世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
さて今日は、処女降誕という題でお話ししましょう。
イエス・キリスト様が処女マリヤから誕生した。マタイ福音書の始まりは、だらだらと名前を並べた次は、処女マリヤがイエス様を産んだという記録です。
系図を読み進んでも、マリヤの処女降誕の記事で私たちはつまずいてしまうのでしょうか。処女が赤ちゃんを産む訳がないでしょう(と)。私もせめてイエス様の素晴らしい教えを最初の方へ持ってくればいいのになあと思ったりもしました。しかしマタイの福音書はイエスの処女降誕を初めに記録しているのです。なぜだと思いますか?
マタイ福音書1章18節にはこのように記録されています。「母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。」(口語訳)
この記録によればイエス様の父は婚約者ヨセフではなく、聖霊なる神様ということになります。イエス様は罪にけがれた男性の血ではなく、神様のきよくただしい血筋によってこの世に誕生しなければならなかったということなのです。どうしてでしょうか。次の聖句はこう書いてあります。
「彼女(マリヤ)は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである 」。(口語訳) 21節
イエス様がこの世に生まれる使命が言われています。イエス様のこの世での使命は、自分の民をそのもろもろの罪から救う者となることでした。私たちの罪のために身代わりとなって死ぬために生まれたと言っているのです。生きるために誰もが生まれるでしょう。しかしイエス様は死ぬために、私たちの救いのために生まれてくださったのです。私たちの罪の身代わりになるために、罪の血筋を持つ人が身代わりになることはできません。借金のある人が借金の肩代わりをできないのと同じです。イエス様が罪のない方として生まれるためには処女マリヤの胎内に宿ってくださらなければならなかったのです。
( PBA制作「世の光」2007.04.25放送でのお話しより )
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