♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■心のきよい人は幸い

2007年07月20日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 「神様は目に見えるのでしょうか?」「神様が目に見えたら信じられるのに。」 ま、こんなことを良く聞かれます。イエス・キリストはこう言いました。新約聖書マタイの福音書5章8節です。
 「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。

 神を見る人たちがいる、って言うんです。ここで使われている「見る」っていうことばは、意図や目的をもって見る、つまり、見ようとして見るという意味です。そして「心のきよい」という「きよい」ということばは、英語でピュアです。純粋な、ありのままの穢れていない、という意味です。

 ですから神様を知りたい、神様を見たい、そんな思いをもって純粋な気持ちで、聖書に向かい、キリストに向かうと、神様が見えてくるように神に出会うっていう訳です。

 でも、いろんな、神についての偏見や誤解、誤った情報がありますねえ。

 私はソ連が崩壊して間もない1992年にシベリヤを訪問し、聖書のお話しをする機会がありました。その時、一つの興味深いお話を聞きました。共産主義政権時代の小学校での出来事です。

 6年生のクラスで理科の時間、女性の先生が進化論を教えた後、こう言ったそうです。「宗教は科学が進歩する以前の古い教えです。神様なんていないんです。見た人いないでしょう?! ガガーリン少佐は宇宙から地球を見て『神はいなかった』と言いました。あなたたちの中で、神様はいるなんて思う人、いないでしょうね?!」 そうしたら一人の少年が手をあげて、こう言いました。「僕は小さい時から家で聖書を教えられ神様を信じています。ガガーリン少佐が神様が見えなかったのは別の理由によるのではないでしょうか。聖書には、心のきよくない人は神を見ることができません(、って)。」これを聞いたクラスの生徒はやんやの拍手、先生は何も言えず、顔を真っ赤にして教室を出て行ってしまったそうです。

 何も共産主義時代のソ連の人だけではなく、私たちの日本でも古い進化論の教えやさまざまな混乱した宗教の情報、苦い経験から、神が見えなくなっている場合が多いのではないでしょうか。キリストは言いました。「わたしを見た人は父--神--を見たのです。」(ヨハネの福音書 14章9節を参照)

 純粋な思いで聖書に、キリストに向かう時、あなたも神様が見えてくるはずです。

  (PBA制作「世の光」2007.07.20放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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