花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

“お正月の思い出”完結編

2022年11月16日 | レモン色の町

男所帯20名のNPO法人“男の囲炉裏端の会”。月初めの木曜日に定例会があり、それぞれが持ち寄った“お題”で話が盛り上がっております。実は数年前から“懐かしの映画館巡り”でお世話になっていることから、入会させていただくことにしました。結成以来10年の月日を重ねてみえます。会の雰囲気を尊重しながら、共に楽しませていただくことにいたしました。さて、“お正月の思い出”の続きでゴザイマス。

I「お正月前には、障子の張替えをしました。引手にバツ印で切り込みを入れ折り込んで貼ると引手が出来ました。襖の張替えになると、下張りから古い新聞が出てきて、手伝いの手を休めて読んだものです。31日の年越しに“二見ヶ浦”の初日の出を拝みに行きました。行きも帰りも電車の中は満員状態でした。忘れられないのは、年末、誕生日に買ってもらった“ローラースケーター”を近所の遊び場に忘れてきたことでした。急いで取りに行ったのですが、既にありませんでした。」

  • 初日の出は、塩浜駅から近鉄線で“宇治山田”まで行き、駅前から“二見ヶ浦”まで路面電車に乗ったと想像できます。当時の伊勢の玄関口は宇治山田で、内宮より外宮の方が賑わっていました。宇治山田駅の客引きはすごかった。そこから遠き古(いにしえ)の賑わいまで話が及び、“おかげ参り”や“御師(おんし)”、日本三大遊郭の“古市”の話で盛り上がりました。(江戸の吉原、京の島原と並んで 伊勢の古市は有名)

J氏「私の家は田舎でしたので、冬休みになると、1日中田んぼで凧揚げをしました。おじいさんがしていた焚火にあったことも思い出です。お正月は、仏壇と神棚を拝み、漢方薬の入った“お屠蘇”をいただきました。お年玉で『赤胴鈴之助』や『少年探偵団』などのマンガを買った覚えもあります。」

  • 近所の薬局で“お屠蘇”用の漢方薬をいただいたので、暮れに1升瓶に押し込んで楽しみに正月を迎えたのですが、薬草臭くて飲めず、酒1升を捨てたことを覚えています。

K氏「正月元旦は、神棚を拝み、お雑煮をいただき、銭湯へ朝風呂に行きます。帰ってきて新しい服に着替えました。私の成果は雪が多い土地でしたので、竹でスキーを作って遊びました。ほかに、竹で凧を作り、それに絵をかいて飛ばしたことも思い出です。めんこやトランプ、かるたなどもしました。」

L氏「日用品の卸しをしていた我が家は、年末 大忙しでした。結婚してからは、ゆっくりしたお正月で、家内と二人、取り寄せの蟹を使った“蟹すき”などでお酒三昧のお正月を過ごしております。」

  • 夫婦で酒好きとは!止める人が居ないということですか!そりゃ、うらやましい!

 

そして、「最後は、わたくしの“お正月の思い出”です。12月24日は終業式で、帰るとその夜はクリスマス。夜は近くのダイヤパンで買ってきたケーキを兄弟で食べます。翌朝になると枕元にプレゼントが置いてありました。銀紙が貼られた長靴にお菓子が詰まっています。やって来るお正月に心は浮き立っていました。30日は早朝から餅つきです。餅つきの日は「29(肉)をつくのは縁起が悪い」とも言われて30日が多かったようです。つきあがった伸し餅を1枚、国鉄四日市駅近くのおばあちゃんのところへ運びます。リヤカーに乗せて姉と二人で薄暗い街を進みます。人気のない見慣れない街の風景がだんだんと明るくなってきました。

我が家も商売をしていましたので、31日は除夜の鐘が鳴るまで大忙しです。正月三が日はどこのお店も締まってしまうので、お正月の御馳走は年内に準備が必要でした。

開けて元日。昨夜までの喧騒は嘘のように静まり返っていました。お重のおせちで雑煮をいただきます。あとは炬燵に入って年末に買った雑誌「少年」の2月号を見たり、トランプをしたり、みかんを食べながら過ごしました。「一日から風呂を沸かすと鬼が入りに来る」と言われたりして、何もせず過ごすのが元日でした。

2日になると従兄弟が遊びに来ます。お年玉をつかんで諏訪公園へ飛び出しました。当時の諏訪公園は、香具師や見世物小屋、サーカスなどで賑わっていました。綿菓子の何処が一番大きいか?袋から蛇を出す啖呵売、ういろう売りなどを一日中見て回りました。1月7日からはまた学校が始まります。あっという間に過ぎた冬休みでした。

  • 子供のころは楽しかったお正月。過ごし方は人様々。みなさまは、どんな思い出をお持ちでしょうか?
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