花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

未知の諏訪駅西ゾーン 前編

2022年04月24日 | レモン色の町

昨日、娘が“四日市市・三重郡航空写真集”中日新聞社2009年保存版を見つけてきた。そこに新しく出来た近鉄四日市駅(昭和31年9月18日)の空撮が載っていた。「これで諏訪駅西側が分かる!」と喜んだ。

諏訪駅を廃止して現在の近鉄四日市駅をつくる、通称“短絡化”といわれたが、昭和31年9月に行われた。四日市の市街地にとっては大激震で、力のあるお店は諏訪新道から近鉄駅前へドドッと動いた。当時、駅の候補地は、戦後の区画整理で駅と駅を結ぶ70メーター道路が確保され、“講和記念大博覧会”が開催され“子供の国”の会場内であった。西は田圃の中に工業高校が建ち、右手には天理教、左には鵜の森神社があり、正面の松本山を避けるように湯の山線が伸びていた。

昭和29年9月撮影 諏訪駅ホーム西側から湯の山線を望む 本町、水谷氏提供

諏訪駅が廃止される昭和31年以降の写真は、辻俊文氏が詳細に記録されていて変遷の様子が分かる。しかし、諏訪駅の西側がハッキリしなかった。川村鉄工所と田圃だけの未開発地は、辻氏の写真からはただひたすら広い荒野にしか見えなかった。

昭和32年2月22日現・ふれあいモール付近 辻 俊文氏撮影

昭和30年頃のマップ

新日本拝見 週刊朝日 昭和32年3月17日 前田憲司氏提供

駅前開発が進む空撮。しかし、この写真からは 左側の諏訪駅西側が写されていませんでした。


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