引き続いて今日30日の東京新聞の社説から抜粋します。
●社説「信頼を結べぬままに」
絶対の安全などないという。だとすれば、大切なのは「信頼」だ。その信頼を結べぬままの関西電力高浜原発(福井県)再稼働。何をそんなに急ぐのか。
何度でも繰り返す。
原子力規制委員会をはじめ、誰も安全だとは言っていない。安全を保証するものはいない。
万一の事故が起きても、原状回復はおろか、満足な補償ができる力は国にもない。ほとんど無責任体制のまま、立地する自治体だけの同意を免罪符のようにして、原発が再稼働されていく。
これではまるで、無保険の自動車が人混みの中を高速で突っ走るようなものではないか。
あれから間もなく五年になる。福島の尊い教訓が、あまりにも軽視されてはいないだろうか。
今月二十五日、滋賀県と関電の間で、高浜原発に関する安全協定が締結された。
「安全」とは名ばかりの形式的な“通過儀礼”にとどまった。
(安全協定の内容や安全とは言えない理由については、この社説をぜひ読んでください)
原発事故の被害は広域に及ぶ-。若狭の“原発銀座”で重大事故が発生すれば、日本海の強風にあおられて、その影響は福島以上に遠く、広く、拡散する恐れがあるという。
被害地元の声に耳をふさぐということは、福島の教訓を踏みにじることにならないか。
そして安全神話が復活し、悲劇を再び招く恐れが増さないか。
“無責任”あるいは“先送り”は、ほかにもある。
使用済み核燃料を保管する高浜原発の燃料プールは、すでに約七割が埋まっている。
最終処分場選定のめどは立っていない。
◆安全はまた二の次か
高浜原発3号機では、核兵器に転用可能なプルトニウムを核廃棄物から取り出して使うプルサーマル発電を実施する。
プルサーマル発電では、原子炉を停止させる制御棒が効きにくくなるという。安全性の検討が尽くされているとは言い難い。
何度でも繰り返す。
電力会社の台所事情と政府の思惑が最優先の再稼働。住民にとっては「危険」と言うしかない。