花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

“よつげき”は幸町にあった

2012年09月24日 | レモン色の町
四日市劇場は幸町にあったか?の疑問は、大正時代(訂正 昭和15年)の地図から解決できそうだ。
     
下にあるのが国鉄四日市駅、線路は上(西)に伸びて3本の線路に分かれる手前の丸印が諏訪駅、旧東海道沿いにあった。
線路に沿って左(南側)の線が拡張以前の中央通り。中央通りと線路の間に小さく“幸町”とある。
その上に市役所があるから、四日市劇場はもう少し下(東)に建っていた。
中央通りが広く整備されるまでは、このあたり一帯が“幸町”だった。
昭和6年、幸町に「泗水キネマ」が開館した。
昭和8年、名前を「帝国館」に変えるが経営不振となり、
昭和11年名古屋の水野栄三郎に経営者が変わるが、所有者と経営者の間でトラブルが起き休館。
昭和16年7月に、所有者が変わり(経営者が勝利!)「四日市映画劇場」と改称、県下一の設備という宣伝での再出発となり、振興キネマ作品の「大都会」「葉隠大名」で開場した。
空襲で全焼、翌々年には改装オープンをしている。

私も、小学生の頃“よつげき”へ友達と出かけた。(かまぼこを置いたような建物だった)
“よつげき”は東映の二流館で3本立て。いつも労務者風の人で一杯、トイレの臭いと煙草の煙が館内を充満していた。休憩となり館内明るくなると、空席を探す人が通路を走る。その間を、アイスクリームの売り子さんや、煙草の吸い殻を拾う人が行き交った。
3本立てで1本約90分とすると、朝10時ころの開始は2本目から始まり、昼過ぎに1本目。昼の部が17時ころ終わり、夜の部の終了は21時30分ころだったと思う。
子供たちは席に着けそうもないので、場内の周りを囲む通路の手すりに腰をかけて観た。
仁木悦子原作の「猫は知っていた」(1958年映画化)を友達と観ていたら、怖くなって帰ろうということになり、残念な思いをした記憶がある。
この映画は大映作品だから、東映に限ってなかったようだ。
敷地の奥まった処に建物があり、両側は駐輪場になっていた。
昭和42年5月19日火事で全焼。この時が閉館となったようだ。
現在、劇場跡地は駐車場になっていて当時の広さが想像される。
栄町にある劇場跡地。


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