ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

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心中外交で水戸黄門文化

2013-11-04 10:31:31 | 本や言葉の紹介

 「佐高信対談集 君 今この寂しい夜に目覚めている灯火よ」(七つ森書館)から、辛淑玉(シンスゴ)さんとの対談を抜粋します。(適宜改行しています)

辛   弱い男ほど暴力を使うでしょ。今、家庭内暴力ってあるけど、もっと形を変えていくと軍国主義。戦争というのは口できちんと対応できない男たちのなれの果てだと思うんですよ。
 日本国憲法というのは、軍事力を放棄しろということではなく、巧みな外交によって国際社会に啓蒙をはかり、口だけで国を守れといったわけ。でもそれを強いられたのは、沈黙は金だとか、質実剛健だとか、黙っていながら相手を理解するとかいうことが美徳だった戦時中の日本の男。つまり、憲法は変わったけど、憲法を担う人間そのものは変わることができなかった。
佐高 日本人には、追いつめられたら心中するというすごい精神があるじゃない。だから日本の外交というのは、いわば「心中外交」なんだね。共に生きる外交ではない。それを転換するんだというのが憲法だったわけ。
辛  そう。私ね、日本って水戸黄門文化だと思うんですよ。じっとこらえて、ぐっと耐えて、町人のフリして我慢して、えんえんと叩かれていながら8時45分になると印籠出して、バシバシ切って終わりだという。全然コミュニケーションする気のない国ですよ。
佐高  コミュニケーションというのは、部分否定の部分肯定なんですよね。だからここはおかしいと話し合って、ここは違うけどここは一致してるねということでしょう。どころがさっきの「心中外交」が証明しているように、一度盟約を結んだら、相手がどんなことをいおうが、どんなことしようが、全部ついていくんだ。あるいは全部離れる。で、離れたらもうおしまい。それは日本が死を美しいと思う文化だからだな。
辛   死を美化したり、一緒になって死んじゃう文化っていうのは、ただ単に情報のない無知な文化なんですよ。国際社会って、嫌いなヤツでもいざとなれば手を取り合うということでしょう。これが日本人にない。
佐高  好きな人とは、とりたてて外交なんかしなくてもいいわけだよ。むしろ嫌いとか、合わないとか、ちょっと違うなというところから外交って始まるものなんですよ。それがないよね。
辛  ない。だってみんな同じだと思ってるもん。
佐高  話せばわかると
辛  いや、話さなくてもわかると思ってる。日本って霊感師の集団ですよ。みんな黙っていながら相手を理解する。

 共に生きるがための外交がない……。コミュニケーションというのは、部分否定の部分肯定。ちょっと違うなというところから外交は始まるのに……。
 うーん、心中外交で水戸黄門文化って、言い得て妙ですなあ。
 高倉建さんってすてきな俳優さんだけど、今回文化勲章を受章したのって、水戸黄門文化と関係あるなあって思っちゃいました。“耐えて耐えて爆発して滅んでいく役”や“男は黙って……役”をたくさんしてきたもんねえ。