中浦和“ふうるふうる”のたらです。
福島第一原発の非常にずさんな汚染水管理だとか政府の原発推進姿勢だとか武器輸出解禁姿勢だとか、とにかく次から次へとおかしい変なことが多く出てきて、これはもしかしてごちゃごちゃ言う迷惑な国民を憤死させて口を封じる気かと……。
それはさておき、「松谷みよ子全エッセイ1 わたしの暦」(筑摩書房)の、戦争体験を踏まえての言葉から抜粋します。
●「軍国少女の敗戦」(1985・8「女たちの八月十五日」掲載)
今しみじみと思うのは極限状態におかれたとき、人は無感動になり、思考をやめるのではないかということである。死に至る道を無表情に歩き出す。その恐ろしさを二度と繰り返したくないと思うのである。そしてまた思うのは、いま歩いている道が、ふと気がつけば戦前の風景と重なってくる恐ろしさである。
「障子を破けば原爆がある」
私の『ふたりのイーダ』というファンタジーを映画化したとき、監督の松山善三氏はこういわれた。障子ごしの一見平和に暮らせば暮らせる今。しかしベリッと紙を一枚むけば原爆の傷跡はまざまざとあるのだ。かつての戦争中、私たちは障子を破くことは許されなかった。
破りようも知らなかった。しかし今なら破くことはできる。日常の障子を破る勇気と気力を持ちたいと思う。若い人にも持ってほしいと思う。そこに何が在るか。見据えてほしい。二度と忌まわしい戦争を起こさないために。
今、特定秘密保護法やら憲法改正やらたくさんのやりかたで、「障子を閉め」られようとしている。
だから、障子をつくらせない、しめさせないことが大切。
第二次世界大戦敗戦後、平和をつくりあげ、維持しようとしてくれたかたたちのおかげで60年以上も戦争状態にならなくて済んでいます。約30年前に松谷みよ子さんが感じていた恐ろしさは、松谷さんも含めてその“平和をつくりあげ、維持しようとしてくれたかたたち”のおかげで形にならなかったけど、今このとき本当に“戦前”にいる気がする。あたしゃ戦争なんかまっぴらごめんだ。
平和の維持は、維持しようと意識しなくては保てないのよ。維持するために自分が動こう。