2010/5/25放送
世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も一日爽やかに過ごしていきたいですね。
新約聖書 第一ヨハネの手紙3章14節
「私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。」
ま、聖書にはたくさんの命令が出てきますね。 例えば「互いに愛し合いなさい。」(ヨハネの福音書13章34節) まあそう言われてもなかなかね、と感じる方もいるかもしれません。 赤ちゃんを買い物に行かせる親はいませんよね。 それは無理だからです。 無理なことは命令しません。 聖書も私たちに出来ないことは命じません。 「互いに愛し合いなさい。」と命じられていますけれども、実はその背後で神様が私たちにそのような生き方が出来るような内側に造り変えてくださるという約束があるからなんです。 だから神様は「互いに愛し合いなさい。」と命令されるんですねえ。 ですからそういう事実を知らないで、神様の約束を無視して気負いや頑張りだけで行おうとすると失敗したり、挫折してしまったりするんです。
そして聖書はイエス・キリストを信頼する人生は、死からいのちに移されている人生でもある、と教えています。
私たちは死ということを考えると、何だか横たわり何の応答もなく冷たくなっている、そんな姿を思い浮かべるかもしれません。 聖書が「死からいのちに移った」と記している場合の「死」とはもちろん単に肉体の死について言っているのではないんですねえ。 「死からいのちに移った」ということは、応答しない世界から応答する世界に移ったということなんです。 今まで神様がおられることも信じることをせず神様に祈ることもしなかった人生が応答する世界に変えられていく。 神様が聖書のことばを通してあなたに呼びかけているのに、なあーにも応答しないで生きてきた人生が、神様に祈り、聖書のことばを受け入れようとする生き方に変わっていくということなんです。
そして「死からいのちに移った」ということは、いのちがもたらす実りを実らせる生涯になっていくということでもあるんですね。 どんなに冬枯れの木でもいのちがその中にあれば実りを生み出します。 そして花を咲かせ、実りをもたらすのです。 それと同じでイエス・キリストを信じ生きることは、神様との応答のない世界から応答する世界に変わっていくことなんですね。 そしてその人生に愛の実が、喜びの実が少しずつ実っていく人生でもあるんです。
ヨハネは、死からいのちに移っているので兄弟を愛する品性が生まれているのだ、と記しています。 私たちはただ命令されるだけでは何もできません。 ただ「愛しなさい。」と言われても自分の愛のなさに気づくだけかもしれません。 でも神様は、そんなあなたの人生にいのちを与え、聖書のことばを通してあなたを励まし、慰め、あなたの心を変えてくださる方なのです。
(PBA制作「世の光」2010.5.25放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblical.jp
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。
世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も一日爽やかに過ごしていきたいですね。
新約聖書 第一ヨハネの手紙3章14節
「私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。」
ま、聖書にはたくさんの命令が出てきますね。 例えば「互いに愛し合いなさい。」(ヨハネの福音書13章34節) まあそう言われてもなかなかね、と感じる方もいるかもしれません。 赤ちゃんを買い物に行かせる親はいませんよね。 それは無理だからです。 無理なことは命令しません。 聖書も私たちに出来ないことは命じません。 「互いに愛し合いなさい。」と命じられていますけれども、実はその背後で神様が私たちにそのような生き方が出来るような内側に造り変えてくださるという約束があるからなんです。 だから神様は「互いに愛し合いなさい。」と命令されるんですねえ。 ですからそういう事実を知らないで、神様の約束を無視して気負いや頑張りだけで行おうとすると失敗したり、挫折してしまったりするんです。
そして聖書はイエス・キリストを信頼する人生は、死からいのちに移されている人生でもある、と教えています。
私たちは死ということを考えると、何だか横たわり何の応答もなく冷たくなっている、そんな姿を思い浮かべるかもしれません。 聖書が「死からいのちに移った」と記している場合の「死」とはもちろん単に肉体の死について言っているのではないんですねえ。 「死からいのちに移った」ということは、応答しない世界から応答する世界に移ったということなんです。 今まで神様がおられることも信じることをせず神様に祈ることもしなかった人生が応答する世界に変えられていく。 神様が聖書のことばを通してあなたに呼びかけているのに、なあーにも応答しないで生きてきた人生が、神様に祈り、聖書のことばを受け入れようとする生き方に変わっていくということなんです。
そして「死からいのちに移った」ということは、いのちがもたらす実りを実らせる生涯になっていくということでもあるんですね。 どんなに冬枯れの木でもいのちがその中にあれば実りを生み出します。 そして花を咲かせ、実りをもたらすのです。 それと同じでイエス・キリストを信じ生きることは、神様との応答のない世界から応答する世界に変わっていくことなんですね。 そしてその人生に愛の実が、喜びの実が少しずつ実っていく人生でもあるんです。
ヨハネは、死からいのちに移っているので兄弟を愛する品性が生まれているのだ、と記しています。 私たちはただ命令されるだけでは何もできません。 ただ「愛しなさい。」と言われても自分の愛のなさに気づくだけかもしれません。 でも神様は、そんなあなたの人生にいのちを与え、聖書のことばを通してあなたを励まし、慰め、あなたの心を変えてくださる方なのです。
(PBA制作「世の光」2010.5.25放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblical.jp
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