カバヤ文庫

2007-12-31 11:11:11 | 塾あれこれ
カバヤ文庫というのもありました。
菓子のポイントを集めて本を貰うという仕組みです。

駄菓子屋の天井近く万国旗のようにしたカバヤ文庫の
宣伝があったような気がするのですが
自信はありません。

カバヤ食品のサイトには昭和20年代とあります。
何か一冊貰った記憶があるので30年代も初めはまだ
サービスが続いていたのではないかなあ。
20年代に私が貰うのはマセすぎているのでね。

『モンテクリスト伯』という記憶があるのですが
これも不鮮明です。

本が貴重だったのです。
貸し本屋が成立していたのですから。
(子供はマンガ立ち読みでしたけれども)

マンガも読みましたが本も読んでいました。

小遣いが1日5円、貸し本屋で物語本を借りると
1日10円。
なるべく分厚い本を借りて翌日までに読み上げる
ということをしていました。
何を読んだか等の記憶はサッパリありません。

現在のように本があふれる時代になって反対に本を
読まない人が増えています。
ハングリーのほうが良いのかもしれませんね。

カバヤ

2007-12-30 10:37:39 | 塾あれこれ
昨日の本の続きです。
『2B弾』を買ったのは多分一枚の写真ゆえ。

現在はHPで見ることができますが、あの頃は
本でないと見られなかったのです。

この本の63ページにその写真が載っています。
カバヤの宣伝カー。
写真は名刺1枚くらいの大きさで、あまり鮮明なもの
ではありませんが、買ったときは貴重でした。

今、カバヤ食品のサイトを見ると昭和28年から翌年に
かけ本物のカバを移動動物園としてPRに使われていた
そうです。
カバは当時(今もまた)珍しい動物だったのですね。

同じ頃、自動車のボディーをカバそっくりに作った
宣伝カーも製作されたそうです。
これが西日本を回って子供たちを喜ばせたのですね。

「口を開けるぞ」
「うそだ~」

たまたま自分の町に来た時に見かけられればラッキー
なので私も数度しか見たことがありません。

口を開けるのは小学校低学年の夢かと思っていまし
たけれども、開けるタイプの車もあったそうです。
あれは本当だった。。。

小さな子供から見ると運転席の高さが二階くらいに
見えたものです。

この宣伝カーも昭和34年にはなくなったそうです。

ところで本物のカバ
今も動物園に暮しているのです。
いしかわ動物園。
カバでは国内最高齢。
彼女もいろいろ転居の多い生涯ですねえ。

銀玉戦争の日々

2007-12-29 10:29:57 | 塾あれこれ
米沢嘉博・式城京太郎共著で新評社
『2B弾・銀玉戦争の日々』という名著があります。

昭和57年の初版本を何故か私が持っています。
私はケチなもので単行本は買いません。
文庫本ばかりです。
それなのに、なぜか買っていた。

昭和30年代の子供世界を甦らせてくれる本です。
カタログのように書いたと本文で言われますが、
ただ列挙されているだけでなく、あの世界を再現
させることが出来ているのです。

後書きにアイテムを列挙したところがあります。
「グリコのおまけ、アトムシール、2B、コリスガム
カバヤココナッツキャラメル、銀玉拳銃、月光仮面」

まだまだ続くのですがこれを見て興奮しない団塊世代
はいないでしょうね。

初版が昭和57年!
すでに30年代はレトロだったのです。

他のページを覗いてみましょうか。

82ページには
宇宙ゴマ、手品セット、忍術虎の巻、「火が出るX
ピストル」「これはすごい倍率100倍の顕微鏡」
エジソンバンド、白土三平、犬万、マブチモーター
という名詞が並ぶのです。

84ページなら
「紅孔雀」「風小僧」「黄金孔雀城」「高丸菊丸」
「月光仮面」「少年探偵団」「七色仮面」「伊賀
の影丸」「赤銅鈴之助」「まぼろし探偵」「ゴジラ
の逆襲」「宇宙大戦争」
・・まだありますが写すのが面倒になってきた。

まあこんな具合で
遊びや生活雑貨や沢山のものが「カタログ」され
ています。

まだこんなものもあったぞということを思い出し
ますし、地域の特性を加えると、どれほど豊かな
世界があったか、まさに宝箱の時代でした。
(続く)

宇品神田神社横の浅いプールで

2007-12-28 09:57:38 | 塾あれこれ
最近カミサンが当ブログをチェックしてるらしい。
どうも悪口予防のようです。

ブログの感想は「暗い」
もっと前向きな明るいことをという注文です。
そう言われてもねえ。

私はボヤキ漫才体質なのです。


「責任者、出て来い」で有名になった人生幸朗生恵幸子
も初めは苦労されたそうです。
やっと吉本興業に入れたのが昭和38年。
東京オリンピックの前年ですね。

吉本に入ったあと人が変わって明るくなられたとか。


昭和30年代のボヤキ漫才は都家文雄という大御所が
おられたそうです。
(よって幸朗師匠も苦労された)

地方都市で育ち、寄席芸といえばNHKラジオでしか
知らない私は文雄の芸を記憶していません。
ラジオ出演自体も少なかったでしょうし、聞いていても
子供では味わうことは出来なかったでしょう。

恥ずかしながら、小さい頃は百生や今輔が好きでした。
子供が笑える芸だったのですね。
少年になって円生や文楽をスゴイと思いました。
志ん生より百生という子供では芸は分かりません。

子供でも芸の分かるやつは大勢いたでしょう。
当時はガキが落語を「評論」しても当然でしたね。


いま昭和30年代がブームとか。

でも、同じ30年代といってもかなり変化しています。
オモチャを例に挙げてみましょうか。

初め頃は学校で模型飛行機を飛ばして滞空時間を競う
催しがありました。
我が土堂小学校でもありましたね。

竹ヒゴとニューム管で骨組を作り、紙を貼った飛行機
です。
グライダーとゴムでプロペラを回す二つのタイプが
ありました。
垂直尾翼が下向きになっている型がありましたねえ。

20年代から続くそのブームを片隅に追いやったのは
プラモデルです。
国産のプラモデルは33年くらいかららしいのですが
私が覚えているのは超ヒット商品。
三共製作所の簡単キットです。
ゼロ戦が一機30円でした。
これが35年くらいから。

羨ましかったのがハセガワの「戦艦大和」
モーターで水上を進むのです。

広島市という「町」に出てきて間も無い私は
宇品神田神社隣の公園にあったコンクリートの
浅い水槽でプラモデルを浮かべて競う子供たちに
驚きました。
「金持ちばっか・・」
私は1機30円を4機で精一杯だったのですから。
ゼロ戦とかメッサーシュミットとか。

動くプラモデル、あこがれました。
(戦艦が右舷に傾いたまま進み潜水艦みたいになった
 のは笑ったけれども)
つい数年前は木製の模型キットが子供には組み立てが
難しく大人の出番だったのに。

それが38年、タミヤの動く戦車シャーマン何とやら
が登場し、またまたびっくり。
リモコンで「蒲団の荒野」を自在に進むのです。
自走砲なんてのは玉も飛び出る!

わずか4~5年でこの変わりようです。

昭和40年からはスロットカーのブームになります。

ゴムで飛ぶ飛行機から10年でスロットカー
こんなに変わってしまうなど誰が予想できたでしょう。

懐かしむなんて言ってられない?激動期でした。

ただその30年代も現在の我々の感覚そのままを当て
はめて正確にわかるか、すぐそこだっただけに却って
難しいところがありそうです。

夫婦が手を取り目をみつめる・・どう?
アリ?昭和30年代。。。

(続きはあす)

フランダースの犬・・

2007-12-27 08:25:43 | 塾あれこれ
『フランダースの犬』は日本人しか受けない、という
ことを検証した映画ができたそうです。(←新聞)

日本人に異常に受けて外国人は感動しない、という
話は以前聞いた覚えがあります。

そのとき「ふ~ん」と思ったのは私も
「人間だから心は似ている」という思いがあった
ということになりますね。

つい自分の感覚を他人も共有していると思うのです。

英語文化を強要する米国人を悪く言いながら
自分でも似たような感覚を持っているのです。


似た話はどこにでもありそうですね。

国籍や人種に限らず、同じ日本人でも男性と女性と
違うかもしれないし、世代間では大きいハズ。
モチロン、時代を隔てると大変に違うところが
ありそうです。

三田村鳶魚が戦前戦後の歴史小説に描かれた江戸時代
について「ウソばかりだ」と書いています。
大仏次郎クラスをバッサリ斬って捨てますね。
さすが大先生。

現代の感覚をそのまま江戸時代にもってゆくもの
ですから妙な人物や社会が出来上がるのです。

時代小説とは現代を投影させるものではありますが
ある程度は抑制が必要ですよね。
最近の江戸時代モノには笑ってしまうようなヒドイ
作品が多いそうです。

テレビドラマにも妙なものが多いようです。

例えばすぐに人の体に触りますね。
泣いたり感動したりで画面では役者がハグ状態です。
夫婦が手を取りあって目を見つめるとか。

そんな、バカな。

誤ったイメージを与えるのでナントカして欲しいですね。

同じ人間とはいうけれど

2007-12-26 09:58:27 | 塾あれこれ
日本語が達者な外国人Aと
Aの母国語が使える日本人Bがいるとします。

この二人の間で外国語を使うか日本語を使うかは
どちらがより上手かで決まります。

もちろん外国語勉強のため特別に決め事をするなど
は別として。

あるときBさんが言いました。
「Aさんが日本語が上手なので、ついそればかりで
 意思疎通しているけれど、Aは必ずしも日本文化
 と同一の発想をしないことを忘れることがある」

言葉を上手に使うことでその文化が身についていると
思ってしまうのですね。
一定の理解があることとそれを肯定することは別。

カタコトを話す人相手ならば気をつけるのでしょうが
ふっと錯覚を起こすそうです。

Bさんのように意識をきちんとしていれば別ですが
無自覚に同化を求める人も地球上には多いでしょう。
特にアメリカ人は無邪気にそうなる人が多いのでは
ないでしょうか。


言葉を学ぶことはその文化を学ぶことでもあります。
英語帝国主義を警戒する声がありましたよね。
最近は聞こえてこない気がしますけれども。

英語はツールとして使い、文化は自分たちのものを
しっかりと守る、ということができればよいのすが
上記の二人の話を裏返したカタチで文化を押し付け
られたり、強要されたり、いつのまにか自分の文化を
忘れている人も多いのではないでしょうか。

悲しくても腹はへる

2007-12-25 09:33:32 | 句など
『悲しきといへど腹減る眠くなる かく浅ましき人でありしか』

『喪に服し大飯くらう情けなさ』


先頃亡くなられた高山辰雄の作品に子供が一心にモノを
食べている絵があります。(←名画)

子供は可愛い様子をしていますが、高山は
「哀しい」と言います。

動物は他の生命を頂かねば生きられません。
その哀しみが純粋に現れているのがこの幼な子
であるということでしょう。

生きるということはその意味で真に哀しい。

こう思うのも日本文化に流れる仏教の影響でしょう。


ものを食べるということは恥ずかしいことです。
我欲をさらしているからです。
性行為とさほど違わない世界なのです。

巷ではどんな場所でも食べています。
まさに「欧米か」

そのような姿が恥ずかしくてなりませんが
そう思うこちらが時代遅れの骨董なのでしょうね。


子供の時分には食事の姿をヒトサマに見せるなど
考えられませんでした。

(谷啓は人前で食べないという話ですね。
 シャイなのです。これが当たり前ですがね。)

ただ、分からないのは昔の人も花見などでは平気
ここんとこよく分かりませんねえ。


ともあれ、恥ずかしながら人並みには食い意地がある
私です。
情けないと思っている分、余計に情けない。

上記の狂歌、川柳となる次第です。

せめて高山の絵の子供にあるような無心が1%でも
わが身に残っていれば。

このところ酒量が増えて・・
あ~あ

進歩しない国家

2007-12-24 09:50:46 | 塾あれこれ
薬害肝炎の大阪訴訟で和解が不成立となっていました。

昨日のニュースでは議員立法で一律救済との案が
示されているようです。


先月11/23に水俣病のことで触れましたが
被害者がなぜ譲歩しなければならないか
まったく理解できません。

「国」は全面救済を図るべきです。
詭弁を弄して裁判を引き伸ばすことばかりを
しつづけてきた国です。
責任を認めず、患者の苦しみを引っ張っても平気な
神経でないと国家公務員は勤まらないらしい・・

死ぬのを待っているのではと勘ぐりたくなります。


過去にも同様のことは数え切れません。
薬害エイズ、アスベスト、水俣、原爆症認定・・
いくらでもあります。
みな同様に責任は認めず、救済範囲を限定し、ひとの
足元を見てなるべく安く「金で解決」
いつも同じ構図です。
{国民の税金は無駄遣いできない、ですって}

この姿勢が年金の問題にも底で通じているのです。


だから今回の原告は「金ではない」と言っている
のでしょう。
責任の問題なのです。

今までは、市民を困らせ、引き伸ばし、責任は認めず
一定の金で片付けてきました。

それを社会が見逃してきたので、問題が深刻になり
薬害肝炎や年金等あきれはてる事態になったのです。

問題を「一部の人間が騒いでいる、政治に利用してる」
としか見ていなかった多くの国民の責任もあります。

無責任なお役所仕事を看過すればこうなるのは必然。


今回の立法での薬害患者一律救済は、しないより
はるかに進歩しています。
色々お考えになられるのですね。

ただその衣の下から見え隠れするものは
国家の責任を認めることだけはしない、という考え
ではないでしょうか。

国民の反発がそちらへ向かうことをおそれている
「対策」なのですね。

どのような法律が出来あがるのかにより話が変わり
ますけれども、厚生行政のみならずこの国のあり方
を問いなおすものであってほしいものですが・・

対症療法だけになるのではないかなあ。


三権分立論を都合の良いように持ち出される政治家が
おられました。
司法の枠内での対応と。

「へ理屈」「詭弁」の類にしかすぎません。

自民党にもしっかりとした政治家はいらっしゃるで
しょうにそんなものを持ち出してはいけません。

原告は行政の怠慢に対して他に手がないから司法に
訴えているのです。

根本は行政の問題。

なぜ被害者が国家を相手に戦わねばならない?
何の罪も無い市井の人間が、です。

司法の判断の範囲に行政が縛られると言うのは
まことに自分達政治家に都合のよいモノイイです。
マスゾエさん、国民はあきれてマスゾエ。

自分達の失政を自分たちで解決しないツモリかなあ。

(議員立法はこのあたりもうやむやにするのです)


財政負担が大きすぎる?

だからこそ将来変な仕事をしない歯止めになるのです。
何億円積み増す、なんてことで手を打っていたらまた
似たことをやらかすハズです。

今回の原告側の和解拒否はそこへ追いこまれたといえ
苦しくも立派な判断であったように思います。


人気取り政治でよいか、などという自称現実主義者が
必ず出てくるハズです。

政治家から見れば「人気取り」の積りかもしれません。
でも国民からみれば当然過ぎる話です。

ご自分はクールな判断と思われるでしょうが当然の事が
分からないからそんな発言ができる可哀相な人。


二度とこんなことは起こさない、その覚悟を示してほしい
と期待します。

食えんものは食えん

2007-12-21 09:24:51 | 塾あれこれ
朝の食事を否定しているのではありません。

私の経験では体力が無いから食べられなかったのです。
夜更かしをしていたのでもありません。

近年あちこちで朝食抜きはバカになる、といわれ
やっと自分のバカの原因が掴めた私です。
バカですね。

朝ご飯を食べない人は(科学的に脅かされている)の
でありますけれども、もしも私程度で構わなければ
気にしないで朝を抜いてもよいのです。

もちろん健康が第一ですから、抜くよりは
キチンと朝食というほうが良いに決まっています。

繰り返しますが徐々に改善してゆけばよいので
あまり気にしないほうがよいと思います。
気にしすぎて胃が痛くなっても誰も責任はとって
くれませんから。


朝を抜く子供は病気の面でも心配がある、という話を
聞きました。
確認はしてませんがそういう傾向もあるでしょうね。
弱いのですから。

夜更しなどで朝食べないというのはよくありません。


知力、体力、精神力、想像力これらが成績に影響する
のは当然です。

これ以外にも個人のパフォーマンスと成績とに一定の
関係が疑われる事柄があります。

そういう調査があったかどうかは知りません。
私の個人的な経験からいうことです。

もちろんある程度の話であって、必ずそうなる、など
という類のものではありません。


字が乱暴な人
整理整頓が苦手な人
夜更かしする人
言葉遣いの下手な人
礼儀に欠ける人
挨拶がキチンとできない人
服装に問題がある人
消しカスがザラザラしている人
トイレを汚す人
時間が守れない人
忘れ物が多い人
ものを丁寧に扱えない人
ダルそうな姿勢をする人
すぐに誤魔化したがる人
責任感が薄い人

以上のような人は成績が伸び難いような
気がします。

(私もいくつか該当していて・・)

朝食ぬきはロクなものに・・

2007-12-19 11:02:19 | 塾あれこれ

実は昨年9/12にも同様のことを書いています。

先の全国学力調査と合わせて行われた学習状況調査
でも朝食のありかたと学力との相関が示されていまし
た。

統計で見ると朝食抜きの生徒は学力に差が出ると
いうもので、常識とも合致することです。
これだけをとればかなり以前からも指摘されていた
ことでもあります。

統計というものは一定の割合を教えてくれるだけで
すが情報を与えられた側は(分かってはいても)なお
それが殆ど、のようなイメージを持ってしまう傾向が
あります。

新聞もテレビも学校も塾も一斉に「食育」を叫びます。
公の機関がこう言ってる、専門家が言ってる・・

こういう新しい言葉をつけた大騒ぎには冷静になる
必要がありますね。
メディアに躍らされてはいけません。

新しい言葉は新しい概念があってつけられます。
それを逆手にとって、新しい言葉をつくって大騒ぎを
おこそうとする人もいるのです。
キャッチコピーかな。

もちろん無視はいけません。
まったく根拠がなくては大騒ぎもできませんから。

大騒ぎに気付いたら自分で考えましょう!


体力と学力には一定の関係があります。
朝ご飯を抜くと体力はできにくい。
そこで、朝ご飯抜きでは勉強が、となります。

ただ逆に、体力がないから朝ご飯ぬきになる場合も
あるのです。

目に涙をうかべてエづいている子供に、ムリヤリ
朝ご飯を食べさせても栄養にはなりません。
「新聞に書いてあるから、朝ご飯食べないとバカ
 になりますよ」

どうしてもそう言いたいかたは以下のように付け加え
られてはいかがでしょう。

「井上教室のジジイも朝ご飯抜きだったのよ。
 ああはなりたくないでしょ」