花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

昭和30年代回顧譚(月光仮面の巻)

2006年05月03日 | レモン色の町
昭和33年2月24日、国産テレビ映画第一号作品として「月光仮面」が始まった。
時、オイラの家には当然テレビがなかった。ど~この誰かは知らないけれど、誰もがみ~んな知ってい~る の歌に誘われて、床屋の木戸くんちにあがりこむ。店のおくに2畳ほどの座敷があり、テレビが吊ってある。店からも座敷からでも鑑賞できるようになっていた。木戸君とオイラの特等席だ。
曜から土曜日までの午後6時から15分間が放送時間。薄暗い砂利道をホンダドリーム125ccにまたがった月光仮面が、砂埃を上げて時速30キロメートルの猛スピードで走りぬける。白いマントにマフラー、サングラスを掛けた月光仮面が現れると、僕らは無条件に興奮した。月光仮面のモッコリに興奮したわけではない。
東宝映画「スーパージャイアンツ」扮する宇津井健さんのマタグラもモッコリしていた。空を飛ぶとき邪魔なんじゃない?とか思ったり、あ~大人になるということはこういうことなんだと変に納得したりして。
ラスティックのコルトがかんしゃく玉を破裂させると、サタンの爪が姿をくらます。悪玉はその後エスカレートして、どくろ仮面や15メートルもある大怪獣マンモスコングと対決した。マンモスコングが出たときはどうやって戦うのか途方にくれた。
時、映画1本作るのに1000万円かかった頃、30分あたり50万円という超安値で作られた。今見てみると、狭い部屋で祝十郎の大瀬康一と五郎八の谷寛一がごちゃごちゃやっているだけで、いかにも安っぽい。なんと製作会社の社長室を使ったそうだ。
呂敷のマントと、駄菓子屋で手に入れたサングラスさえあれば、人差し指と親指を立てた二挺拳銃で月光仮面になれた。あちこちに残る、雑草の生えた空き地では月光仮面ごっこが繰り広げられた。
イスカレーの匂いが漂う夕暮れ時になると、僕は月光仮面の時間を思い出して、木戸君ちへ急いだ。月光仮面になりきり、高いところから飛び降りて怪我をする子供が出たため、昭和34年7月5日をもってテレビ放送は終了した。

第1部 どくろ仮面 2月24日~5月17日、月~土18時~18時10分全71回
第2部 パラダイ王国の秘宝 5月25日~10月12日、毎週日曜18時~18時30分全21回
第3部 マンモスコング 10月19日~11月30日、毎週日曜18時~18時30分 12月7日~12月28日、毎週日曜19時~19時30分全11回
第4部 幽霊塔の逆襲 1月4日~3月29日、毎週日曜19時~19時30分全13回
第5部 その復讐に手を出すな 4月5日~7月5日、毎週日曜19時~19時30分全14回