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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■生きる目的が新しく / 水谷 潔

2025年06月05日 | Weblog

2025/3/6放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷 潔です。

 今日からは、新約聖書コリント人への手紙第二 5章が記す「新しさ」についてお伝えします。
 今日は一つ目として、新しい生きる目的についてお話しします。

 新約聖書コリント人への手紙第二 5章15節は言います。
  「キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。」

 聖書によれば、私たち人間は誰もが、神様を離れて歩むという罪のために滅びへと向かっています。
 しかしイエス・キリストは私たちを愛し、その罪を赦すために私たちに代わって罪を担い、十字架に架かり死んでくださいました。

 さらにその三日目にイエス様は死からよみがえられました。
 そのことは同じように死を超えて生きる永遠のいのちがイエス・キリストを信じる者に与えられていることを意味します。

 十字架は信じるすべての人に罪の赦しを与え、復活は死を超えて永遠を生きるいのち・新しいいのちを与えるのです。

 罪を赦されて新しいいのちに生きるなら生きる目的も新しくなります。これまでは自分のために生きてきた人も、自分のために死んでよみがえった方すなわちイエス・キリストのために生きるようにと導かれます。

 どうでしょう。もしいのちを捨てて自分を死から救ってくれたそんないのちの恩人がいるとしたら、その後の人生って変わるんじゃないでしょうか。自分自身を大切にして、助けてくれたその人に恥じないような生き方を願うでしょう。できればその人の役に立ちたい、喜んでもらえるような生き方をするでしょう。それはとても生きがいのある人生になるのではないでしょうか。

 誰のために生きるか、それが人生を決めます。人生に究極の目的があれば、仕事や家庭などの日常も、その風景は違ってくるのではないでしょうか。

 ラジオの前のあなたは誰のために生きているでしょうか。

 イエス様はあなたに新しいいのちを与え、新しい人生の目的へと導きます。イエス様を信じて、明確な目的をもって豊かな人生を歩みませんか?


 ( PBA制作「世の光」 2025.3.6放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■模範を示すための権威 / 水谷 潔

2025年06月04日 | Weblog

2025/3/5放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。

 最近は、これまで以上に弱い立場にある人たちの尊厳が尊重されるようになりました。それに伴ってリーダーや親や指導者などの在り方も問われているようです。聖書はそのことについて何を語っているでしょう? 
 新約聖書 ペテロの手紙第一 5章3節は、そのことについて私たちこう語り掛けています。

 「割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。」

 聖書は、権威をもって人を指導し教育する立場にある人々に対して、支配するのではなく自らが模範を示すのですよ、と教えています。

 私は牧師になる前は公立高校で教師をしていました。その時、校長先生が生徒の保護者に向けて語ったことば、それを今でも忘れられません。それはこういうことばでした。「子どもは親の言う通りにはならない。親のする通りになる。」

 聞いていた私も、その場で背筋が伸びる思いがしました。「これをしなさい」「あれはしてはいけません」 親や教師はことばで指示、命令、禁止などをします。そのように相手の成長を願ってことばで教えて育てていくことも大切でしょう。
 しかし聖書は、自らが行いをもって模範を示すようにと命じています。

 「このことはこうするのですよ」「私のように歩むのですよ」と自らが模範を示すなら、それはことば以上の説得力を持つことでしょう。そして上に立つ者も、下にいる者から信頼や尊敬を受けて良い関係を築いていくことができるのではないでしょうか。

 聖書は言います。「割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。」
 神様から権威を託されているということは、自らが模範になるという厳粛な責任を伴うことを覚えたいものです。人を教え導く立場にあるなら、また将来そうした機会があるなら、この聖書のことばを役立ててみてはどうでしょうか。

 月曜日からは権威について聖書のことばをご紹介してきました。明日からは、聖書が語る「新しさ」についてお話しします。ぜひお聴きください。


 ( PBA制作「世の光」 2025.3.5放送でのお話しより )


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■愛し仕えるための権威 / 水谷 潔

2025年06月03日 | Weblog

2025/3/4放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。今週、番組を担当する愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。

 「ハラスメント」ということばも一般的になり、権威を持つ人が権威の下にいる人にどう接するかが問われるようになりました。
 実は、2000年前にイエス・キリストも弟子たちにそのことを教えています。イエス様の弟子たちはよく自分たちの間で誰が一番偉いかを議論していました。
 そこでイエス様は世の中の王たちが権威をもって人々を支配していることを引き合いにして、弟子たちにこう教えます。新約聖書 ルカの福音書22章26節をお読みします。

 「しかし、あなたがたは、そうであってはいけません。あなたがたの間で一番偉い人は、一番若い者のようになりなさい。上に立つ人は、給仕する者のようになりなさい。」

 「一番偉い人は、一番若い者のようになり、上に立つ者は、給仕する者のようになりなさい。」 これは一般的な考え方とは正反対と言えるでしょう。イエス様はここで、権威を持つ人は権威の下にある人を愛して、そして仕えるようにと教えておられます。

 聖書によれば権威は神様から人間に託されたものです。そしてその目的は、人を支配して自分の思い通りにすることではありません。人を自分に仕えさせるためのものではなく、権威とは自分が人に仕えるためのものです。権威を持つ人は、権威の下にある人たちの成長や幸せを願い、その人たちを活かすためにその権威を用いるのです。

 イエス様はおっしゃいました。「あなたがたの間で一番偉い人は、一番若い者のようになりなさい。上に立つ人は、給仕する者のようになりなさい。」

 ラジオの前のあなたは、誰かの上に立ち他の人たちを導く立場にあるでしょうか。子どもにとっての親、職場では上司や先輩、誰かにとって目上の立場でしょうか。
 もしそうだとしたら、あるいは将来そうなった時に、ぜひこのイエス様のことばを指針に人を活かし、その人たちから信頼される幸せな関係を作ってください。


 ( PBA制作「世の光」 2025.3.4放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■秩序と安心のための権威 / 水谷 潔

2025年06月02日 | Weblog

2025/3/3放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。今週、番組を担当します愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷 潔です。

 近年はハラスメントの問題が注目されるようになり、権力、権威について考える機会も増えています。
 では、聖書はそのことについて何と言っているでしょう。新約聖書ローマ人への手紙13章1節にはこう書かれています。
  「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。」

 この地上の権威は神様が立てているものだから従いましょう、と聖書は言います。

 権威とは例えば国家、警察、司法など、身近なところでは親、職場の上司、学校なら先生や先輩になるでしょう。

 では、どのような権威であっても従うように、と聖書は教えているのでしょうか。
 
 そもそも神様は何のために権威を立てているのでしょう。少し後の4節は権威を持つ人物についてこう語っています。
 「彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。」

 神様は私たちを愛し、悪を罰し、予防し、秩序ある安心できる社会を願って人間に権威を託しておられます。

 聖書によれば、権威の目的は秩序と安心です。ですから、権威を自分のものとしてではなく神様から託されたものとして謙虚に受け止めて、権威の下にある人たちのために用いるべきでしょう。決して私利私欲のために、悪のために用いることがあってはなりません。

 私たちは権威に従い法律や規則を守ることで安心な社会を作っています。
 その一方で、託された権威を自分のために用いてしまい、権威の下にある人たちを苦しめかねません。親に傷つけられている子どもたち、横暴な上司に苦しめられている部下たち、冷酷な権力者に虐げられている人々など、そうしたことを聞いて心を痛めることもあるでしょう。

 ハラスメントやコンプライアンスのような問題についても、聖書は大きな指針、有益な原則を示しています。神様は私たちを愛し、秩序と安心を願い、人間に権威を託しておられます。

 聖書のことばがラジオの前のあなたのお役に立てばと願っています。
 どうか明日も続けてお聴きください。


 ( PBA制作「世の光」 2025.3.3放送でのお話しより )


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■天の父は養っていてくださる / 福井 誠

2025年05月31日 | Weblog

2025/3/1放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? この一週間、皆さんと新約聖書のマタイの福音書を読み続けることができました。マタイの語り口が皆さんの耳に響いてくる、そんなことを願っています。今日は「天の父は養っていてくださる」と題してメッセージをいたします。新約聖書マタイの福音書 6章26節からお読みします。

 「空の鳥を見なさい。種まきもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。」

 確かにイエスが言うとおりです。子どもの頃、手の届かないところに実っている柿を見て、食べたいなぁと思ったことがあります。しかし、側(そば)にいた母親が、「あれは天の神様が小鳥のためにとってあるものだからね」と語ったことを思い出します。幼い私は、そんなこともあるのか、天の神様がそうやって小鳥たちの世話をしているのか、と思ったものでした。
 そのようにして小さな頃から信仰を教えられた私は、いつも当たり前のように思われる自然の営みの中にも神の心遣い・配慮というものがあるのだなと感じながら育った部分がありました。そしてその信仰は、私のこれまでの人生の様々な局面で、神の心遣い・配慮を信頼し、難しいところを切り抜けていく力になったと思うところがあります。

 サミュエル・スマイルズという人が『自助論』という本を書いています。有名な本ですから、もうすでに読まれた方もいるかと思いますが、スマイルズは「自ら助くる者を神は助く」と語っています。それは、困難に立ち向かうときや何かを成し遂げたいときに、自分自身で努力を惜しまない人は最終的に幸運や助けを得ることを意味しています。
 人間は努力した人ほど自らの力の限界をよく理解しているものでしょう。そして最善を尽くした後には神の助けを待ち望むという素直な心も持っているものです。自ら積極的に努力ししつ、神の大いなる恵みを期待して歩ませていただきましょう。


 ( PBA制作「世の光」 2025.3.1放送でのお話しより )


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■天に宝を蓄えなさい / 福井 誠

2025年05月30日 | Weblog

2025/2/28放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は福井 誠が担当しています。今日もマタイの福音書を開いてまいります。今日は「天に宝を蓄えなさい」と題してメッセージをいたします。新約聖書マタイの福音書 6章19節、20節をお読みします。

 「自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴をあけて盗むこともありません。」

 「宝」と一言で言っても様々です。そして人それぞれです。ある人は、家や車、貯金など経済的な資産を宝と考えます。ある人は、宝石や貴金属などの貴重品。またある人は、そのような物質的なことにはあまり興味がなく、家族や友人といった愛情深い関係や支え合う人々とのつながりを宝と考える人もいるでしょう。また健康や時間、自らの経験といった非物質的な宝を大事にする人もいます。さらに言えば、信仰や自己成長、感謝といった目に見えないもの、精神的なものを宝と考える人もいます。

 私は自分自身のことを考えると、若い時は車とか物質的なものを宝としていたこともあったと思いますが、今は家族や友人、そして何よりも聖書を読む時間、信仰などが宝かなと思います。宝とするものは人それぞれですし、年齢でも変化することがあるのです。
 実際、信仰を持たれた方々の中には物質的なものよりも非物質的なもの、そして精神的なものを宝と考えるようになったという方も多いように思います。

 イエスは、地上に宝を蓄えるのは止めなさいと言いました。それは主として物質的なものを言っているのでしょう。「虫やさびで傷物となり、盗まれる」というのはそういうことです。

 私の父は晩年、自らの身辺整理をし、「ほとんど何も天には持って行けないから処分するように」と語ったことがありました。中には貴重品かなと思うものもあったのですが不要と言うのです。天に蓄えられるもの、つまり神様との関係以外には何も残らないという現実が人間にはあるのです。


 ( PBA制作「世の光」 2025.2.28放送でのお話しより )


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■日ごとの糧を、今日もお与えください / 福井 誠

2025年05月29日 | Weblog

2025/2/27放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は福井 誠が担当しています。年度の切り替わりなどで色々お忙しくしておられる方も多いでしょう。でも、ぜひ耳を貸してください。「継続は力なり」です。聖書を読む楽しさを身につけてまいりましょう。
 今日は「日ごとの糧を、今日もお与えください」と題してメッセージをいたします。新約聖書マタイの福音書 6章11節をお読みします。

   「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。」

 このところよく聞かれるSDGs(エス・ディー・ジーズ)、日本語では「持続可能な開発目標」と訳すのだそうです。2015年に国連で採択され、持続可能な、より良い世界を目指して2030年までに達成すべき目標というものがあります。そのために個人レベルでもできることとして挙げられているものもあります。
 例えば、食べ物は必要な分だけ買う、買い物にはマイバックを持参する、マイボトルを持ち歩く、自然に優しい商品を選ぶ、電気はこまめに消す、公共交通機関や徒歩で移動する等、持続可能な、より良い世界を目指す試みは大切で、身近なところから始められるものがたくさんあります。

 私がそんなことをしっかり意識させられるようになったのも、学生を連れて海外のスタディツアーを企画するようになってからかな、と思います。現地の学生との交流会を開催したり、貧困地域を訪れてそこに住む方々とお話をしたりする、そのようなプログラムに参加した学生は、普段は日本の豊かな社会で暮らしています。ですから、途上国でその日食べるのが精一杯という社会や貧困地域での暮らしを目の当たりにすると、様々に考えさせられ、意識が変わって来るようです。
 
 ことに私が感じるのは祈りの変化です。つまり、「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください」という祈りが自分の世界のこととしてしっかり祈れるようになるのです。貧困地域で出会ったあの家族を今日も主が助けてくださるように、と。世界的な視野を持てばこそ祈りも深まってきます。


 ( PBA制作「世の光」 2025.2.27放送でのお話しより )


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■こう祈りなさい / 福井 誠

2025年05月28日 | Weblog

2025/2/26放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は福井誠が担当しています。今日もマタイの福音書を開いてまいります。「継続は力なり」ですから、ぜひ読み続けてください。そうすれば聖書を読む楽しさが自然に身に付いてきます。
 今日は「こう祈りなさい」と題してメッセージをいたします。

 神社仏閣に行くと手を合わせて祈っている姿を見かけます。何を祈っているのかなぁ、合格祈願かな、縁結びかな、と思ったりします。で、私は牧師ということもあるのかもしれませんが、そういう人を見かけると、何となく、合格しますように、良い縁がありますようにと、つい心の中で応援祈祷をしたくなるところがあります。
 その他、世界の平和のために祈りたい、と思う方もいらっしゃるかもしれません。
 祈りは人間だけにある行動です。猫が祈る、犬が祈る話は聞いたことがありません。

 ともあれ、祈りたいと思ったときに何か祈り方や心得があるものでしょうか。
 実はあります。イエスが、祈るときにはこう祈りなさい、と祈り方を教えているところがあります。 新約聖書マタイの福音書 6章9節をお読みします。

  「ですから、あなたがたはこう祈りなさい。天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。」

 まずイエスが大事にされたのは、「天にいます父よ」と呼びかけることでした。「神様」ではなく「父」と呼んでいることに注目しましょう。
 このことばはイスラエルでは幼子が最初に発することば「アバ」に由来すると言われています。しかし実際には、そのことばは子どもが成人になっても使われていると言います。 つまり、身内だからこそ使えることばなのです。
 イエスは、神に祈るときは神を信頼し心が親しく通じる身内として祈るように教えられたのです。私たちがイエスの名によって祈るなら何でもその祈りを聞いてくださる、とも言いました。良い人だけではない、悪人であっても、イエスの名によって祈る祝福があることを語ったのです。

 神の子となってイエスの名によって身内として祈ることです。


 ( PBA制作「世の光」 2025.2.26放送でのお話しより )


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■知られないようにしなさい / 福井 誠

2025年05月27日 | Weblog

2025/2/25放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は福井誠が担当しています。今日もマタイの福音書からイエスのことばを味わってまいりましょう。
 今日は「知られないようにしなさい」と題してメッセージをいたします。新約聖書マタイの福音書 6章3 節をお読みします。

 「あなたが施しをするときは、右の手がしていることを左の手に知られないようにしなさい。」

 コロナ感染症拡大がほぼ収束して、私も海外に出張に出る機会が増えました。
 しかし、4年も海外渡航がご無沙汰している間に、また海外の途上国も様変わりした感があります。

 以前は空港を降りて町へ出ると手を出して施しを求めたり、また物を売ってきたりする子どももめっきり少なくなったように思います。
 しかし、貧困が解決しているわけではないのです。ただ、助け方の問題がある、と私は常々思うところがありました。

 やはり日本人はお金を持っていると思われることもあって、支援の要請というものは多いわけです。しかしそこで、「魚を与えるのではなくて、魚の釣り方を教える」という言い方もあるように、依存させず自立していける支援の仕方というものがあります。
 そしてさらに、支援する側も心得ていなければならないことがあると私は思います。
 つまり、人はどうしても支援をしたことを誇りとしてしまう。自分が支援したことでいいことをした、という満足感に留まらず、それを誰かに認めてもらいたい、自分がいい人であることをわかってもらいたくて支援をすることもあるのです。

 イエスは、人に施しをするときは、「右の手がしていることを左の手に知られないようにしなさい」と語られました。
 つまり、人の目に見えるような、見せつけるような施しではなく、隠れたところで見ておられる神が分かればよい、という施しのあり方を語っています。
 人助けは、ことさら意識して行うものではなくて、気が付いたらしているようなものです。神はそのような施しを喜び、祝福されるのです。


 ( PBA制作「世の光」 2025.2.25放送でのお話しより )


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■隠れたところで見ておられる / 福井 誠

2025年05月26日 | Weblog

2025/2/24放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠です。しばらくぶりですが、リスナーの皆様、お変わりございませんか? 
 今週は、新約聖書のマタイの福音書から共に読んでまいりたいと思います。聖書を読むことが楽しくなることを願っています。今日は、「隠れたところで見ておられる」と題してお話をいたします。

 「教会は行きにくい」と感じている方々は少なくありません。その理由は一つに、教会で行われている礼拝や宗教的な儀式にあまり詳しくないので、そこで何か間違ったことをしてしまうのではないか、という心配があるためと言われます。
 また、既に出来上がっていると思われる、教会の人間関係に馴染めるだろうか、と言った不安もあげられます。他にも色々とあるでしょうが、心理的なハードルを感じる方は少なくないでしょう。

 今から2000年前のイエス様の時代も同じようなことがあったようです。つまり当時、一般に信仰の行為はこうすべきものだという一つのイメージがあり、それに倣わなくていけないと考えられているところがあったのです。例えば、祈りにおいては恭(うやうや)しくことばを選んで荘厳に祈る、といったようにです。
 しかしイエス様は、そのような信仰の行為の形式よりも大事にすべきものがあるとお語りになりました。聖書をお読みしましょう。新約聖書マタイの福音書6章6節。

 「あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」

 イエス様は「隠れたところで見ておられるあなたがたの父」ということばを強調しました。つまり、イエス様は、色々と形を意識するよりも隠れたところで見ておられる神を覚えるように教えられました。

 ですから、まずは神様を知りたいと言う気持ちを大事にし、教会の流儀はその都度教えてもらうつもりで足を運んでみてはどうでしょうか。

 隠れた所で見ておられる神は、あなたの心に報いてくださるお方です。


 ( PBA制作「世の光」 2025.2.24放送でのお話しより )


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