goo blog サービス終了のお知らせ 

 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■あばらの骨から / 板倉邦雄

2011年07月06日 | Weblog
2011/7/6放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「あばら骨から」という題でお話ししましょう。始めに創世記の2章の21節から23節を朗読します。

 主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。 (口語訳聖書)

 男性は土のちりから主なる神様によって造られました。しかしふさわしい助け手としての女性は男性の体の一部・あばら骨から造られたのです。まさに男性と女性は初め一つの体、一つの心だったことになります。

 ですから男女が互いに惹かれるということは当然のことなんですね。結婚によってのみ男女が一身一体になることは神様の定められた法則なのです。

 男性は自分のあばら骨が自分の胸に帰ってきて欲しいのです。そして自分の助け手となり支えとなって欲しいのです。そうでないとあばら骨の1本がないのでちょっと寂しいのです。逆に女性は自分の元いた居場所に戻りたいのです。その胸に抱かれて安心と喜びを味わいたいのではないでしょうか。

 そこで女性が男性の胸のあばら骨から造られたということが理解されてくるでしょう。

 ユダヤ教のある教師はこの聖書の箇所をこのように解説しました。

 なぜ女性が造られたのが頭の骨ではなかったのか。それは男性を支配しないためである。なぜ足の骨ではなかったのか。それは男性に踏みつけられないためである。あばら骨から造られたのは女性が男性に守られ支えられ胸近くに育まれるためである。

 なるほどと納得させられますね。

 しかし現実の男性は妻や恋人に対してどんな振る舞いをしているでしょうか。この女性こそ私の体の一部、私自身だ、と愛し慈しんでいるでしょうか。また女性は夫や恋人にどのように振る舞っているでしょうか。太すぎる骨で心の中がぎすぎす、ごつごつしている場合はないでしょうか。逆に細すぎて心の中を冷たい風が吹き抜けるということはないでしょうか。

 聖書のことばです。

 妻たる者よ、夫に仕えなさい。・・・夫たる者よ、妻を愛しなさい。つらくあたってはいけない。

 コロサイ人への手紙3章の18節と19節

  ( PBA制作「世の光」2011.7.6放送でのお話より )


******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
PBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっ
そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

******

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。




この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■あなたのそばで / 山中直義 | トップ | ■赦していますか / 福井 誠 »