花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

わが町 諏訪 その14

2024年06月02日 | レモン色の町

MH生さんからのお手紙の第2弾です。1号線近くに半分露天のようなお菓子屋がありませんでしたか?それは“コトブキヤ”さんでしょう。当店の近くでしたから15時近くになると、兄弟を代表してお菓子を買いに走らされたものです。“コトブキヤ”さんは、1号線に面した角にあって、何列か下に箱が並んでいて、ガラスの蓋をあけてステンのスコップでザッとお菓子をすくい(コップの形は鮮明に覚えております)、紙の袋に入れて量りの上にのせて売っておりました。10円で買う子供が多かったので、10円で何グラムと表示がケースの後ろに書いてありました。奴あられ・変わり玉・煎餅・ビスケット・金平糖等を持って帰って、部屋で包装紙を兄弟分拡げます。そこで等分にお菓子を分けます。全員が多い少ないを凝視する中・・・。MH生さんが買ってもらった“カルミン”は覚えております。形も味も覚えております。

コトブキヤさんは昭和40年頃に“ビーボーン”というレストランになっています。ここの吹き抜けになった2階でランチやレモンスカッシュをいただきました。

ビーボーンさん跡

諏訪神社から南に延びる道を進み(東海道の当店前を通過して・・・)、旧近鉄線の踏切を渡ったところで“野球帽”を買ってもらった思い出があります。それは、帽子専門店の“一見洋品店”さんのことです。“帽子の専門店”で商売が成り立っていたとは凄いことです。一見さんが閉店の折、在庫を放出されました。その時に頂戴したのが、はじめて頭にした“ハンチング帽”でした。以来私には欠かせない代物となっております。

一見さん跡

浜田小学校からの帰り、正ちゃんと笑いながら一見洋品店さん前を通過すると、ポコッという音がします。驚いて振り向くと、一見さんのウインドゥに石ころ大の穴が開いていました。うしろを来たAさん兄弟の仕業でした。Aさん弟は体が不自由で、それを笑われたと勘違いし、落ちていた石を投げつけたようでした。悲しい出来事でした。小さい頃の思い出は、なぜか ほの悲しいことが多いようです。