♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■悔い改めて生きる

2007年04月24日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日も一日さわやかに歩んでいきたいですね。

 こうして聖書のことばを語る者として、ま、いつも期待していることがあります。それはまず、語られたことばがお互いの理性に届けられ、そのことばが理解されるということです。そして理解されたら、その人の感性に届けられていくということを期待する訳ですね。時々、「神様はあなたを愛しています」と熱く語っても、それがどうしたのというような、まったくそっけない反応も返ってきます。どうも心に届けられてなかったんだなと思うんですね。理解された事がその人の心に届けられ、そして感動が生まれる。そしてその語られたことばを聞いた人の意志に働きかけ、実際の生活の中にそれが適用されていくことが起こったら、何と素晴らしいでしょう。

 最初の教会がスタートした時、ペテロは群衆に向かって説教しました。すると人々は、ペテロの話しを理解したんです。そして理解して終わるだけではありませんでした。彼らは、自分たちの罪こそはイエス・キリストを十字架につけた、という説教に心を刺されたんです。彼らの感性に、彼らの心に、キリストの十字架の出来事が深く突き刺さったんですね。そして彼らは、「私たちはどうすれば良いでしょう」と、具体的に自分たちの意志で応答し始めました。

 ペテロの説教に応答し始めた人たちにペテロは何を語ったでしょう。ペテロは単純に、「悔い改めなさい」と語ったんです。これは、今までイエス様に背を向けていたならイエス様の方に向きを180度変えていきなさい、というそういう応答なんです。

 イエス様が話された放蕩息子の話があります。この息子は、父親から財産を分けてもらい、遠い国に行ってしまいました。そこで湯水のように財産を使い果たしてしまうんです。しかし飢饉が襲い、彼は大変惨めになってしまいました。彼は自分の惨めさを痛いほど気づかされるんですね。そこで彼は向きを変えて、こんな決意をするんです。そうだもう一度、勇気をもって父親のもとに帰ろう、こう決断したんですねえ。この息子が帰って行った時、父親はどうしたでしょう。ぼろぼろになったこの息子のありのままを受け入れたんです。

 どうして聖書は、「悔い改めなさい」と何度も何度も言うのでしょう。なぜなら、恵みとまことに富む愛なる神様が、悔い改めたその場に、方向を変えたその場所に居てくださるからです。

 悔い改め、これは方向転換です。神なしの世界から神ありの世界へ行くことです。神様はあなたの後姿には見飽きているんですね。正面のあなたを見たいと願っているんですよ。
 

 ( PBA制作「世の光」2007.04.24放送でのお話しより )

*****

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■目が開かれて | トップ | ■処女が赤ちゃんを産む訳がな... »