花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

わが町 諏訪 その13

2024年06月01日 | レモン色の町

今朝、MH生さんからお手紙をいただきました。ありがとうございました。MHさんは昭和23年生まれで団塊の世代、私と同年です。昭和39年までの幼年、青年時代を四日市で過ごされました。まず、新しく出来た近鉄四日市駅を降りて北へ進み踏切を渡ります。諏訪駅東の踏切でしょう。諏訪新道に出たところにおもちゃ屋があったと書かれていますが、スワマエ通りの“丸大玩具店”ではないでしょうか?どちらもよくお伺いしました。

和31年の空撮(中日新聞さん)手前近鉄四日市駅 左上の丸印が丸大玩具店の建物

丸大玩具店の通路からトミナガ乳母車店を通って抜けると1号線に出ました。そこを渡ると諏訪新道です。丸大玩具店さんは戦後落ち着いてからトミナガさんと共同でビルを建てられ、真ん中に通路がつくられました。

昭和28年の名古屋タイムスより 左下に丸大衣料玩具の字がみえる

この通路は、戦後のバラック時代からの諏訪駅から諏訪新道へ抜ける重要な通路でした。思い出します、丸大さんは、ファミリーコンピューターのソフトの売れ筋に差がありすぎるので悩んでいたと話してみえました。新発売のソフトは飛びつくように売れていくののですが、旧作は売れない。メーカーは新作と旧作を抱き合わせで売り付けていたようです。

昭和43年のゼンリン地図

昭和33年 1号線舗装工事の様子 右トミナガさんの建物 訂正:よく見ると もう二軒右寄りのようです

諏訪新道へ出ると、左に“うまいや”がありました。ここの“びっくりぜんざい”を覚えていませんか?残念ながらびっくりぜんざいはいただいた記憶がありませんが、白砂糖が山のように盛ってあったと聞いております。猫のような大きさのネズミがいたとか。夜はネオン輝く蒲鉾型の建物で、二階も椅子席になっていた記憶があります。

昭和35年7月9日の洪水時の諏訪新道 左から東方向へ 水谷理容・川口屋・スギノトーキ、そして角にうまいやと並びます アーチに「へのへのもへじ」の看板 蒲鉾型の屋根をしたお店が望めます


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