花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

鵜の森神社界隈

2006年01月21日 | レモン色の町
お客様のところに伺った。静寂が気まずいので、奥さんといろんな話をしながらの作業となる。(写真は昭和32年頃の駅東口の様子・辻俊文さん提供)
の缶詰が積んであるので、猫の話をする。1匹飼って居るそうだ。オイラの家には6匹の猫が居る。野良に餌をやるうち、居ついてしまった。「そんなに街で飼えるのですか?」とお聞きするので「家は鵜の森にあります」と答えると、加藤さん(高齢なのです)は昔、鵜の森神社の北側にお住まいだったとの返事。
の森にはオイラが小学校の頃の同級生が住んでいた。加藤さんはN君のことを良く知っていた。すぐ前に住んでいたということだ。懐かしさがこみ上げて話が弾む。3軒隣のM君のことも良く知ってみえた。
んと、浜田小学校3年の担任の先生が、加藤さんの妹の旦那になっているということだ。たまに街で見かけるが、いまや70歳代。高齢だが昔とちっとも変わらないと褒めると、いいえあれは鬘(かつら)ですよと返事が返ってきた。
和30年頃、駅裏には田畑が広がっていた。田んぼの中に工業高校と天理教の建物が建つ。駅裏の川は産業廃棄物のにおいがしていた。そこに場外馬券売り場が出来て開催時には賑わっていた。現在のキクチメガネの付近だ。
鉄四日市駅が出来た頃、馬券売り場のすぐ横に地下道が出来た。珍しいのでよく行った。声が反響するので面白かった。加藤さんは、夜になると真っ暗で気味が悪いので、駅前に出るため切符を買って駅の構内を通ったそうだ。駅の西口はあまり記憶にない。ぬかるみの広場に小さな改札口があった。
裏には、連れ込み旅館が点在していた。駅前の飲食街に対して、駅裏の閑静な場所は好条件だったのだろう。加藤さんは風紀が悪いので二束三文で家を売り払い、今のところに引っ越したということだ。
れ込み宿は、一見普通の家だが地味な看板が揚がっていて、アベックが休憩できるようになっている。ラブホテルの前身である。規模が小さいのでお得意さんで持っていたのだろう。知り合いの叔父さんがよく浮気に利用していた。
の森神社の公園ではよく遊んだ。神社横の細い石段を出ると景色が広がって、広場になっていた。そこで、かくれんぼをした。見つかって出てきた友達が全身引っ付き虫だらけになっていた。皆で取ったが取りきれないので、そのまま帰ってもらった。このあたりはいつも大勢の子供たちで賑わっていた。
こにローラースケート場があった。お金が要るので、たまに入った。お尻にできものが出来ていたとき、尻餅をついて飛び上がった。家に帰って覗いてみたら、ぺちゃんこで跡形もなかった。
社裏から南にかけての公園では、暗くなって大人に注意されるまでよく遊んだ。ローラースケート場は、その後テニス場になったが、利用者が限られるということで今は公園の一部になっている。
の森神社あたりも様変わりした。神社から南を望むと一面黄色の菜畑に霞がかかって、何も見えなかった記憶がある。

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2 コメント

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駅裏の・・・ (yana)
2006-01-22 16:57:22
高校生の時に、駅裏の連れ込みホテルの1室を借りて、会議をしたことがあります。(苦笑)男女で入った方がよいとのことで、それぞれガールフレンドを連れて行きましたよ。(笑)
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うっそー (武兵衛)
2006-01-23 17:22:38
ちょっとぉ

ずいぶんマセた高校生でしたねぇ

何か下ごころがあったんと違う?

うまくいけば・・・なんちゃって

会議のお時間は

多分2時間だったでせう

会議だけで終わったことを

信じます  ハイ!

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