♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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■十戒 -自由への励まし123 欲しがってはならない / 大嶋重徳

2019年10月24日 | Weblog
2019/9/19放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。
 十戒をはじめとした聖書のことばは人間を縛りつけるものでなく、自由へと導くためのことばなのです。
 十戒の第10の戒めは「 欲しがってはならない。」(出エジプト記20章17節、申命記5章21節 新改訳2017)です。

 新約聖書の中でイエス・キリストが次のたとえを話されました。
 
 「ある金持ちの畑が豊作であった。
  そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』
  そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。
  そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
  しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
  自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。

                 (ルカの福音書12章16-21節 新改訳第三版)

 この箇所は非常に文学的な表現を持っている箇所で、「私」ということばが繰り返し出てきます。また、「安心して食べて飲んで楽しめ」には接続詞が全くなく、自分の人生に酔っているような、畳み掛けるような表現がされています。貪欲とは「私の」財産、「私の」蔵、「私」をめぐる生き方です。しかし「私の」人生だ、「私の」財産だと、全て私を中心に考え、自分の人生を握りしめ、さあ食べて飲んで楽しもうとしている人生も、「愚か者よ。今夜お前の魂は取り去られる」と神が語られると私たちが欲しがってきたものを全て失ってしまう、というのは人生の厳粛な事実です。このイエスろキリストのたとえ話は、人生の最後の日を強く意識させられます。あなたがいろんな妄想をし、戦略を練り、手に入れようと画策して欲しがったものは、果たしてあなたが死んでもなお永遠に残るものなのか?と問いかけてくるのです。

 十戒第十の戒めは人生を終わりから見つめるようにしてくれます。それはあなたの人生に本当に欲しがるべきものなのですか? あなたの人生でそれを得るためにそれほど時間をかけるべきものなのですか? 私たちは人生の終わり、すなわち死を考えるときに、私たちの自分の力で手に入れたと誇ってきたものより、神様が与えてきてくださったものの方が豊かであることに気がつくでしょう。そして手に入れたと思ったものでさえ神様の与えてくださったものであったと気がつくのです。

    ( PBA制作「世の光」2019.9.19放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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