日本アカデミー賞の発表が昨日あった。「ALWAYS三丁目の夕日」が軒並み賞を取った。
昭和24年生まれの阿部秀司プロデューサーは団塊の世代だ。私たちが子供の頃は、21世紀というと夢と希望に膨らんだすばらしい未来があると信じていた。月刊雑誌「少年」には必ず、第二次世界大戦や西部劇のそう絵にまじって、宇宙未来都市の絵が載っていた。
単なる懐かしさに終わるのではなく、今では当たり前になってしまったなんでもないことに感動したり、喜んだり、悲しんだりしたあの頃の、貧しかったけれど生き生きとしていた時代から何かを感じ取って欲しい、そんな気持ちをこめてこの映画は作られたそうだ。
山崎貴監督は、昭和30年代を知らない若い世代の人だ。彼はスタジオに夕日町商店街を作り、商店に並ぶ小物の一つ一つにまでこだわり昭和の時代を再現した。
オート三輪が走り、建設途中の東京タワーを望む大通りに面した大衆食堂「ときわ堂」は、定食のほかパンも扱う。さしみ定食60円・惣菜各種15円から・おひたし10円・サラダ20円などのメニューが貼り出してある。
向かいの「蒲生燃料店」には炭俵が積んであり、切炭・炭団・練炭・豆炭と書いた紙が貼ってある。どこの家にも火鉢ややぐら炬燵があった。炬燵の上は猫の寝場所でありみかんが置いてあったりした。ボード板が敷かれるようになったのは電気炬燵になってからだ。
「宮下履物店」はいつも大売出し中。ゲタやぞうりの品揃えも豊富で、ツバメゴム靴は人気メニューだった。作家志望の茶川竜之介はいつもゲタ履きだ。
「たばこ屋」には看板娘?の大田キンばあさんが店番をしている。赤い公衆電話が置いてあるカーブのついたガラスケースには、いこい・ピース・しんせいなどのタバコが並んでいる。フィルターつきタバコはまだ見当たらない。キンばあさんの奥の部屋にはロカビリー歌手のポスターが飾ってある。
入り口にナショナル坊やの人形がある「神崎ラジオ商会」。当時の「三種の神器」はテレビ・電気冷蔵庫・洗濯機だ。新しく買い求めたい家庭がほとんどで売れに売れたことと思う。マイティマウスやチロリン村とくるみの木を観るため、子供たちはテレビのある家に集まった。
修理が主の「鈴木オート」にはダイハツミゼットが置かれている。某所から借りることは出来たものの新しすぎたので、スタッフが水彩絵の具で古く見えるように彩色したそうだ。
前の「茶川商店」は駄菓子屋さんだ。森永アイスバー・コーヒーキャラメル・グリコ・マーブルチョコレート・明治クリームキャラメル・テルミックの飛行機キット・ブリキのおもちゃなどが全国から集められた。
荒物屋などは季節に応じて、すだれや風鈴などが陳列換えされたそうだ。こうしてスタジオに昭和33年の商店街が再現されたのだ。
こうして眺めてみると、店の奥には住まいがあり経営と生活が一体となっていた。商店街がひとつの共同体で、お互いの助け合いで成り立っていたのではなかろうか。
今商店街には、連帯感が必要とされている。
昭和24年生まれの阿部秀司プロデューサーは団塊の世代だ。私たちが子供の頃は、21世紀というと夢と希望に膨らんだすばらしい未来があると信じていた。月刊雑誌「少年」には必ず、第二次世界大戦や西部劇のそう絵にまじって、宇宙未来都市の絵が載っていた。
単なる懐かしさに終わるのではなく、今では当たり前になってしまったなんでもないことに感動したり、喜んだり、悲しんだりしたあの頃の、貧しかったけれど生き生きとしていた時代から何かを感じ取って欲しい、そんな気持ちをこめてこの映画は作られたそうだ。
山崎貴監督は、昭和30年代を知らない若い世代の人だ。彼はスタジオに夕日町商店街を作り、商店に並ぶ小物の一つ一つにまでこだわり昭和の時代を再現した。
オート三輪が走り、建設途中の東京タワーを望む大通りに面した大衆食堂「ときわ堂」は、定食のほかパンも扱う。さしみ定食60円・惣菜各種15円から・おひたし10円・サラダ20円などのメニューが貼り出してある。
向かいの「蒲生燃料店」には炭俵が積んであり、切炭・炭団・練炭・豆炭と書いた紙が貼ってある。どこの家にも火鉢ややぐら炬燵があった。炬燵の上は猫の寝場所でありみかんが置いてあったりした。ボード板が敷かれるようになったのは電気炬燵になってからだ。
「宮下履物店」はいつも大売出し中。ゲタやぞうりの品揃えも豊富で、ツバメゴム靴は人気メニューだった。作家志望の茶川竜之介はいつもゲタ履きだ。
「たばこ屋」には看板娘?の大田キンばあさんが店番をしている。赤い公衆電話が置いてあるカーブのついたガラスケースには、いこい・ピース・しんせいなどのタバコが並んでいる。フィルターつきタバコはまだ見当たらない。キンばあさんの奥の部屋にはロカビリー歌手のポスターが飾ってある。
入り口にナショナル坊やの人形がある「神崎ラジオ商会」。当時の「三種の神器」はテレビ・電気冷蔵庫・洗濯機だ。新しく買い求めたい家庭がほとんどで売れに売れたことと思う。マイティマウスやチロリン村とくるみの木を観るため、子供たちはテレビのある家に集まった。
修理が主の「鈴木オート」にはダイハツミゼットが置かれている。某所から借りることは出来たものの新しすぎたので、スタッフが水彩絵の具で古く見えるように彩色したそうだ。
前の「茶川商店」は駄菓子屋さんだ。森永アイスバー・コーヒーキャラメル・グリコ・マーブルチョコレート・明治クリームキャラメル・テルミックの飛行機キット・ブリキのおもちゃなどが全国から集められた。
荒物屋などは季節に応じて、すだれや風鈴などが陳列換えされたそうだ。こうしてスタジオに昭和33年の商店街が再現されたのだ。
こうして眺めてみると、店の奥には住まいがあり経営と生活が一体となっていた。商店街がひとつの共同体で、お互いの助け合いで成り立っていたのではなかろうか。
今商店街には、連帯感が必要とされている。