花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

昭和30年代回顧譚(事件記者)

2006年05月13日 | レモン色の町

待望のテレビがようやく我が家の床の間に置かれたのは、皇太子御成婚の昭和34年ごろじゃなかったろうか。
刊のテレビ欄を姉と取り合いして、本日鑑賞予定の番組に丸印をうったりしたものだ。NHK、CBC、東海テレビ、あとから名古屋テレビが出来て、午後は放送がお休みだったりしたが、見たい番組はたくさんあった。
光仮面」(ど~この誰かは 知~らないけれど)はまもなく終了したが「少年ジェット」(ゆこ~おぅ てっけんよぉ~)「海底人ハヤブサ」(はちはちにぃさん 謎の人ぉ~)「まぼろし探偵」(まぼろしたんてぃ~)「七色仮面」(ななつのか~おの おじさんの ほんとの顔はどれでしょぅ~)「怪傑ハリマオ」(ハリマオ~ ハリマオ~ ぼくら~のハリマオ)そして「隠密剣士」とぼくらのヒーローが、凸レンズみたいな丸い白黒画面の中で暴れまくった。恐ろしいほどテーマ曲が出てくる。
くで見ると目が悪くなるぞとよく注意されたが、お構いなくかぶりつきで見た。頭が悪くなるとも言われた。おかげで大きくなった今、オイラは頭が悪くて近眼だ。
の頃始まっていた「ダイヤル110番」や「事件記者」は、大人の世界を見せ付けられる思いだった。朝刊の締め切りまでにあと何分といった緊張感あふれる世界を「事件記者」で知った。記者クラブには各新聞社の記者が詰めていて、時には協定を結んだり、スクープ記事を出し抜いたりする。永井智雄が電話の受話器を肩に挟んだままメモを取る姿がカッコを良く、よく真似をして受話器を落とした。
日のBS放送で知ったが、緊張するはずだ、なんと「事件記者」は生放送だった。推理作家の島田一男が原稿を書いている途中で、セットが作られていく。完成していない原稿を盗み見して想像で作る。並行して進めないと本番に間に合わないからだ。
番当日。緊急に作られた7つほどのセットの真ん中に3台のテレビカメラが置かれる。記者クラブ、公園、犯人のアジトなどのセットを太いケーブルをつけたカメラが絡みつかないように動かされた。台本も直前に渡されるものだから、覚え切れないと、堂々と台本を持ち出してメモを見るように読んだ俳優もいたという。
画が当たり前の現代から思うと、生放送は信じられない。演劇舞台の延長という感覚で放送されたのだろう。

コメント (3)
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