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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■どこにいるのか / 福井 誠

2019年10月23日 | Weblog
2019/9/18放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。

 継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがありますね。今日も聖書を開いてまいりましょう。ヨブ記14章10節から「どこにいるのか」と題してメッセージをお伝えします。
 「しかし、人は死ぬと倒れたきりだ。人間は息絶えると、どこにいるのか。

 ヨブ記は非常によく構成が整った内容になっています。まずヨブが自分の信条を語り、三人の友人たちがそれぞれ、ヨブのことばに対して自分の考えを述べていく。そしてまたヨブが語り、三人の友人が語る。繰り返しの構造がありますねえ。その繰り返しを読んでいくのは結構忍耐を要しますが、そこに人間の人生を深く考えさせられる内容がありますねえ。

 ヨブは言いました。 「木には望みがある。たとえ切られても、また芽を出しその若枝は絶えることがない。」(ヨブ記14章7節) 「しかし、人は死ぬと倒れたきりだ。」(ヨブ記14章10節)
  死んでしまったら全てが終わる。人間の人生の一つの現実が指摘されているようです。

 またヨブは言います。「あなたは人の望みを絶ち滅ぼされます。・・・ ただ彼は自分の肉の痛みを覚えその魂は自分のために嘆くだけです。」(参照14章19節、22節 )

 確かに「神は愛だ。憐れみ深いお方だ。」と聞かされていても、いやそうでもない。神の愛と祝福を受けるには程遠い人間もいるのじゃないか、と思わされる現実があるものですね。神は正しい者を正しいとし、正しくない者を正しくないとする。そして所詮正しくないのが人間なのだから、正しくない人間同士で喰い合って生きていくほかはない。それが人間社会の現実だ。何とも望みのない悲しい気持ちになることもあるものですね。確かに正しい神と罪ある私たちという対比だけで物事を考えていたら、そこに救いはないでしょう。

 しかし聖書は私たち罪人の弱さをご存知で、私たちの側に立ち、神に執り成すキリストの存在があることを語っています。たとえ神があなたの罪を一つ一つ数え上げ、あなたの人生は神の罰で償う他はないのだと宣告されたとしても、その間に立って執り成してくださる救い主がおられることを明らかにしています。

 大切なのはその救い主キリストを信じることでしょう。そこに人生の希望があるのです。

 では良き一週を祈ります。
 (PBA制作「世の光」2019.9.18放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 
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