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花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

笑顔と目標

2006年03月12日 | おいらの商店街
またまた出九根達郎氏にご登場願う。本の名は「まかふしぎ・猫の犬」。出九根さんが古書店の店員になった若い頃、番頭さんにこういわれた。
顔で客に対すること。口下手も笑顔が帳消しにしてくれる。あきんどは、幸せを売るんだからね」自然な笑顔は難しい。自分で商売をして始めて笑顔が出た。売った商品がお客様に喜ばれたとき、意識せずに出た。客の幸せは、私の幸せであったと書いてある。
店街にも笑顔が欲しい。何しろ元手がかからない。笑顔と対話で好感が持てれば、またお客様は街に訪れる。お客の立場になって商品を勧めよう。わかってはいるが時々忘れてしまう。長年商売をしていると、客の第一印象で態度を決めてしまう。悪い癖だ。
九根さんは、こだわりの豆腐やさんの話を知人から聞いた。看板どおり値段は高いが味は良い。最初は結構評判になり売れていたが、まもなくさびれた。あせった店主は値を下げた。けれど売り上げは伸びず、結局、店を閉めた。
だわりのお店は、なぜ閉店に至ったのだろうか。近所に昔からの豆腐屋さんがあって営業を続けている。味は劣っていたが挨拶に威勢が良かった。いらっしゃい、お早うございますの挨拶。
だわりの豆腐屋さんは愛想が悪かった。食べてくれればわかるという名人かたぎのところがあったのだろう。「豆腐がおいしいのは分かる。けれど豆腐だけじゃないよな、商売って」そう知人は言ったそうだ。
イラの近所にも「すわとん」というトンカツ屋さんがあった。串が10円カツが30円。それだけで商売をしてみえた。繁盛していた。秘訣は挨拶にあった。店頭で親父さんがいつもカツを揚げていた。前を通る人に大きな声で挨拶をする。挨拶をされた人は、今夜のおかずはカツにしようかなと考えざるを得なかっただろう。
まりいい話ではないが、出九根さんはこの本で「町が消える」というエッセイを載せている。懇意にしていた呉服屋さん、威勢のいい売り声の魚屋さん、懐かしい味のコロッケ屋さん。最近こういったお店が閉じて、携帯などを扱う新しい店に様変わりしているという。商売特有のコツというものが継承されることなく消えていくことを嘆いてみえる。
当地四日市も例外ではない。あの商店街へ行くとほっとする。楽しいからまた出かけてみよう。そう感じてもらえるような人情味あふれる通りにしていきたいものだ。と、理想が大きすぎますか?
んなことも載っていた。野球選手のイチローがシアトルで小学生相手に講演をした。イチローは尋ねる。
なた達の中で、将来、野球選手になりたい人はいますか?私は10年後、野球を続けているかどうかわかりませんが」そしてこう結んだ「人生で、最も大切なことは目標を持つことです」
標を持つ。今、ご当地スワマエで欠けていて、そして最も大切なことじゃないでしょうか。
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会議は踊る

2006年03月08日 | おいらの商店街
3月6日、表参道スワマエの集まりがスワマエの韓屋であった。集まったのは10名。いつもの顔ぶれだ。
スム会長も話していたが、今年に入って全体に元気がない。原因はいたって簡単。人通りが少ない。従って売上が落ち込んでいる。それだけだ。それだけだが決定的なダメージだ。しかし、集まっていろいろ話し合っていると元気の元も出てくる。勝手がってにいろんなことをしゃべりすぎる嫌いもあったが、まあ和気藹々としてすばらしい。
月1日は、朔日恵比寿の日だ。この日は通りに幟を立てたあと、地元の諏訪神社におまいりする。もう4・5年続いている。この後、餅つきを行い販売していた。好評だったが、各お店が手薄になってきたため2年ほど休止状態になっていた。この餅つきの再開が決まった。再び街に餅つきの音が聞こえるようになるだろう。やろうという意見がほとんどだった。すばらしい。
日恵比寿を盛り上げるため、この日のみ各商店で1割引券を出して、来ていただいただけのメリットを出そうと会長から案が出された。割引券の発行を個店の売り上げにつなげたい。この発言もすばらしかった。グッドアイデアだ。
車券を出し渋るお店があるという意見が聞かれた。郊外店での駐車は無料。いまやタダの駐車が当たり前の時代だ。だったらポスターに駐車券をつけて各お店に配ろう、気軽に車で来ていただける商店街をアピールしようということになった。各店で駐車場ご利用になられましたか?といった積極的な言葉が聞かれるようになれば、これまた すばらしい。
上、大きな魅力はないかもしれない。けれど、今のスワマエにとってこの三点は大きな収穫だったと思う。お酒を入れての会議だった。個々で雑談する雰囲気もあったが、まずなんとかしたいという意識統一が必要だ。危機意識を共有できる場作りから始めよう(お酒を飲んで)。そこから行動に移そう。小さな成果でも評価しよう。手をつないで、みんなでデモに参加しよう!明日のスワマエは明るいゾ!ッテカ?

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我が家のトイレ騒動記

2006年03月05日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
トイレのタンクが壊れた。この三日ほどトイレにこもって悪戦苦闘している。
が家も建てて27年。あちこち傷むのも当然だ。タンクの中の水を止めるボールが使いすぎで鎖のところがすりへった。今まで何回このボールを動かしているのだろう。1日平均5回として49275回は使っている。壊れるのも当たり前だ。とりあえず、水を抜いて接着剤で鎖をくっつけた。
朝、稼動OK。気持ちよい排便を堪能させてもらった。ところが次の日の朝。再び空回り。今度は大小のレバーの裏側の鎖が千切れている。ハンダ付けが取れたのだ。49276回以上は使っているから壊れるのも当たり前だ。
理屋にたのもうか。否、意地の悪そうなあんちゃんが来て、法外な請求をされてはたまらない。我が家にはお金がないのだ。否、意地の悪そうなあんちゃんに払う金などないのだ。とりあえず紐をボールにくくりつけ、手動で水を流すようにした。
かぁんにおいらの器用なところを自慢して水の流し方を説明した。2階のトイレを使うからええわ、とのそっけない返事。ところが小用に使ってしまったらしい。なんと、その後水を流さず芳香剤を撒いておしまいにしたという。なんちゅうやっちゃ。
オイラは心地よい芳香剤を堪能させていただきながら修繕にいそしんでいたことになる。
ンクのレバーをはずしにかかったが、すっかりさび付いてネジが硬い。27年も経っている。いつも濡れているところだからさび付くのも当たり前だ。49277回は使っている。元は取っているはずだ。潤滑油を塗り塗りはずしにかかる。すっかり古くなったものには潤滑油を注すに限る。なんせ4927・・・回も使っているのだから。
ずした部品を持ってホームセンターに走る。「お宅、何持ってるんですか?」と聞かれたら、その場で古いのを放り投げて帰ってこようと決めた。レジのところでチラチラ見せたが、残念ながら何も尋ねられなかった。仕方がないので持って帰った。
日取り付け完了。「あんたが修理して、きちんと直ったためしがない」と、これがおかぁんのいつものセリフだ。今回はうまくいった。そこで思い出した。最初の故障部分のボールがまだ取り替えてない。
うか接着剤が離れませんように」と祈る気持ちでゆっくり使っている。しかし、おかぁんは、お構いなしに思い切りレバーをまわしている様子だ。
のセリフが聞かれるのも間近である「あんたが修理して、直ったためしがないワ」
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日本アカデミー賞発表

2006年03月04日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
日本アカデミー賞の発表が昨日あった。「ALWAYS三丁目の夕日」が軒並み賞を取った。
和24年生まれの阿部秀司プロデューサーは団塊の世代だ。私たちが子供の頃は、21世紀というと夢と希望に膨らんだすばらしい未来があると信じていた。月刊雑誌「少年」には必ず、第二次世界大戦や西部劇のそう絵にまじって、宇宙未来都市の絵が載っていた。
なる懐かしさに終わるのではなく、今では当たり前になってしまったなんでもないことに感動したり、喜んだり、悲しんだりしたあの頃の、貧しかったけれど生き生きとしていた時代から何かを感じ取って欲しい、そんな気持ちをこめてこの映画は作られたそうだ。
崎貴監督は、昭和30年代を知らない若い世代の人だ。彼はスタジオに夕日町商店街を作り、商店に並ぶ小物の一つ一つにまでこだわり昭和の時代を再現した。
オート三輪が走り、建設途中の東京タワーを望む大通りに面した大衆食堂「ときわ堂」は、定食のほかパンも扱う。さしみ定食60円・惣菜各種15円から・おひたし10円・サラダ20円などのメニューが貼り出してある。
かいの「蒲生燃料店」には炭俵が積んであり、切炭・炭団・練炭・豆炭と書いた紙が貼ってある。どこの家にも火鉢ややぐら炬燵があった。炬燵の上は猫の寝場所でありみかんが置いてあったりした。ボード板が敷かれるようになったのは電気炬燵になってからだ。
下履物店」はいつも大売出し中。ゲタやぞうりの品揃えも豊富で、ツバメゴム靴は人気メニューだった。作家志望の茶川竜之介はいつもゲタ履きだ。
ばこ屋」には看板娘?の大田キンばあさんが店番をしている。赤い公衆電話が置いてあるカーブのついたガラスケースには、いこい・ピース・しんせいなどのタバコが並んでいる。フィルターつきタバコはまだ見当たらない。キンばあさんの奥の部屋にはロカビリー歌手のポスターが飾ってある。
り口にナショナル坊やの人形がある「神崎ラジオ商会」。当時の「三種の神器」はテレビ・電気冷蔵庫・洗濯機だ。新しく買い求めたい家庭がほとんどで売れに売れたことと思う。マイティマウスやチロリン村とくるみの木を観るため、子供たちはテレビのある家に集まった。
理が主の「鈴木オート」にはダイハツミゼットが置かれている。某所から借りることは出来たものの新しすぎたので、スタッフが水彩絵の具で古く見えるように彩色したそうだ。
の「茶川商店」は駄菓子屋さんだ。森永アイスバー・コーヒーキャラメル・グリコ・マーブルチョコレート・明治クリームキャラメル・テルミックの飛行機キット・ブリキのおもちゃなどが全国から集められた。
物屋などは季節に応じて、すだれや風鈴などが陳列換えされたそうだ。こうしてスタジオに昭和33年の商店街が再現されたのだ。
うして眺めてみると、店の奥には住まいがあり経営と生活が一体となっていた。商店街がひとつの共同体で、お互いの助け合いで成り立っていたのではなかろうか。
商店街には、連帯感が必要とされている。
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旧ジャスコB館跡地の説明会の案内

2006年03月03日 | おいらの商店街
今、株式会社 長工さんのところの女性の方が、中高層建物説明会の案内の書面を配ってきた。
分譲マンションの建築に関する事前説明会で、近隣の商店街・自治会会員に配布している様子だ。
3月13日午後2時から、総合会館8階で行われるということだ。
着工までが長かった。だから長工さんなのか。
四日市ジャスコが駅前から撤退するといって、建物が取り壊されてすっかり空き地となり4~5年の歳月が経つんじゃなかろうか。
何を建てる、これを建てたいと意見百出で時間が経ち、その間に、駅前商店街はがたがたになってしまった。
ようやく抜けた歯に入れ歯が差し込まれそうだ。
1日でも早く、街らしい街になるよう願わずにはいられない。
ところで、A館跡地の着工はまだなんだろうか?そのあたりもお尋ねしたい。
早くしていただかないと、街が持たない。マチどおしいマチであります。

特報
グーグルマップで日本はおろか世界の上空写真が見れた
すごい
http://maps.google.co.jp/maps

コメント (8)
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