私の故郷は海岸線に近い。勢い、海の写真が多くなる。
低気圧が東方海上へ去った直後だったので、一昨日の海は荒れていた。中程度の荒れ。
高い波が押し寄せては、岩に砕けていた。
上の写真は、波頭に日が差した瞬間である。
私の里帰りに合わせて、何人かの同級生が集まってくれた。こんな嬉しいことはない。SKさんの配慮だった。
集まってくれたのは、SKさん、HIちゃん、MK君、TM君。
「さん」、「ちゃん」、「君」との違いは、子供時代の呼び名の違いであって、これは仕方がない。
このほかに、HH君とIT君も特に親しい仲間だったが、この二人はもう他界してしまった。とても淋しい次第だ。
私を入れて5人が集まったのだ。私にとってSKちゃん以外の3人は、何十年ぶりの再会だった。
「いやあ、変わらないなあ!」と言い合ったが、もうみんな老人だ。
もちろん、健康と不健康の違いは如何ともしがたく、きっと私の老化が最も早いに違いない。
酒のペースは早かった。私以外の4人はよく一緒に呑んでいるらしい。それぞれのペースを尊重している風だった。
出る話題は、戦争時代から終戦後時代のこと。
誰もが艦砲射撃で逃げ惑い、焼夷弾爆撃でやられたクチだ。話題には事欠かない。
艦砲射撃の時は、みんな山のトンネルへ逃げた。しかし、それぞれ異なるトンネルだった。
それらのトンネルは、防犯的な配慮で、埋められてしまっているらしい。
雨情の話も出た。祖父母の年代から聞いていた話だった。初めての奥さんの苦労話が多かった。放浪の詩人だったので、いい夫やいい父親ではなかったらしい。
二次会はカラオケ。
驚いたことに、唄う歌は、ほとんど似通っていた。持ち歌が同じようであった。
ほかのグループでカラオケをしても、こんなに似通った歌をリクエストすることはなかった。
同じ年代、同じ地域がそうさせているのだろうか。
最後は「誰か故郷を想わざる」の合唱となった。昭和ひと桁の老人が、肩を組み合って唄った。
幼馴染みが顔を揃えれば、気分は一気に幼い時代に引き戻される。恥ずかしさなどは、とっくに吹き飛んでしまった。
♪ 花摘む野辺に 日は落ちて
みんなで肩を 組みながら
唄をうたった 帰りみち
幼馴染みの あの友この友
ああ 誰か故郷を 想わざる ♪
(昭和15年 作詩 西条八十作曲 古賀政男)
「ふるさととは何か」 様々な感興が湧いた。
故郷とは、同時代を共に過ごした者たちとの思い出が息づいている。
野口雨情が生まれ育ち、詩を作っていた町ではなく、「雨降りお月さん」や「しゃぼん玉」を共に唄った町なのだ。
艦砲射撃や焼夷弾爆撃に遭い、逃げ惑った経験をともに味わった町なのだ。
とりわけ、親たちの苦労を見ながら育った。友人たちの家庭も大変だった。
それらの思い出が、今も密かに息づいている。それが故郷なのだ。
「密かな息づかいと再会する」ことが、帰郷の意味合いだった。
同じ地域に育っていても、年代が異なれば、おそらく故郷の形が異なっているに違いない。
それをしみじみ知らされた。
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