ナショナルジオグラフィック

2010-01-31 11:27:41 | 塾あれこれ
最新2月号が日本語版の15周年だそうです。
もうそんなになりますかねえ。

15周年だからでしょうか、充実しています。
表紙もコピーして載せたいほど楽しいですね。

カラフルで見て楽しいというだけではないので
ちょっとヒトコト。

within one cubic foot

一辺が1フィートの立方体を金属枠で造り
世界のあちこちの地域で、その立方体へ訪れる生物を
記録したものです。

生物学者の協力も得、枠の範囲内に訪れる生物を
3週間ほどチェックし、おおむね1ミリ以上のものを
写真に撮るのだそうです。

例えばコスタリカの林では鳥が5種類、植物が24種
昆虫が100種500匹以上。

その美しいこと。

『小さな世界の豊かな生態系』という副題が
ついています。

未見のかたは是非、書店でご一覧下さい。
バレンタインのギフトよりきっとはるかに美しい!


伊藤若冲の連作に『動植綵絵』があります。
宮内庁所蔵。
大変に有名なものですし、先日もNHKで放映されて
いました。
その『動植綵絵』のうち『貝甲図』のイメージと
上記のナショジオの写真のイメージが似ています。
番組では『貝甲図』を製作するときに参考にしたであろう
木村兼葭堂のコレクションも紹介されていました。
  
若冲の図では、浜辺のものとか深海のものとか
現実では共生しない貝たちを一同に集めて楽しい絵です。
150以上は色々な貝を描いているのではないでしょうかね。


within one cubic foot では同時性に驚かされます。
飽きませんね。

塾の話でした

2010-01-30 15:04:28 | 塾あれこれ
いつの間にか脳科学に移り、また政治に移りと
話がふらふらして申し訳ありません。

どんなツモリで始めたか分らなくなり
シリキレトンボの話が沢山あるようです。


塾選びと言えば何と言っても合格実績を上げられる方が
多いでしょうね。
受験産業ですから当然です。

数字が出ますから分り易い。

昔から塾が宣伝する数字の信憑性を疑われてもいますが
一定程度の信頼はおけるものでしょう。

ただ、普通ならそんなことはなかろうと思えるような有名な
塾でも妙なことがありましたから(証人、証拠あり)
100%の信頼はおけません。
現在は、個人情報の保護ということもあり、以前にまして
確認しづらくなりましたしね。

チラシに載せてある数字は信頼度が落ちる・・かもね。


次に、その塾(だから)通るのか。
入試に通る子はAの塾でもBの塾でも通るものです。

だから生徒の獲得合戦になります。
たとえ儲からなくてもよいから、できる子を獲得すれば
勝ちです。
(モウケはどこから来るかと言うと・・・)


私の昔からの口癖は
「通るのは本人の力、落ちたら塾が悪い」

もちろんこれ以外のこともあります。
「お願いだから少しは塾の言うことを聞いて」という場合も
ありますよね。

(聞いてるツモリで)という困ったケースもありますし。


能力のある先生とそうでないのと比べてみますと
案外差が小さいと思います。

科学的調査ではなく、私の経験=感覚の話で恐縮ですが
力が同じ生徒を20人ずつ引き受けたとしましょう。

大学を卒業したばかりの若い先生でも10~12人くらいは
難関校に通すのではないでしょうか。

10年やってる先生で15人
よく通すベテランで17~8
その先生でも20全員通す年は滅多にないこと。

同じベテラン、力がある先生でも、生徒がワンランク落ちれば
10人通すのはかなりきついはずです。

塾から見た受験ってこれくらいの感じだと思います。
(あくまで個人的な感想ですのでご理解下さい)

では、クチコミの信頼度は?

「あそこのラーメン美味しいよ」というのよりは
信頼がおけないのではないでしょうか。
個人差が大きすぎるのです。

もちろん、クチコミも大切な情報ですが
難しい面もありそうです。
(つづく)

暴言の平野は罷免に値する

2010-01-28 11:46:12 | 塾あれこれ
普天間移設に関する平野の「民意は斟酌しない、
法律でどうにでもなる」という発言には
がっかりいたしました。

各メディアやネットでも批判や意見が多いでしょうから
私は脳科学を先に書けばよいと思っていましたが
日増しというか時間ごとに腹がたつのです。

現在は、民主党支持≧自民党支持の気分を未だに持ちますが
このままでは変化するかもしれません。
私のみならず多くの人も。

早くに罷免しないと、参院選に響きますよ、民主党さん!


自民党の石破政調会長もTVで言ってましたが
「だったら、選挙の前にそれを言わなければ」
という発言が正しいのです。

自分にとって面倒な民意が出たら、国会で多数だから
法律でどうとでもする、と要の大臣が言い放つとは
民主主義の精神がカケラも無い話じゃありませんか。
一種のサギですね。

「これだけで選挙したわけではない」と発言していますが
開いた口がふさがりません。
一番の争点とみんな認識していたのですから。

「ぶん殴ってやりたい」とはとある議員の発言。
その気持ち分りますね。

「自民党もいけなかったが、民主党も同じか」
という(ヤハリ)の気分が民主主義を壊すのです。

私が、学生のように青臭く「民主主義」というのは
そこが崩れると、社会や経済が壊れるからなのです。

平野は自分の問題として目前の普天間だけでノーテンキに
言い散らすのでしょうが、政治家は国家百年の計を重んじ、
自らの不利益を耐えるのが本筋でしょう。

彼に公僕の精神があるか?

仕分けの人選のときなど、青くなって小沢に飛んで
謝りに行くくせに、メディアの若い記者に向かっては
オレは偉いんだ、という態度。
国民主権がどこにあるのでしょう?
だってメディアの記者は国民の代わりですから。

その姿をテレビカメラの前で見せることの政治的な
意味が分っているのでしょうか?

官房の仕事の不具合は一々いうヒマもありませんが
能力不足、対外的な政治でも欠陥が大きいのでは?

平野の発言を鳩山が擁護するって
どっちが総理でどっちが官房長官なんだか・・

(文中敬称を略しています。失礼。)

「私と本とどちらを信じるんだ」

2010-01-27 11:28:06 | 塾あれこれ
中2だったかな、中3だったかな、学校の授業中に
ある生徒が「先生、本にはこう書いてありますが」と
発言しました。

先生「いやそれは、カクカク・・」

との説明にも生徒が納得せず
生徒「でも本と違うように思いますが」

先生「君たちはボクと本とどっちを信じるんだ!」
大勢の生徒「ほん、で~~す」

先生が怒りましたね。
「じゃ、本を読みなさい。授業は要らんだろう」
教室を出て行かれた。

後に大蔵省に行った(らしい)M君が級長だったか
当時からしっかりしてたのですね、クラスを代表して
職員室に謝りに行った、なんて事件がありました。

私たちその他大勢は、どうすべきか右往左往のときに
M君は「じゃ、ボクとだれそれとで職員室に行くから」

周りよりちょいとばかし大人でしたねえ。


目玉のS首相が引退のときに「テレビはどこだ?
新聞はウソばかり書くから会見場から出てゆけ」と
見得をきったのは有名な話です。

最近になって、そのS首相がアメリカと密約をして
しかも国民にはそんなものはないとウソをついていた
ことが明らかになりました。

テレビはどこだ、は自分のウソをごまかそうという
二重のウソだったのです。
民主主義を尊重するカケラもない、
バカな国民は騙しておけという政治だったのです。

先だって天下のY新聞が当時の首相のウソを
「やむをえない」と弁護をしていてあきれました。
この新聞社は経済万能主義らしく、お金が回れば全てよし
という乞食根性が染み付いていますね。

日米同盟重視=米国に尻尾をふるメディアの代表格です。
もちろん「基地は沖縄へ!」とノタマウ。

国の独立より、国民のプライドより、民主主義より、お金。
原発や基地は田舎へ。
その代償には一定の補助金をバラまけばよい、と仰る。
で、ご自分たちは快適に裕福な首都圏暮らし、だ。
金かけた巨人が強くてよかったね。

それがこの国で一番発行部数が多い大新聞なのです。
日本て、経済偏重に過ぎません?


一見、信用が高いメディアには騙されやすいもの、
騙しやすいから「テレビはどこだ」と芝居をして
元首相はノーベル賞を頂いちゃった。

同様に、塾のオッサン≦TVに出てる大学の先生
信頼度が違う!
それが普通の感覚です。
私だって、われを忘れて「テレビ!」

確かに、脳トレの先生と私とが対決すれば、結果は
火を見るより明らかです。
でも、素朴な感覚の方が勝ることもあるのです。


こんなことを喋っていると、カミサンが

「数年前に『デフレは終わった、インフレが怖い』
 とか言ってたのはダレ?と突っ込まれます。
 麻生は3月に必ず解散とかも言ってたよ、ねー」

人間、間違えることもあらーな・・

脳科学ブーム

2010-01-26 11:58:47 | 塾あれこれ
先日の讀賣新聞に、日本における「空前の脳科学ブーム」
に対してOECDが注意を喚起している、という記事が
載っていました。

何事も外国から言われなければ反応が鈍い悪しき国柄
の好例ですが、記事にならないよりはマシです。
まだまだお金儲けのネタになるであろう(脳科学モノ)に
一石を投じたのですから。

学者レベルに到らずとも学生レベルでも多少まともな人間
ならば「脳科学ブーム」には安易な行き過ぎの部分があり
人々をミスリードしたり、妙な営業に使われていたりする
ということに疑問を抱いていたハズです。

以前このブログでも触れたことがあります。('07.5/26)

私如きが何を言おうと説得力がありませんが。

何しろ相手は国民的な?著名人。
大学の偉い先生。

カミサンだって「私とTVとどっちを信じる?」に
「テレビ!」と仰る・・AH・・

まあ、私のいうことはその時の直感、素朴な疑問ですから
反論にはなっておらず説得力がないのも仕方ありません。
それ以上の書くものを持たない情けなさです。


今回の讀賣の記事でも、画像を見せると妙に説得力が増す
と触れてありました。
私も、その辺りをもう少し書けたハズですが
血流が多いことを示すだけで一挙に結論に飛んでよいのか
大いに怪しい説明が流行っていますね。

繰り返します。
偉い先生がエスタブリッシュされたメディアから発信される
ことは、当然、数多くのチェックを経た信じるに足ることと
イメージされますから、説得力を持ちます。

目に訴え、分り易くなった「驚くべき」話は
ヒット商品に結びつきやすいのです。

(続く)

ため息ツィター

2010-01-24 19:30:30 | 塾あれこれ
「昔が良かったねえ」
最近はこればかりでカミサンに嫌がられますが
利点も多少はあります。

現在の流行に対して別の視点を用意できるのです。
若い人より強い。

人類の長い歴史、特に文明文化を持つようになった
人間にとって、ただ若ければ価値があるという時代は
異常とも言えるのですが
現代の日本はトシヨリの旗色が悪いのです。

混沌としていて意思決定にキメテを欠くときこそ
トシヨリの出番なのですが、今の若い親は
ネットでランキングを調べるような
横並び主義の意思決定に終始しているのかも?

ネット上の皆さんにとっては良いかも知れないけれども
自分にとって本当はどうなのか、
子供にとってはどうなのか。

お試ししてダメならすぐ変えて済むものかどうか。


人間は、私も含めて自分の思う内容に近いことは聞こえ
それから外れれば外れるほど聞こえなくなるようです。

懇談などでも何度もお伝えしたはずなのに
その都度「ええ、その気になってくれないで」とか
「勉強しなさいとは強要しないでいます」とか
仰っていたハズなのに・・
なんてことも過去にはありましたねえ。

昔はショックを受けたものですが。
「話が通じていない!」

よく考えればあちらの話がこちらに通じていない
私が聞こえていない!なんてこともありえますから
ショックを受けてはいけないのですけれども。


人と同じことをして、違う意見は聞こえないで
このようなことが
保護者のみならず、学者も、学校や塾の先生も
役人も、検察も、マスメディアも・・・

小沢VS検察

2010-01-23 20:22:41 | 塾あれこれ
でっかいタイトルですが、いつもどおり根拠が無く・・

「たぶん、どっちもどっち」
という感じがしますね。

チャンチャン。


常識で考えて、片方が一方的に正しい、などは
考えにくい世界らしいからです。

とはいえ、その世界を私が知ってるのか?
判断に根拠があるか?

まったくシロウト話で恐縮です。

日本を動かす政治家のレベルでは旧来大変にお金が
必要であり、ギリギリの資金運用をしている・・
これは多分ウソではないでしょう。

そこへ形式的な法の適用を持ち込み大騒ぎしてみせる
ということは、小沢幹事長でなくても納得できない
でしょう。
「小沢的政治世界」の金の部分をよしとするわけでは
ありませんが、強い権力が生まれかけているところの
足を引っ張る政治効果は大ですね。

本来は推定無罪のハズです。。
たぶん途中でウヤムヤの結論に終わると思いますが。


検察が常に正しいものかどうかにも疑問が多く
提出されています。

例えば
魚住昭著『特捜検察の闇』文春文庫

検察にも問題がありそうですね。

もちろん本に書いてあることが本当かどうか、
私には判定はできません。
本の内容もオオウソかもしれませんよね。

読んだ限りはかなり説得力があるように思えますが。


独立した機関が力を持ち独走を始めると危険です。
民主主義の危機とも言えますね。

関係者が自分たちエリートの思う正義を信じ、
独立した権力を恣意的に働かせるようになって
強い思い込みで官僚的な仕事をやり過ぎると
外からの意見が聞こえなくなるのですね。

旧日本軍の上層がそうだったように
想像力が欠如してしまうのです。

もしかすると自分たちも間違えるかもしれない
取り返しのつかないことにならないようチェック
しなければ、などとは思わなくなるのです。

ハートが磨耗するのは、菅谷さんに対する検察を
みていれば分りますね。
人のかけがえのない人生など「ヘとも思わない」


マスメディアは権力者(政治家とは限りません)に
べったりと張り付き、一方的な価値観を煽ります。
情報が偏れば国民も間違えますよね。

松本サリンのときの報道の反省が今のマスメディアに
あるでしょうか?

こうして民主主義国家の形をした(官僚独裁国家)が
できあがってしまうのですが
今の日本はどんな段階にあるのかなあ。


マスメディアでは日米同盟の危機だの、
鳩山首相の無能だのと書きたてています。

民主支持が減ったのに自民が増えないのはなぜ?
などと不思議がってみせます。

でも、どこも同じことを言っている現在の情況は
かなり妙です。

何かがマヒしかけているのかもしれませんね。


小沢VS検察

さて一体誰が得をするでしょう・・

(自民党ではありません)

塾を見極められるか?

2010-01-22 22:21:59 | 塾あれこれ
テーマが大きいと身に余るからかもしれませんが、
つい全体の話から始め途中でダレてしまう
悪い癖があります。

本来は細かいところが肝心なのですが。


政府の経済政策に対し、具体策が見えないという
批判があります。
その是非はさておき、それと似たことが塾などの
モットーにも言えます。

「人を大切にします」

当たり前だろ、と突っ込みたくなりますが
それはその塾長のお考えですからぐっとガマンして
「で、どういう具体策があるのか?」

ここを抑えなくてはいけません。
場合によってはただのお題目になっているおそれも
ありそうです。

具体策らしきものがあるとしても、有効なことかどうか
検証しなくては、なりません。

毎日、塾の開始時に「ひとつ、ひとの世は・・」などと
唱和していたりしても役には立たないでしょうから。

学校の校長訓話、なども同様と言えば叱られますか?
ご本人は「確かに効果は上がっている」と数字を言われる
場合もあるでしょう。

でも因果関係が証明できるのかどうか。

教育とはやっかいなもので、目先その時に効果がある
だけでは全く不十分な証明にしかならないのです。

人間の人生が掛っているのですからちょこっと調査して
「このンヶ月で確かに伸びています」はどうでしょう。


分りやすくするために話を小さくしましょう。

計算能力をあげる、という看板が上がっているとします。

「本当ですか?」

「はい、私どもは○○方式を採用し、これは△大学の調査研究で
 効果がこのようにあるという報告がなされている・・」

なるほど客観的な効果が見込めるでしょう。

ただ、それが7割の生徒の力を上げたとして、
残りの3割の人はどうなのでしょう。

別途、補習して終了でしょうかね。

こういう発想を否定しないと現代の教育は
閉塞状況から抜けられないと思うのです。

薬を飲むのではありませんから、何割か利いてよし
とはできません。
教育は全員に効果があることを考えねばなりません。

それを無視すれば、出来ない子が増えるのです。

進学塾ができる子ばかりを相手にする、のと何ら
違いがないことになりませんか?


具体策は効果の証明が難しい、という話をしようとして
またもやズレてしまいます。

スミマセン、また続けますね。

色んなケースがありますが

2010-01-20 22:11:37 | 塾あれこれ
昨日は「~します」という話に疑問符をつけるという失礼な
態度に出た私ですが・・その続きです。

「教育は教育機関だけでしているわけではない」と
反論もありえます。
仰るとおりの面もあると思います。

ただ、であるならばご自分の処が立派に教育するという
看板をぶら下げておくことが許されるのかしら?
都合のよいところを強調し、まずければ逃げる、のは
教育者らしくありませんね。

学校はさておき、塾では
「教育?そんな大それたことはできません」
という正直な、もしくは居直ったことを言われる方が
結構多くおられます。

我々は受験請負業だ、と仰るのです。
保護者の方にも結構多くおられます。
塾ごときが教育とはおこがましい話だ、というわけ。

教育は学校でやってもらうから、塾は受験のことだけを
請け負ってくれればよい!そのために金を出すのだ!
下手に教育効果などを考えて受験に差し障ることのないように
してくれ、とまで言われますね。

塾はそう言っていただくと、ある種、楽になります。
(見下されている気分は残りますけれども)

受験勉強をガリガリとやらせる、これは楽です。
ここまでご家庭でできるようにしていただかないと
とか、プリントの山を渡して覚えさせてください、とか
やって、あとは授業を上手にすればよいのです。

できなければ生徒や保護者のほうに責任があるのです。

合格率を上げるために通りそうも無い子をやめさせる、
というコソクな手段をとる塾も案外多いようです。
少なくとも通りそうな子を大切に対応しますよね。

落ちたら「あと少しでした。ザンネン」とか
いくらでも言い訳は利きます。

「この勉強態度じゃ通らない」などと(正直)を言い
ギャクギレされることだけはないように
けれどもいつでも言い逃れできるようにしておく
これが受験塾の鉄則です。

「スイマセン。全て私の力不足です。
 本当に申し訳ありませんでした」
「でも、最後は本当に良く頑張った、ね?
 あと少し時間があれば・・
 受験って何があるか分からないものです。
 ただ、頑張ったことは確実に力になっているから」

・・これくらいのリップサービス?でどんなもんでしょう。

もちろん上記が本当に当てはまることもあります。

また少なくとも塾の側は本気でそう思っている、がしかし
他にやりようはあったという場合もあるハズです。

最悪なのは、心ではちっとも思わないで口先だけで
逃げて、月謝丸儲け、というタイプですね。

でも、それをどうやって識別できるでしょう?

更に重要なことは、受験勉強に本来の勉強と矛盾する面が
もしあるとするならば、受験ばかりを目標にしてよい
のでしょうか。

ムチャをする塾はそうはないと信じたいですが
教育としてあるべきことへの意識が薄くなるおそれは
あると考えます。

したがって「受験請負でよい」とは思えません。

教育とは何か、いかにあるべきか
ここをきちんとした上での受験でなくてはならないのです。

たとえ、どんな保護者がおられようと。

(続きますが、小沢VS検察についても書きたい・・)

塾選び

2010-01-19 22:17:03 | 塾あれこれ
結論から言うと、決め手のようなものはありません。

・・チャンチャン。

とはいえそれではあまりにも簡単すぎるので
二三思いつくまま以下に書いて見ます。

例えば、結婚相手を選ぶ、なんてことに
(これで決まり)という方法があればアヤシイですね。

「出来れば、お金持ちで、ルックスが良くて・・」
こういう一般的な希望は誰でもありますから
言及しても仕方ありません。

塾なら「安くて、近くて、きれいで、先生がよくて・・」

でもそれでは、具体的にとなると、決定打なんてありません。
たまたま運よくめぐり合えばラッキーですよね。

塾も人も「選ぶ」のではなく「出会い」だと思います。

幸い私は良いカミサンにめぐり合えた。。。ハハ。


結構、自分の宣伝ばかりしている怪しげな当ブログですが
まれに「良いこと言うねエエ」と仰っていただくことが
あります。
とっても面映い。

お世辞と思えばよいのですが、信じたい自分が恥ずかしい・・

ま、それはさておき、「であるから子供をお前の塾へ」と
言ってくださると慌てます。

だって、それで良かったことがないんです。

だからウソが多い「怪しいブログか」というと、
本人はそうは思っていません。(←当たり前じゃ)

なぜ上手くいかないかと言うと
ブログに書いていることは「自分の思い」であって
実行できていることかどうかは別物だからです。


私の塾だけじゃないでしょう。

世間に学校も塾もゴマンとあって
みなさん立派なことを仰います。

それが幾分かでも実行されていたら、今の教育界は
もっと立派な仕事が出来ていますよね。

やれ「人づくり」「個性を伸ばす」「勉強をしっかり」
素晴らしい言葉が並びます。

全体を見渡すと、政治家よりも言行不一致が大きい業界
かもしれません。

宣伝ばかりで何もしていない、ということではないハズ。

理念、信条、校是、目標・・・を打ちたて
カリキュラム、シラバス、各種研修もして
打ち合わせをし、細かい指示も出し、チェックが入り・・

皆さん、きめ細かくやっているのに、ですよ。

出来ないことだから打ち上げているのかなあ

「文武両道」とか「人格形成」とか
塾でも「人を大切に」とかなんとか。

それほど難しい、もしくは未発達な部分が残る仕事の
ように思えますが、未知なる部分が多いということは
それだけ大切で複雑な分野であるかもしれません。

それをよいことに、怪しげな教育方式が通用するので
困るのですよね。

反省しつつ、話を続けますが、スミマセン、明日。