新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

ふるさとへ廻る六部

2008年12月08日 06時21分08秒 | 身辺雑記

 私は野口雨情作詞の歌が大好きだ。

 とりわけ、歌謡曲では「船頭小唄」がもっとも好きだ。

 童謡では、「雨降りお月さん」、「しゃぼん玉」、「七つの子」などなど。

 雨情の詩には哀愁が漂っており、私を惹きつけて放さない。

 もちろん、私の生まれ在所が雨情の生家と同じ町であることも、理由の大きな一つには違いない。

 わが家に孫がいたころ、孫を寝かしつけるのは私の役目だった。そんな折には、童謡を唄った。

 もっとも多く唄ったのが、先に書いた「雨降りお月さん」や「七つの子」などだったが、「しゃぼんだま」を最後まで唄い終われないこともあった。

 詩の真情を思い、つい胸を詰まらせてしまうことが多かった。孫の母親が早逝したことに、どうしても繋がってしまったのである。(野口雨情作詞  中山晋平作曲)

   ♪  しゃぼん玉飛んだ  屋根までとんだ

      屋根まで飛んで  こわれて消えた  ♪

   ♪  しゃぼん玉 消えた  飛ばずに消えた

      生まれてすぐに  こわれてきえた  ♪

   ♪  風 風 吹くな  しゃぼん玉 飛ばそ  ♪

 死んだ子供を思って作った詩だとも聞いていたので、私の胸には切なく響いた。

 そんな個人的な思いもあり、このごろ、雨情の生家を訪ねてみようと思っている。

 すこしでも、雨情の真情に「触れたい思いがある、

 しかし一方では、「ふるさとへ 廻る六部の 気の弱り」という句(古川柳なのだろうか)を思えば、自分の気持ちの萎えかと思ったりもしている。

 確かに微妙な心理の綾のように思えなくもない。

 つまり句意は、「全国を巡っている修行僧ですら、気が弱ってくれば、足はおのずと故郷へ向いてしまう」ということだろう。

 近々行くつもりで、実家の弟と連絡をしている。

 複雑な心境だ。

 参考  六部  六十六部の略。

 華経を六十六部書き写して、全国六十六カ所の霊場に奉納して廻った僧のこと。鎌倉時代から流行したらしい。巡礼姿で歩いたそうだ。

 お詫びと訂正

 わが母校の校歌の作詞者を、野口雨情と書きましたが、誤りでした。
 お詫びして訂正させて頂きます。  
 

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コメント (19)
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