大汐会のメンバーであるA君の話をしたい。
大汐会は昭和40年代の初めころ、一緒に仕事をした仲間たちの集まりだ。集まりと言っても、勉強会ではない。主として、年一回の呑み会が中心となっている。
例年、初夏のころに呑み会が行われる。今年は35回目であった。
そのメンバーにA君がいる。70歳前後だろうか。
十数年前に奥さんを亡くし、以来ずっと独り暮らしを続けている。
そのA君が、このごろ陶芸を始めた。何焼きというのか、私は知らない。
A君は口数の少ない人で、考えながら行動するタイプ。陶芸と聞いて、ピッタリだと思った。
先日、陶芸の面白さについて、いろいろ話してもらったが、やはりやってみなければ理解できない。「フーン」と聞くだけになってしまった。
素焼きの上に釉薬を塗り、1200度から1300度程度の温度で本焼きをするのさそうだ。12時間も焼くのだそうだから、大事だなあと思わざるをえない。
行政機関の施設を借りているそうだ。その代わり、年に幾度かの「チャリテイー即売会」を開催し、その売上金を福祉関係へ寄付をしているとのこと。とても楽しそうな口ぶりだった。
「食べ物を入れる器なのに、その料理を作れないンです。入れ物があっても、中味がないンですから、困ったものです」
料理を作ってくれる人はもう亡い。その淋しさを、A君らしい言葉で言ったのだ。
「茶飲み友達はいないのかい?」 私の質問だ。
「まさか!」 彼は強く否定して、それから笑った。
器があっても料理がない。意味深長な言葉だ。
私に置き換えて考えたとき、今、カミさんのいない生活は考えられない。
実生活上も大弱りだが、気持ちの問題でも大いに支障を来すに違いない。空気が薄くなった感じにでもなるのだろうか。喪失感は想像できない。
とてもこんなことを、カミさんの前では言えないのだが。
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