花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

玉井兄弟と浜田小学校

2024年03月30日 | レモン色の町

浜田小学校のこと 再掲載です

浜田小学校の歴史は古い。江戸期、私塾が統合され、四日市学校から浜田学校が江田町の民家(生川吉郎宅・阿瀬知川北)へ移ったのは明治8年11月のことでした。明治19年の小学校令で“尋常第二小学校”(6年制)となった浜田小学校は、東海道沿いの崇顕寺西側に建てられます。北浜田時代と呼ばれていますが、大正9年の記念撮影です。

旧東海道沿いにあった北浜田時代の校舎写真と略図です。東海道沿い、駐在所の奥、阿瀬知川を背にして造られていました。入口正面に立つ二階建ては、一階職員室と二課がさいほう室と唱歌室になっていました。

今回のYouTubeまち歩きは 本町まちかど博物館へ出かけました。

「四日市で人気の大入道を探る/第1話/大入道ミュージアム」 (youtube.com)

玉井兄弟で思い出した。浜田小学校5年生の春、玉井さんという女の子が転校してきた。美人だった。6人くらいで鵜の森公園で遊んでいた時のことだ。“玉井さんを守ろう!”という遊びの流れで、女の子の社宅へ押しかけることになった。

お母さんがみえて、家の中へ入れていただき、おやつを頂戴した。さて、おなかも落ち着いたことだし何かして遊ぼうということになった。鬼になった子が別室で待機する間に、タンスからあらゆる服を引っ張り出し、椅子に座った一人に何枚も重ねて着せる。完成したらみんなは隣の部屋で息を殺して鬼の登場を待つ。こうして鬼は椅子に座っている子が誰かをあてるのだ。触ってはいけない!がルールだ。

さんざん遊んで、家に帰り、ご飯を食べてお風呂に入ろうとしたとき、身に覚えのないセーターを着ていた。それは、紺色の毛糸のセーターで、いい匂いがした。「明日は返そう」と思いつつ、玉井さんと秘密を共有した気分で匂いを嗅いでいた。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 玉井兄弟の業績 | トップ | 良 寛 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

レモン色の町」カテゴリの最新記事