冬になると思うことがある。
昭和天皇が崩御されたのは、昭和64年1月7日であった。
あまり形にこだわりたくない私だったが、暮れの31日、皇居前の「記帳所」へ行って病気平癒を祈願した。この私には、あり得ないほど珍しい行動だった。そのときの心境を、今も不思議に思っている。
当時は港区西麻布に住んでいたので、皇居までの道のりを徒歩で行った。タクシーや電車を利用したのでは、「効き目がない」と思ったのだ。所要時間は1時間程度だった。
報道の内容から、厳しい病状であることは知っていた。
「ああ、これでかの人ともお別れだな」 そんな思いがあった。
それでいながら、「病気平癒」の記帳はおかしい。だが、なんらかの形を表したかった。
そのような当時の行動を、カミさんは知っていた。ほかの誰にも話してはいなかった。ずっと今日まで、胸の中に隠しておいた。つまり大袈裟に言えば、「19年目の真実」だ。
先の大戦中、私たちの世代は、「天皇の御ために死ぬ」と思い込まされていた。しかし終戦直後から、そんな思いは消し飛んでしまった。
大人になるにつれ、戦争指導者の欺瞞を知ったが、特に恨む気持ちはなかった。踊らされていた多くの国民も、反省すべきことがあるように思っていた。
「戦後民主主義」は、私を木っ葉微塵にはしなかったらしい。むしろ、「へー、そんなもんかねー」という思いが強かった。どうしてそんな気持ちでいたのか、当時の詳しい心境は忘れている。
そんな私だったのだが、「人間天皇」宣言もあっさり受け入れたし、「象徴天皇」にも抵抗感はなかった。それだけ幼かったのかもしれない。
その私が、どんな風の吹き回しか、「皇居記帳所」へ行って記帳したのだ。
「かの人も大変だったのだよなあ」 そんな思いだったのかもしれない。
今でも当時の自分を、とても不思議に思っている。分析できていない。いずれしっかり考えなければならない。
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