喫茶店で女の子に

2011-04-30 10:20:47 | 塾あれこれ
ラジオから懐かしい歌が。
松島詩子『喫茶店の片隅で』


今の広島三越近くに喫茶店ムシカがありましたが
その近くに大きめの喫茶店があったと思います。

外を歩く人や入ってくる人をチェックしやすい席で
まだかまだかと待っていました。

大学1年だったでしょう。
中高一貫の男子校を出たばかりですから女の子とお茶
なんてそれだけでドキドキでした。

しかも、相手からのお誘いです、なんと!

まだ自分の姿を知らない年でしたね。
あと1~2年もすると、いやというほど現実を味わい
自分がモテルわけがないと気づくのですがね。

頭がよく、スポーツも上手、明るく、可愛い。
・・すごいでしょう?


高校は当時としても珍しいバンカラ男子校でした。
ありていに言えばモテナイくん集団。

ところがごく一部、何拍子もそろってモテモテの奴も
存在し、いくつかのグループを作っていました。

私の友達に明るい(ヒョウキンなほど)座持ちがよく
皆から愛されるヤツSがいて、彼の親友にモテモテ君が
いたのです。

大学に入り同級生の多くが広島を離れると
友達グループが寂しくなり、再編も起きていました。
その流れで私もSの紹介を受け、一二度モテル君たちの
集まりに同席したことがあります。

女性陣も高嶺の花ぞろい。

私など小さくなって終始し「二度と行かん」


女性陣に学部が近い人がいまして、その方からの
喫茶店へ呼び出しです。

授業なんか自主キャンセル。(あったりまえ)
指定された喫茶店に赴いたのです。

さて、30分後、目の前の彼女は大粒の涙を流し
私を残したまま喫茶店を走るように出て行きました。

彼女はS君の親友に恋心を抱いていたのですが実らず
そのことを私に「セツセツと語った」のですね。
挙句の涙、なみだ。

私はポカンとするしかない。
生まれて初めて女の子が泣くのを見たのですから。

モテル君と私は顔見知り程度です。
なんで私に訴えるの?

今でもよくわかりません。

私に女心が少しでも分かれば対処ができたのかも
しれませんが、あまりのなりゆきにボーゼン。

よくある、二番手に話をするとか、打ち解けたヤツに
悩みを告白するとか、でもありませんでしたからね。

突然、勝手に呼び出しておいて、なんなん?


半月後くらいでしたか、「ぼくに何かできることがあれば」
と連絡をとり、同じ喫茶店に呼び出しました。

・・・3時間も待ったかなあ。
すっぽかされちゃった。

モテないを絵に描いたような話ですね。

小佐古が参与辞任

2011-04-30 10:20:01 | 塾あれこれ
友達って書くと誇張だと叱られそうです。
高校で同クラスだったというだけ。
たしか1クラス60人近くいましたよね。

真の友達は何と呼んでたか知りませんが
みんなは「びんそー」って言ってましたね。
そう呼ばれると、怒ってたなあ・・

偶然に出会った話は以前書きました。


原発には反対の私ですから、小佐古クンの仕事内容は
よく分かりません。
(賛成派でも素人に学者の仕事が分かるわけないけど)

もちろん研究そのものは大切です。
私は原発行政や電力会社の仕事ぷりが疑問なだけです。

かといって御用学者などと言われる仕事なら残念。
推進派でも様々な仕事の仕方があるでしょう。
繰り返しますが、私にはどんな仕事か、判断できません。

ただ、今回の参与辞任は正しい。
いろいろ言われるかもしれませんが気持ちは分かります。

彼も少年時代、広島の空気を知っているはずです。
そのころからの将来の夢が核の平和利用であったかもね。
おぼろ気な記憶もあるのですが。

周りから見る政治の世界と、一歩踏み込んで見た世界と
大きく違っていたのではないかなあ、と思います。
とんでもない世界に利用されてはいけません。

決断や、よし。

発芽要素・・これがね・・・

2011-04-29 14:23:15 | 本の話
ええか、植物の発芽には温度・水・空気
この3つが必要なの。
光はいらんけーの。

種は土の中じゃろ。
光が無うても芽は出るんじゃ
教科書にも赤い線引いとけよ。

・・結構、苦手な生徒もいるので強調したものです。


ところが

「植物の約70%は発芽に光が必要」

なのです。

田中修 著『ふしぎの植物学』中公新書

詳しくはこの本をお読みいただくとして
それを知っていれば「発芽の三要素」をどう教えるか?

進学塾では、上記の光のことにはまず触れないでしょう。
受験に出ないことは教えないのが鉄則です。
教えて万一生徒が混乱したら、と発想しますからね。

(現在の日本のダメな部分の遠因かもしれません)

こちらが正しいことを知らずにいるのは論外ですね。
教科書をやみくもに信用するのは情けない。

「光がなさそうなところへ芽生えて大丈夫?」と
子供が正しい疑問をいだいたときに
実は間違っているくせに大人がそれを笑い飛ばせば
子供にせっかく芽生えかけた科学への心が失われるかも
しれないではないですか。

ではモヤシってなんだ、という疑問も浮かびますね。
・・ぜひこの本をお読みください。


中学生でも読めるかもしれないような
優しい語り口の本です。

被災地ご訪問

2011-04-27 21:59:05 | 塾あれこれ
本日も天皇皇后両陛下が被災地を訪れておられます。

ニュースで拝見するたびに、有り難く涙がでます。

思えば昔から天皇は国を思ってこられました。

万葉集の冒頭(第二首)に舒明天皇の御製がありますが
『・・望國し給ひし時、御製の歌』として

『・・國見をすれば國原は煙立ち立つ・・』

この場合は『うまし國』を詠ってハッピーですが
良きにつけ、悪しき時も、國見をされて
お心を示されてきました。

その長い伝統が、TVのお姿にはっきりと見える気がします。

人でありながら、ただの人間を超えておられる、
そんな気がするのです。

お叱りを受ける表現かもしれませんが
「ナミの人間にはとうてい到ることあたわざる世界」

それを思うとじわっと涙が出てしまいます。

このお二人がおられなければ日本はどうなっていたか。
有り難いことですね。

カミサン大ぶ~いんぐ

2011-04-26 20:32:42 | 塾あれこれ
母が亡くなった前後のことはまだ書く気になれません。


尾道に一人で住んでいた叔父が十数年前に亡くなった折
私はまだ進学塾に勤めていました。

70をはるかに超えて体力が減退しかけていた叔父ですが
入院などするわけでもなし、まだまだと思っていました。

冬。
部屋で突然、亡くなり、ご近所が発見して下さった。。。

「2~3日見えんなあー思いよったら・・」

奥さんに先立たれ子供もおらず今でいう独居老人ですね。

叔父からみれば義理の姉である私の母と
甥の私が急遽、駆けつけました。

冬の尾道は何だか寒かったですね。

彼はガチガチの無宗教であったのですが、母は型通りの
葬式を上げないと近所に悪いと思ったのでしょう。

かといって金はありません。

○○祭典のようなところに頼んで20人ほどの小さな
はっきりいえば見かけは御粗末な葬式をあげました。

1時間ほど居るだけの住職がお布施にびっくりするほどの
金額を言い、非課税でそんなに稼ぐの?と驚きました。

近所の方には葬式でご遠慮願い、火葬場には母と二人。

帰りのタクシーで見た夕焼が強く印象に残っています。

『永かった 尾道さらば 冬夕日』


当ブログを長くお読みいただいている方はご存知ですが
私は「小せー」「セコい」「後をひく」男ですから
このとき仕事で葬儀にも出られないという人が
弔電すらも打たずにいて、後日、小額なりといえど
遺産の取り分を当然のごとく要求したのを忘れられません。

母も「小額じゃけ、あんた取りゃええ」と言ってくれましたが
それで、後あと言われるのもシャクだしね。

母が生きている間だけの付き合いにしよう、と決めました。

後になってこういうふうにグズグズ書くと言う処が(小せー)
・・カミサンが嫌うところです。


葬儀の前後には人間が驚くほどクッキリと浮かびます。

嫌になった人間とは後の法事など顔も見たくないですよね。

自分で好きに参ってくれ!墓に行くなとまでは言わないから。


有名人は我々と違い立派な葬儀をあげなければなりません。
ですから私が常識外れかもしれないのですが
「そこまで演出する?」と思いましたね。

死にゆく配偶者に葬式用の録音をさせ、流しますか?
「シーンなんとやら」でカチンコを打ちますか?
打って泣くのもウソ臭く見えてしまいます。

参列者もTV視聴者も泣きました。
そりゃあ、泣くでしょう。
私だってウルウルきます。

それは、それぞれの人の中に思いがあるから。

でも、だから式の演出を色々やって泣かせればよい
というものではありません。

あの日タクシーのヒザで、コトコトいってた骨壷は
叔父の色々なことを思い出させてくれました。

小さな葬式だからといって天国で怒っていないはずです。
(彼は無宗教だった・・)

人それぞれに泣けばよいのです。

演出はどこか不純。


・・・こんなことをね、酔っ払ってしゃべってたら
カミサンから大ブーイングをくらっちゃった。

「人それぞれなんだから、あんたも黙ってろ。」

仰るとおりですねえ。

花水木

2011-04-25 22:09:45 | 塾あれこれ
ハナミズキが咲き初めると花蘇芳の影が薄まります。

人気がスマップから嵐に移るようなものです。
たとえが下手?

やっと春爛漫、暖かさも本格的でしょう。
ほっと一安心です。

ハナミズキ?ハナミヅキ?

難しいですね。

横道にそれますがとある番組のタイトルに「くぎずけ」

これって正しいのかなあ?
「くぎづけ」じゃないのかな?

単なる間違いか、意味があるのか、私が間違いか
その辺り考えると(夜も眠れない)

このテの悩み事って多いですね。

日本語の先生は概ね「言葉は変化するものだから」と
気になさらないようです。
いちいち取り上げるのもウルサイですしね。

ただ、そこまでほったらかしでよいのか、とも思います。

(正しい日本語)という概念や、運動には必ずしも
賛同できかねますが、近頃はヒドイですねえ。

子供の日本語から、家庭の日本語がある程度推測を
できます。

家庭も学校も地域社会などもみんな注意しないのでしょう。
注意するだけの気力がないのか
間違っているとも分からないのか。

言語はほぼ全ての思考の基本ですから
この状況は気になります。

感覚ですから後から直すのは難しいのです。


ところで、方言。

これは大切ですね。
方言や外国語の能力が高い人が共通語でも綺麗な文を
書けるようです。

方言には訴える力がありますから授業には欠かせません。

共通語で授業しながら普段の言語生活でナマっている先生。
これが、どうも・・・・←偏見?

自分のセコい話

2011-04-24 17:22:54 | 塾あれこれ
書くことがなくなっちゃったんですかねえ。
自分のセコい話を披露します。
小っちゃい話で恐縮。

先日、メルマガ購読を断りました。
十年くらいは送ってもらっていたでしょうか
まだあの頃はメルマガというものに勢いがありました。

だいたい私は人の話を聞きませんから
メルマガでも情報だけならばよいのですが
身辺雑記となると面倒に思います。

それが十年続いたのですから向こうに力があった
ということですね。
私がブログを始めたのも間接的な影響があったかもしれません。


通信販売もしておられる店で、メルマガで情報を送るのが
営業の一つなのですが、私も時折お世話になりました。

もっとも、最低単位しか買いませんから良い客じゃない。
スーパーで特売品しか買わないのと似ています。

けれども長年に亘って毎週お話を読んでいると錯覚がうまれ
なんだかお友達のような気分が生まれます。
(私の方だけですよ)

送る側はどうなのか聞いたことはありません。

もちろん、お友達気分は営業にプラスに働くはずで
その空気を醸成するだけでも文才や商才があることの
証明になります。

自分で名前を明らかにしてブログを始めた今、はっきりと
分かることはマイナスを生まないで発信し続けることの
難しさです。

私は居直って、マイナスでも構わないから発信をしていますが。


そんな有益なメルマガをなぜ断ったか。

それがショボイ話なんです~。

かなり以前から感じていたことなのですが
お友達なら商売の時に対応が違うだろう、ということが
しばしば続いたのです。

こちらの勝手な思い込みで、そんなことを言われたら
あちらさんもビックリでしょうが、人間ってこういう者。

例えば対面販売で顔見知りになれば
「今日はそれじゃなくてこっち買いなよ」
「明日、特売だから、それ今日買わなくていいよ」
とか、教えるのが普通の商売ですよね。

スーパーのように置いてあるパックを買う、のじゃない
人間が存在してるからこそできるサービスです。

反対に顔なじみでもそんなサービスをしない店は
客が悪化しますよね。

で、たぶんメルマガを書いている店主と窓口のおねーさん
または、おにーさんとの連絡が上手くいってないのかなあ
と思うのです。

この人はいつもちょっとしか買わないけれど十年もの客で
お友達気分も生まれているだろうから、そこを弁えるべし
なんて情報が行ってないのです。
あるいは店主(しゃちょー)が顧慮していない。(こっちか)


ある程度大きなところでもありますよね。事務の弱さ。

大きかないけどDAYS JAPAN 

ここも事務営業が、ちょー御粗末
記事の格調高さとの違いが大きいですね。

『週刊金曜日』がそうでした。
山野上さんが辞めてしばらくして購読しなくなったのは
新しい編集長の方針に?というだけではありませんでした。

一言でいえば客との対話が下手。


セコイ話でした。

ある品物を注文したのですよ。
そうしたら数日たたないうちにその品が特売2割引きに
なっちゃった。

そう。
恥ずかしながらそれで頭に来ちゃった。
ふつう言うだろ、と私は思うのですが。


まあ、強引に一般論にもってゆきますと
色々な客がいるということ。

私みたいにムリ筋で自分勝手に怒っちゃう
なんて人もおられるかもしれません。

こちらが思ってもいない反応もあります。
誤解、期待されすぎ、などコミュニケーションの問題も
ありうるでしょう。

その際、クレームを正しく伝えてくれるかどうか
そうではないことも多そうです。
塾なんかそうではないか。


今回の私の場合は、ムコウさんが「せいせいした」で
万事終了ですが
クチコミに頼る小さな塾は(上手く意思疎通できていれば)
ということが案外あるかもしれませんね。


本日はちょっこし鯛を天麩羅にしてもらいます。
家康みたいになるかなあ・・・

酒は「一ノ蔵」
東北の酒だとカミサンの購入許可がおり易いようで、へへ。

中道風迅洞さん

2011-04-23 18:40:03 | 塾あれこれ
『なにがなんでも
書くことすれば
みちにおのずと
ちから増す』

慣れだろうとは思うのですが
初めての形式って難しいですね。
お恥ずかしい出来で申し訳ありません。

上記は織り込み都々逸、七七七五(三四・四三・三四・五)
にはしたつもりです。


先日、新聞に、中道風迅洞さんが亡くなられたとありました。

もともとNHKの記者で、すでに90歳を超えておられたとか。
そういえば、いらっしゃいましたね。

年に何度も聞くわけではないのですが、時たまラジオで
都々逸の選評を拝聴することがありました。

一度聴いたら忘れられないキャラクターです。
アナウンサーなんか叱ることもありましたね。

ちかごろ珍しい「超辛口」のコメントでした。

お話のレベルも高そうで(都々逸なるものの洒落が?でして)
寄席などでは気楽に聞いていたけれど
「これは難しそうな世界だな」と思いましたね。

最近までラジオに出演されていたろうと思いこんでいましたら
09年が最後だったとか。

つい最近聞いていたと思うのはインパクトの強さの証明
なのでしょうね。

こんな方がお亡くなりになり、甘く柔らかい人ばかりに
なってしまいます。

辛口はおカマちゃん以外には存在しなくなるのかなあ?

朝日の経済コラムに

2011-04-22 22:17:00 | 塾あれこれ
朝日新聞の経済コラムに「反原発派は数字を示さない」と
書いてありました。

無視をしても構わないほどアホくさい文章ですが
最近の大学生程度では「さよか」と思う者もいそうで
少し私の意見も書いてみます。
情けない世の中ではありますねえ。

人の命や生活が関わる基本的な話をする場合
数値がそれほど偉く人情論は御粗末なのでしょうか?

唐突に起きた原発事故で着の身着のまま逃げ出した被災者が
どのような思いをし、どう生活しておられるか、将来への
不安がいかに大きいか、これらを「数字がないから」と
退けられる(偉い方)のシンケイを疑いますね。

数値で原発を推進した連中の行きついた先がどうですか?


そもそも「原発推進派」のいう数字とは東電の宣伝文句の
受け売り、現状追認でしかないのではないでしょうか。

例えば日本の発電源別発電量では2007会計年度で
原子力発電がおよそ22%となります。(『電気事業便覧2008』)
およそ1/4~1/3くらいだろうなあ、は常識でしょう。

推進派なるものの「数値」もこのレベル以上に有効なものは
ないのではないでしょうか。(叱られるかな?)

早い話(東電側からデータが出てきていない)し、細かい数字が
どれほどこの場合に有用か、怪しいことなのです。


原発是認をいう人は、現在の役割は替わるものがない
地球温暖化対策にもよい、代替はどうする、時間は?
このくらいの論拠でしょう。

反対派は、これほど危険であれば推進する意義を失わせる
これにつきます。

数値が必要ですか?
細かい議論では必要となるでしょうが、数字がないから
非科学的とも言いたげな論者は本気なのかしら。

だれも一気に元に戻せなんて非現実的なことは言わないし
言っても仕方がないことですよね。


そうは言っても必要悪として、なんてクジューの意見を
お持ちの方もおられるでしょうが、そこまで仰るならば
東京23区に原発を作ればよいのです。

田舎に押し付けておいて、やむを得ず必要なものだから
というのは人間としてどうなんでしょうね。


当面、将来への大きなプランと直ぐに始めるべきことと
二面から考えねばなりません。

我々はまず節電から。

5%ずつ落とせば7年で3割カットできます。
しんどいけれど届かない数字ではありません。
皆が名前を出して努力すべきですね。
政治家や役人は特に。


匿名は良くないことです。
無責任につながるから。

朝日のコラムはこの意味でも問題ですね。

JIN始まりましたね

2011-04-21 20:55:02 | 塾あれこれ
終わった当時は、続きそうな終わり方なのに
続編の見通しがないとか宣伝されていました。

まあ(二匹目のどぜう)は難しいのでしょうが
良いお茶なら二煎目でも勿体ないほど旨いですからね。


モノスゴイ視聴率をとっているドラマに間をあけて
私が平凡なことを言っても、とは思いますが、少し。

JINについては前回09年11/22にこのブログで
魅力について書いています。
今回も基本的には変わらないでしょう。

テーマ音楽を聞くだけで「良いな~」と思いますねえ。

2時間モノだけに、ちょっと粗いかとも思いました。
酔払って見てるから間違っているかもしれません。

前作は映画のようなカットや編集が目を引きましたが
今回は印象に残っていません。
慣れちゃったのかなあ。

そういうテクニックを充実させておかないと
荒唐無稽が浮いてきちゃうので案外大切ですが。


マンガ独特の粗っぽさゆえの面白さは随所にあります。

「んなワケねー」とか「ここ間違い」「筋が通らない」
など例によってわーわー言っていますと
カミサンさんが煩がりますねえ。

でも、突っ込みが多いのは面白い証拠です。

昔の映画やドラマだって嘘ばっかし(小説も)
同時代に見る人に何ゴトかが伝わればよいのです。

作者が伝えたいことをストレートに叫んで構わないと
いうのは、漫画原作ドラマの良いところです。

ただ2時間のセイか、ちょっとそのテのセリフが
多かった?
「今の日本はこんなことで良いのか・・」


麻生さんが病気でふらふらのとき
縁側まで腹ばいになって出てくるシーンがありました。

いくらなんでもアレはいけないね。
演出家のミスでしょう。

商家の奥様でもそういうことはありえません。
誰かの手を借りてでも、きちんとした姿を整えます。
それらに裏打ちされてあのキャラになるのですから。

時代劇はウソばかりだから、とはいえ
できるだけ「らしく」作らないとドラマの盛り上がりに
まで微妙な影響がでますよ。


「ついこの間までこうだったんだ。」
「現代は恵まれているなあ。」
「昔のこんな良い面がなくなっちゃった。」
「これはちっとも変わっていないね。」

なんて感想の向こうに人間の普遍性が見えてくる
そんなドラマですねえ。

毎週日曜日を期待しましょう。