私は野口雨情作詞の歌が大好きだ。
とりわけ、歌謡曲では「船頭小唄」がもっとも好きだ。
童謡では、「雨降りお月さん」、「しゃぼん玉」、「七つの子」などなど。
雨情の詩には哀愁が漂っており、私を惹きつけて放さない。
もちろん、私の生まれ在所が雨情の生家と同じ町であることも、理由の大きな一つには違いない。
わが家に孫がいたころ、孫を寝かしつけるのは私の役目だった。そんな折には、童謡を唄った。
もっとも多く唄ったのが、先に書いた「雨降りお月さん」や「七つの子」などだったが、「しゃぼんだま」を最後まで唄い終われないこともあった。
詩の真情を思い、つい胸を詰まらせてしまうことが多かった。孫の母親が早逝したことに、どうしても繋がってしまったのである。(野口雨情作詞 中山晋平作曲)
♪ しゃぼん玉飛んだ 屋根までとんだ
屋根まで飛んで こわれて消えた ♪
♪ しゃぼん玉 消えた 飛ばずに消えた
生まれてすぐに こわれてきえた ♪
♪ 風 風 吹くな しゃぼん玉 飛ばそ ♪
死んだ子供を思って作った詩だとも聞いていたので、私の胸には切なく響いた。
そんな個人的な思いもあり、このごろ、雨情の生家を訪ねてみようと思っている。
すこしでも、雨情の真情に「触れたい思いがある、
しかし一方では、「ふるさとへ 廻る六部の 気の弱り」という句(古川柳なのだろうか)を思えば、自分の気持ちの萎えかと思ったりもしている。
確かに微妙な心理の綾のように思えなくもない。
つまり句意は、「全国を巡っている修行僧ですら、気が弱ってくれば、足はおのずと故郷へ向いてしまう」ということだろう。
近々行くつもりで、実家の弟と連絡をしている。
複雑な心境だ。
参考 六部 六十六部の略。
華経を六十六部書き写して、全国六十六カ所の霊場に奉納して廻った僧のこと。鎌倉時代から流行したらしい。巡礼姿で歩いたそうだ。
お詫びと訂正
わが母校の校歌の作詞者を、野口雨情と書きましたが、誤りでした。
お詫びして訂正させて頂きます。
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