中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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●信頼できる専門家とは、特別な能力のある人でもじぶんたちに代わって責任をとってくれる人でもなく、だれにも答えの見えない問題を「一緒に考えてくれる」人のこと(鷲田清一 東京新聞6月15日夕刊「信頼の根を養う」から)
もっとしっかりとそうできるようになりたい。
同じ記事のなかで、次のところも心に残りました。
過日、知的障害のある人たちによるアート作品の制作を支援している知人から、こんな話を聴いた。
夢中になって描いた絵に、「すごい」「びっくりした」と声をあげると、その人はそれとは違った絵を次々に描いてくれる。ところが、絵ができて、「よくがんばった」「よくできたね」と声をかけると、次にそれと同じ絵をまた描くというのだ。
教育ということを考えるときに、このエピソードが持つ意味は小さくない。
たとえば小学校に入って経験する給食。先生と「きょうのごはん、おいしいね」と声をかけあうのでなく、「全部食べられましたね」と先生に「完食」をほめられたとたん、給食は味気ないものになる。教師が、いっしょに食べる人ではなく、食べないでチェックをする人へと足場を移してしまうからだ。
(教師が査定する側、評価する側に回ると、)子どもは何をするにも試されていると感じるようになる。こうしていつしか学校は、教師と児童、そして児童どうしがたがいを試す場所になり、自発的な体の動きを封じ込める場所になっていった。
ほめられて気分がよくなると、脳内にドーパミンが出て、「そのほめられたことを繰り返したくなる」ということが脳科学で解明されているそうです。
じゃあ、創造性を刺激したり引き出してくれたりするのはなんなんだろう。