世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。
えー、ある人が、「老人の宝は過去であるが若者の宝は未来にある」と言いました。そうかもしれませんね。ただし、すべての老人にとって過去が必ずしも宝でないと同様、すべての若者にとって未来がイコール宝であるという訳でもないですね。未来は宝となる可能性を持っているということでしょうかねえ。ただ過去はどうしようもないのにくらべて、未来はどうにかなるという強みがありますよね。
ただ、未来があるということばは魅力的ですけれども、これにも罠があってですね、「明日がある、明日がある、明日があるさ」とかいう歌がいつか流行りましたけれども、ある人が「明日から禁煙」そして「明日から禁酒」と書いているのを見た友人が翌日再び訪ねてみたらその張り紙の前で一杯やっててプカプカたばこを吸ってて、何だ「明日から禁酒」「明日から禁煙」って書いてあるじゃないかって。だって「明日から禁酒」って言ってんだろうていうふうなことで言ってたんですけれども。
まあその明日を明るい日にするかどうかは、今日を真剣にごまかさないで怠けないで力一杯生きるかどうかにかかっているというふうに言えると思うんですね。そのために昨日がでたらめであってはいいって訳じゃありませんし、明日というのは今日の結果ですし、今日はまた昨日の連続であるからですよね。
だれでも明るい未来を持つために本当は明るい過去が必要なんだと思うんです。でも残念ながら幼子を別にして過去に一つの汚点もないという人はありませんよね。良心の曇りを拭き取って自分をこう顧みてみると、数々の失敗や罪が思い出される筈ですね。他の人は知らなくても自分の心は知ってますし、自分の心がたとえ忘れても神様の目から隠れることはありません。その神様の前に素直な心になって罪の赦しを求めますならば、神様はキリストの十字架の血によって私たちの過去の罪に赤線を引いてですね、過去の一切の汚(けが)れを無いものにしてくださるという。
聖書の中に、「だれでもキリストのうちにあるならば、その人は新しく造られた者。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなった。」(2コリント 5章17節)というふうに書いてあるんですね。新しい明るい明日への希望を与えてくださるということなんですね。神の前に罪の赦しを求めて新しくしていただきたいというこの決断を「今日」することが明日を新しくすることだというふうに思いますねえ。聖書の中に、「今は恵みの時、見よ今は救いの日」(2コリント 6章2節)とありますから、「今」を大切に、「今日」を大切にして明日の明るい日を築いて欲しいと思いますねえ。
( PBA制作「世の光」2006.01.30放送でのお話しより )
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