世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も一日、さわやかに過ごしていきたいですね。
私たちは頭で理解していることと、体験して得たことの間にギャップを感じることがあります。 たとえば泳ぐことを例にすれば、頭で考えれば誰だって泳げるわけです。 人は比重の関係で水に浮く訳ですからね。 でも実際に泳げない人に言わせれば「そんな理屈は関係ありません、浮くはずが沈んでしまうんです。」と言うでしょう。 私もプールで実証済みです。 ですからいくら理屈で分かっても、ま、体験的に知ることとの間には大きなギャップがあるんですね。
ある人は聖書のことばを読み、その約束に生きようとする時、少し同じようなことを感じるかもしれません。
パウロという人がエペソの教会に書き送った祈りがあります。 こんな祈りをパウロは書き送っているんですねえ。 エペソ3章19節
「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。」
ま、このように祈っているんです。 人知を越えたキリストの愛というものがあるんだと言うんですねえ。 私たちの想像することのできない大きな大きな愛がある。 聖書の中には「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大いなる愛はない。」(ヨハネの福音書15章13節参照)と書いてありますから、命がけの愛があるのだと教えているんですね。
確かに聖書を読むと、イエス・キリストが私たちの罪を全部背負って十字架で死んでくださいました。 命を捨ててくださるほどの大きな愛を注いでくださったと教えているんです。
しかしそのことを頭では話すことができても、それが実生活の中に及んでこない、実生活の中で感じられない、ということがしばしばある訳です。 また私たちは調子のいい時ばかりじゃありませんから、失敗したり落ち込んだり、また不慮の出来事が続くと、ああもうイエス様は私を離れて遠い所に行ってしまったのではないか、と思ったりしてしまうことがあるんですね。
でも今日、私はあなたにぜひ知っていただきたいことがあるんです。 それはあなたがイエス様を理解する前に、人知をはるかに越えたキリストの愛はあなたを徹底的に理解することのできる愛だということです。
私たちは困難の中でほんとに落ち込むことがあります。 私は一人ぼっちだ、って感じることがあるかもしれません。 しかしその傍らで「いや、あなたは一人ぽっちではありません。 わたしはあなたを愛していますよ。 わたしはあなたのすべてを理解し、あなたと一緒に人生を歩もうとしているんですよ。」と声をかけてくださるイエス・キリストがおられることをまず知っていただきたいんです。
私たちはイエス様の深い愛を聖書のことばから知るだけでなく、実際に生活の中に豊かに知ることができるように祈っていきましょう。
(PBA制作「世の光」2009.8.18放送でのお話しより)
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