書けるのか、不思議です。


ああ、私が自分を誉めているのでは決してありません。
このブログを読んで下さる方はお分かりのように
つたないことしか書けていません。

(ときおり「実験」はしています。
省略などに挑戦していますが、ダメですねぇ)

ま、ともかく多少書くことはしているのですが
これは子供のころからの勉強に始まっています。

中高で母校であった修道での教育が大きいような
気がしますね。
これだけは感謝できそうです。