ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

いろんなできごとを面白がってしまおうと思っています。
日常のあれやこれや記事です。

泣きっ面になり、さらに蜂に刺されたおかげで

2009-09-17 11:06:17 | まじめな話
 武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
         (↑これをクリックするとホームページに行きます)



 わかりにくい書き方になってしまうことを、あらかじめお詫びしておきます。ごめんなさい。

 8年ぐらい前ですが、ある人との関係性について考えに考えました。そして新しい関係を構築して過ごしてきました。そして先日、ちっちゃな悲しみをまた経験しました。
 「まあ、いつものことだからね」と自分に言いきかせていたのですが、先日お世話になった温故堂でいろいろ話しているとき、その思いの根元にあるものを見つめ直さなくてはならないことを思い知りました。
 それは、“わかっていたけれど自分をなだめて深く考えないようにしていたもの”でした。

 20年近く前までさかのぼり、その人と体験したいろいろなことを確認しながら、今にいたるまでをたどり直しました。きつい時間でした。
 胸の痛みはまだ続いていますが、見直す時期が来ていたのだなと深く納得しています。

 このできごとで再確認したこともあります。このきつい時間を味わっているときに、ちょっと弱音を漏らしたことがありました。私の話し方が至らなかったせいでしょうが、そのときに返ってきた言葉などで精神的な「泣きっ面に蜂」状態を体験したのです。ありがたいことに、そのおかげで、「表現すること」についてまた確認することができました。

 一つのことを伝えるにも、どんな言葉を使うか、どんな言い方をするか、なにを言わないかなどなど、いろいろな伝え方や表現方法があります。
 このブログでも何度か書いていることですけど、思いを伝えるときには、相手が受け取りやすいように表現することが必要。それができるためには、相手のことを理解しようとすることと、まずは相手の表現を批判なしにそのまま受け取ることが欠かせません。

 強く見えても、動じないように見えても、きつい言葉を使っていても、それはその人のよろいや強がりかもしれない。
 にこやかに話していても、ニコニコ仮面の下には苦痛や怒りや血の涙があるのかもしれない。
 「よくわかります」「その通りですね」と深くうなずいていても、それは相手からの言葉をやり過ごすための表面だけのものかもしれない。
 そういうことがわからなければ、自分ではよかれと思って言った言葉もただ相手を傷つけるだけになってしまったり、「よけいなお世話」になったりします。

 今まで生きてきた中で、取り戻すことのできないさまざまな失敗をしてきました。つらい思いをしている相手に「批評の言葉」と受け取られてしまう言葉を言ってしまったり、不幸自慢をして同情をひきたいという相手を増長させてしまったり。
 だからこそ今、ハートからのコミュニケーションをしているときは当然のこと、普通のコミュニケーションのときでも、もっともっと心配りが必要だということを認識できるようにと、泣きっ面に蜂体験をさせてもらったのでしょう。

 セッションの中でもこれまで以上に受容と共感・理解が必要なのでしょう。

 そんなことにもまた思いが及んだ、痛いけど重い、貴重な体験ができたこのごろでした。

 さて、また新しい旅立ちです。どういう方向へどうやって進もうか、じっくり考え中です。
 今やっと思いを話せるようにまでなれたことに感謝します。ありがとうございます。