2010/3/9放送
世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。
先日、しばらくぶりに近くの山にハイキングに行ってきました。 空は快晴、燦々(さんさん)と輝く太陽の光のもと、のんびり歩きながらリフレッシュする時となりました。 ま、降り注ぐ太陽の光を浴びながらこう歩くということは本当に気持ちのいいものですよねえ。
聖書の中にこんなことばがあります。 第一ヨハネの手紙1章7節
「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」
ま、聖書は私たちの人生も光の中を歩むことを勧めているんですね。 光の中を歩むというのは何か立派な行いをする、善行を重ねるということではなくて、自分の心の弱さをそして心の汚さを神様の光によって照らしていただく、明らかにしていただく、ということから始まるんです。 そしてこの光はあなたに安心と癒しをもたらす光ともなるんですね。
自分の内側を見ると時々弱さがあるなって思うことがありませんか。 どうしてこんなことを考えてしまうんだろう、とがっかりしてしまうような、自分勝手な心の汚さを感じることがあります。 そうしたものを神様の光によって明らかにしていただくという人生が光に歩む人生なんです。
薄暗い部屋の中では埃(ほこり)があるかどうか分りません。 でも光が射し込むと部屋の中の埃がよく分ってきます。 光が明るければ明るいほど汚(よご)れや埃が見えてくるものです。 でもそれに目を塞ぐ生き方は正直に自分を見つめない生き方ですよね。 しかし光が注がれ、その暗闇が明るみに出されるなら次はその解決が待っているだけなんです。
それでは神様の光に照らされて歩んでいくとはどういうことでしょう。 聖書の詩篇の119篇には、「あなたのみことばは、私の足のともしび」(105節)と記されています。 神様は今日、聖書の約束のことばを通してあなたの心を照らしてくださるんだと約束しているんですねえ。 たとえば独りぼっちだと感じる時、聖書のことばであなたを照らしてくれるんです。 決して独りじゃないよ、と(参照 ヨハネ14章18節、ヘブル13章5節、マタイ28章20節、ヘブル4章15節他)。 光に照らされて自分の心の汚さに気付いた時に聖書は、御子イエスの血によってすべての罪からきよめてくださるんですよ(1ヨハネ 1章7節参照)、と約束してくださっているんです。
光によって照らし出された時、汚い自分自身が照らし出されるかもしれません。 落ち込み自分を責める、そんな時もあるかもしれません。 ありのままの自分を見つめることは勇気の要ることでしょう。 でもあなたを赦し、あなたをきよめ、あなたの人生に光を与えてくださる神様を信頼し歩んでいきましょう。
(PBA制作「世の光」2010.3.9放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblical.jp
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。
世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。
先日、しばらくぶりに近くの山にハイキングに行ってきました。 空は快晴、燦々(さんさん)と輝く太陽の光のもと、のんびり歩きながらリフレッシュする時となりました。 ま、降り注ぐ太陽の光を浴びながらこう歩くということは本当に気持ちのいいものですよねえ。
聖書の中にこんなことばがあります。 第一ヨハネの手紙1章7節
「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」
ま、聖書は私たちの人生も光の中を歩むことを勧めているんですね。 光の中を歩むというのは何か立派な行いをする、善行を重ねるということではなくて、自分の心の弱さをそして心の汚さを神様の光によって照らしていただく、明らかにしていただく、ということから始まるんです。 そしてこの光はあなたに安心と癒しをもたらす光ともなるんですね。
自分の内側を見ると時々弱さがあるなって思うことがありませんか。 どうしてこんなことを考えてしまうんだろう、とがっかりしてしまうような、自分勝手な心の汚さを感じることがあります。 そうしたものを神様の光によって明らかにしていただくという人生が光に歩む人生なんです。
薄暗い部屋の中では埃(ほこり)があるかどうか分りません。 でも光が射し込むと部屋の中の埃がよく分ってきます。 光が明るければ明るいほど汚(よご)れや埃が見えてくるものです。 でもそれに目を塞ぐ生き方は正直に自分を見つめない生き方ですよね。 しかし光が注がれ、その暗闇が明るみに出されるなら次はその解決が待っているだけなんです。
それでは神様の光に照らされて歩んでいくとはどういうことでしょう。 聖書の詩篇の119篇には、「あなたのみことばは、私の足のともしび」(105節)と記されています。 神様は今日、聖書の約束のことばを通してあなたの心を照らしてくださるんだと約束しているんですねえ。 たとえば独りぼっちだと感じる時、聖書のことばであなたを照らしてくれるんです。 決して独りじゃないよ、と(参照 ヨハネ14章18節、ヘブル13章5節、マタイ28章20節、ヘブル4章15節他)。 光に照らされて自分の心の汚さに気付いた時に聖書は、御子イエスの血によってすべての罪からきよめてくださるんですよ(1ヨハネ 1章7節参照)、と約束してくださっているんです。
光によって照らし出された時、汚い自分自身が照らし出されるかもしれません。 落ち込み自分を責める、そんな時もあるかもしれません。 ありのままの自分を見つめることは勇気の要ることでしょう。 でもあなたを赦し、あなたをきよめ、あなたの人生に光を与えてくださる神様を信頼し歩んでいきましょう。
(PBA制作「世の光」2010.3.9放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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