♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■主の祈りの中心

2008年04月04日 | Weblog


 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄(いわい・もとお)です。

 神様との交わりについて様々な考えがあります。 でもその中心は祈りではないでしょうか。 多くの場面で私たちの存在を超える方に何らかの助けを求める祈りは人間固有のものと言ってもよいかもしれませんね。 私たち日本人が初詣や宮参りなどで祈りをささげることの中にも、神様に向けて創造された私たちの「神のかたち」(創世記1章26節、27節、8章6節参照)としてのあり方があるのではないでしょうか。 でも本当の祈りって何でしょうね。 ある方が、私たちは祈りにおいて成長するとき全人格的に成長する、と語られました。

 さて、イエス・キリストの弟子たちが主イエスに、「祈りを教えてください」(ルカの福音書11章1節)と申し出たことがありました。 その時教えてくださったのがあの有名な「主の祈り」と呼ばれている祈りです(マタイの福音書6章9〜13節、ルカの福音書11章2〜4節参照)。 奥深い表現の中に祈りの本質が豊かに表されていて、「祈りの中の祈り」とも言われることがあります。

 ではその主の祈りの中心って何だと思いますか? これは私の個人的な考えなのですが、「みこころが天で行われるように地でも行われますように。」(マタイの福音書6章10節)という祈りではないかと思うのです。

 私たちの祈りの多くはこの反対です。すなわち、「私たちの心が天に届きますように。」という祈りです。でも、この主の祈りは方向が逆なのです。私たちの祈りを天に届けようとする上向きの祈りではなく、神様の御心が私になりますように、という委ね切った祈りだというのです。

 考えて見ますと、確かに私たちは自分の思いや考えに振り回されてしまうのかもしれません。だから余計に自分が分からなくなります。あなたの願い通りではなく神様の思いの通りに生きるという任せ切った歩みこそ平安に満ちた生涯なのです。なぜなら、神様があなたを創造され、あなたの人生に目的と意味をもっていらっしゃるからです。

 この主の祈りには、神様の私への御計画こそ最善であり最高なのだという信頼があるのです。あなたも神様に明け渡した祈りをささげてみませんか? 本当の平安な生涯はそこから始まるからです。

 ではまた聴いてください。


 (PBA制作「世の光」2008.4.4放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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