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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■十戒 - 自由への励まし -1 / 大嶋重徳

2017年02月07日 | Weblog
2017/2/7放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書には、十戒と呼ばれる神様と人との間に結ばれた約束があります。十戒は十の戒めと書きますから、そこからイメージするのは私たちを縛りつける厳しさなのかもしれません。しかし十戒が本来私たちに与えようとするものは私たちを縛りつけるものではなく、自由へと解き放つものなのです。そこでこれから十戒を順番に学びながら、十戒を代表する、何々してはならない、という律法と呼ばれる神の約束の持つ意味を一緒に考えていきたいと思います。

 皆さんは聖書とは、あれをしちゃいけない、これをしちゃいけない、とばかり書いてある面倒で不自由な生き方になるもの、と言う印象をお持ちではないでしょうか。しかし私たちが本当に自由に生きて行くために必要な事は、自由に生きるためにも指針がいるということです。なにをしても良いよと言われると、何をしたらいいのか分からずに私たちは戸惑います。

 ある実験で、子どもたちを囲いの中でこの中で自由に遊んでいいよと言うと、子どもたちはお母さんの手を離れて、囲いいっぱいまで走り廻り楽しそうに遊んだそうです。しかし何の囲いもないただっぴろい広場で自由に遊んでいいよと言われると、子どもたちは不安そうにお母さんのそばを離れず、そのそばでしか遊ぶことができなかったそうです。

 聖書は、人間が指針や約束を守って生きるように神様から造られている、と語ります。世界で最初に造られた人間と神様との間にも約束がありました。「この木から取って食べてはならない」という一つの約束でした。その約束のことばを生活の中心に置いて生きるとき、人間は神様が造られたこの広い世界の中で、のびやかに生きることができるのです。

 何が正しいか、どこまで正しいのかが分からないようになっているこの時代と世界の中で、聖書のことばは私たちを自由にのびやかに生きることのできる励ましを与えようとしているのです。それは決して私たちを縛りつけ窮屈な生き方をもたらそうとしているのではなく、自由に喜びをもって生きるためなのです。

 今朝も私たちはラジオから聖書のことばを聞いて、この約束のことばのもたらす自由への励ましを受け取って、のびやかに一日を生きていきたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2017.2.7放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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