2025/2/1放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
私の担当する今週は、聖書のルカ福音書8章から、種を蒔く人の例えから、聞くことについて一緒に学んでいます。
良き聞き方の三つ目が今日のところです。それは「実を結ぶ」聞き方だとイエス様はおっしゃいました。
良い地に蒔かれた種はフカフカの土に守られて、やがて根っこが出てきて土の養分を十分に吸収します。そして芽を出し、陽の光を十分に浴びて光合成をしていきます。根っこが伸びることを邪魔する岩地も太陽の光を妨げる茨もありません。
そうすると良い地に蒔かれた種は百倍の実を結ぶのです。砕かれ、悔い改め、守り抜き、耐え抜いた種はやがて一粒が100粒の種になるまで花を咲かせ、実を結ぶこととなります。一粒の花の種が翌年には花壇にいっぱい溢れて咲いていくように、増え広がっていくのです。
あなたの心の良い地に蒔かれた種は今度はあなただけの実りではない、あなたを通して誰かの土の上にその種を落としていくことになります。この100粒の種が更に次の季節には1000粒へと実を結んでいくのです。
聖書の他の箇所に「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。」(コリント人への手紙第二 9章6節)とあります。
私の好きな画家にミレーという人がいます。この聖書の箇所を絵にした『種を蒔く人』という絵では、農夫がまだ日が昇る前の朝焼けの中で大きく手を振って種を蒔きます。まだ先が見えない暗がりの中で今蒔いた種がいつか芽を出すことを信じて、力強く足を大幅で一歩一歩進めていきます。
イエス様は今日もこの農夫のように、私たちの現実に聖書のことばの種を蒔いてくださるのです。「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう」と聖書のことばにあるように、私たちの人生に豊かに実を結ぶことを期待して、信じて、今日も大きく手を振って、私たちの心の隅々にまで聖書のことばの種を蒔いてくださる。
ですから私たちもこの聖書のことばの種を豊かに実らせ、隣の土地に種がこぼれるほど、溢れるほど実りを待ちたいと思います。
もし今日あなたの心が道端のように踏み固められていたとしても、イエス様の鍬が入れられていくとき、岩は取り除かれ耕され、良い地にしてくださるのです。
( PBA制作「世の光」 2025.2.1放送でのお話しより )
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