花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

膝栗毛における日坂(にっさか)事件

2024年06月26日 | ひろ助が巡る花の東海道

1802年、十返舎一九の書いた“東海道中膝栗毛”は当時はやり出した旅行ブームに乗って大ベストセラーとなりました。ここに日坂のことが掲載されています。ここではとんでもないことが!相変わらずのお二人でした。

袋井

弥次喜多は雨宿りのため、日坂宿のある旅籠に入りました。まだ日が高いので雨が止むのを待って歩きだす予定だったのですが、その宿に女性の団体が泊まると知り、あっさり日坂でその日の旅を打ち切ります。
女性の団体は巫女 (霊媒師) でした。弥次は面白半分で死んだ女房を呼び出してもらいます。
女房との再会で涙ながらに「もっと大切にしてやればよかった」と反省するのですが、その後巫女達と酒を飲み、舌の根も乾かぬうちに若い巫女のところへ夜這いに行こうと画策を始めました。
喜多に「今日ぐらいおとなしくしてたらどうだ。俺に譲れ」とたしなめられるものの、おとなしく言うことを聞くような弥次ではありません。

日坂

夜も五ツ (午後八時) を過ぎ、四ツ (十時) に回る夜回りの拍子木の音が枕もとにひびいてくる。台所であすの支度に味噌をする音もやみ、犬の遠ぼえだけが聞えてくる。物寂しく静かに雨の夜はふけて行く。時分はよしと北八がそっと起きだし、奥の間をうかがうと、行灯も消えて真暗である。
そろそろと忍びこんで探りまわし、巫女の夜着の中にすべりこむ。すると思いがけなく、この巫女の方から無言のまま北八の手を取って引っぱり寄せた。北八はこれはありがたいと、そのまま夜着をすっぽりかぶって手枕のころび寝に仮のちぎりをかわした後は、二人とも前後不覚に鼻をつきあわせて寝入ってしまった。

巫女と思っていたのはとんでもないおばあさんだったというオチを読んだつもりで、ウエブサイトを手繰りなおしておりましたが、発見できませんでした。伊馬春部訳の“東海道中膝栗毛”にて その顛末を調べてみることにいたします。つづく

掛川


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