安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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【重要】「放射能防護に関する科学者と市民のフォーラム」における福島からの報告

2012-05-22 21:55:29 | 原発問題/一般
「放射能防護に関する科学者と市民のフォーラム~チェルノブイリからフクシマまで」が、現地時間5月12日~13日の2日間、スイス・ジュネーブ市で開催され、放射能汚染から住民を守る活動をしている福島の女性を代表して、連れ合いがこのフォーラムに参加し、以下のとおり報告を行いました。

なお、医学的・専門的知見を必要とする報告は、別に日本から参加した医師が行っており、連れ合いに与えられた役割は、市民の立場から行われている放射能汚染からの防護活動について報告を行うことでした。

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 2011年3月11日の東日本大震災に続く、福島第一原子力発電所の事故は、私たちの暮らしから、様々なものを奪い、破壊しました。その影響は、世界中におよび、たいへん申し訳なく思っています。当時、原発の情報は、日本政府、福島県、マスコミからはありませんでした。原発が爆発した映像は、BBC放送のインターネットで流されました。スピーディー(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報はアメリカ政府には3月14日に提供し、国民には3月23日に公開しました。福島県には3月11日からメールで情報が送られていたが、住民には、知らされませんでした。そのため、原発から30キロ圏内の住民は放射能が流れる方向に避難をしてしまい、不信感と怒りを募らせています。

また、汚染の実態が隠されたため、母親は子どもと雨の中、地震による断水のため、長時間給水の列に並ぶことになりました。母親たちは「自分が無知だったために、子どもを被曝させてしまった」と、非常に後悔しています。

 この間、事故の状況と汚染実態は小出しにされ、「レベル7」に引き上げられたのは1ヶ月後でした。飯舘村は高濃度汚染の中、住民を1ヶ月以上も村に居住させていました。長崎大学の山下俊一教授を初めとする福島県の放射線管理アドバイザーが入れ替わり立ち替わり訪れて、「子どもを外で遊ばせても大丈夫」「100ミリシーベルトでも大丈夫です」「放射能、放射線の影響というのは、くよくよしている人にくる」、「ニコニコしていると放射能の影響はこない」と話しました。しかし、その直後に「計画的避難区域」として全村避難となりました。村民は「私たちはモルモットなのか!」と怒っています。

 訳のわからない恐怖の中にいた人たちは、「大丈夫だ」という言葉を聞きたい、安心したいという心境の人と、放射能の危険性を知り、不安に思う人の間に温度差と分断がうまれてしまいました。「放射能の話をしたら、離婚だ」、「放射能を心配しすぎ」、「頭がおかしい」などと言われ、家庭内でも、地域でも放射能を話題にできない雰囲気が作られていきました。一方、市民による自主測定の結果、人口が集中している県中央部(中通り)でも大変深刻な汚染であることがわかってきました。

 ある親は、「毎日、子どもを学校に送り出すのに、子どもに不安を与えてはいけないと思うから笑顔で送り出す。けれどもその後、毎日毎日自分を責めて過ごしている。本当に今、学校に行かせていいのだろうか。自分は子どもを守れているのだろうか。自分は親失格だ・・」と。このような悲痛なメールや声がたくさんありました。

 福島県内の小中学校の76%が、放射線管理区域である空間線量0.6マイクロシーベルト以上の汚染の中にありました。昨年4月、文部科学省は子どもたちに「年間被曝量20ミリシーベルト(毎時3・8マイクロシーベルト)までの被曝は容認する」という通達を出しました。つまり、この国はこれ以上、子どもを守ってくれないのだとわかりました。

 その後、「国が動かないなら、私が守るしかない、そう気がついて、教育委員会に今日電話しました」など、ひとりひとりが動き出しました。昨年5月、子を持つ親が「子どもを放射能から守るためにあらゆる活動を行う」という1点で結びつき、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」が設立されました。放射線量を計測し、汚染地図を作ったり、『放射能の影響について』、『チェルノブイリから学ぶ』など、県内各地で毎日のように学習会、講演会が行われました。みなさんの力があわさって、昨年5月27日、文部科学省は「今年度の学校生活における被曝線量は1ミリシーベルト以下をめざす」と修正しました。

 現在、福島県内はもちろん、全国各地に市民食品放射能測定所が次々とオープンしています。国の食品の暫定基準値が高いこと、行政の検査の体制が十分に整っていないため、市民測定所が求められています。福島県が発表した「米の安全宣言」後に汚染米流通が発覚するなど、消費者の不安は高まっています。行政は放射能汚染を「実害」とは言わず、「風評被害」といい、「食べて応援キャンペーン」を推進しています。親たちは、検査をすり抜けた、汚染された食品が流通しているのではないかと、心配しています。そのため、家庭での食事は、「食材を遠くの産地から購入している家庭」と「何も気にせず、これまでどおりに地元産を購入している家庭」、「気にはしているが、経済的に厳しく、購入できない家庭」など様々です。そんな中、西日本から無農薬の野菜を仕入れ、販売する「野菜カフェはもる」をオープンし、情報提供や学習会なども始めました。

 学校給食については、「食品の放射能測定を徹底させること」、「安全な食材を使用してほしい」など、県や学校に対して、要請行動を行っている親たちが全国にいます。また、保育所や学校で自分の子ども一人だけでも、弁当持参にしているという人もいます。しかし、親たちの間で心配する気持ちの温度差が大きく、「学校やみんなが大丈夫だと言っているから、大丈夫だろう」、「自分の子どもだけ、他の子と違うとかわいそうだから」と、今までとかわらない親が多いのが現状です。一方で、全国ネットワークも結成され、子どもを守る取り組みが進められています。

 2012年1月、甲状腺検査を受けた福島県の子どもの30%に小さい「しこりやのう胞」が見られたが、「原発の影響とみられる異常は見られなかった」と報道されました。山下俊一氏は追加検査は必要ないと、日本甲状腺学会の会員に文書を出しました。本当に、そうなのでしょうか?

 保養、疎開、避難の取り組みは、主に市民どうしのつながりで行われています。福島市大波地区での特定避難勧奨地点の説明会で、冒頭、福島市は「避難は経済を縮小させますから、除染でいきます」と言いました。つまり、避難はさせませんと言ったのです。私たちは「除染をするということは地域が汚れているということです。どうして子どもたちを汚れた地域に置いたまま除染をするのですか?」と問うています。しかし、行政は、除染するのだから避難の必要はないという姿勢です。高線量地域のある学校は、運動会を校庭でやりました。お母さん方が「心配だから、中止するか、体育館でしてほしい」と申し入れをしたところ、校長先生は「当日は個人的にお休みください」と言ったそうです。また、中学、高校生は、親が言うことより、友達や部活動の方が大切な年代です。「避難は絶対にしない」と親に言っている女の子たちも、友達同士では「私、将来、結婚して、子供が産めるのだろうか」と話していると聞きました。どうして、こんなつらい思いを子どもたちにさせなくてはいけないのでしょうか?

 2012年2月現在、福島県外に避難している人は約6万2000人程度といわれています。年度がかわる3月末で、避難者はさらに増えました。昨年6月、郡山市で市民が「避難の権利」を求め、同市を相手取って裁判所への仮処分申請を行いました。「ふくしま集団疎開裁判」とよばれるものです。松井英介先生にも意見書を書いていただきましたが、半年後、申し立ては却下され、現在、上告しています。避難区域以外の人々は、「自主避難者」と呼ばれ、お父さんは仕事と家のため、福島に残り、母子のみで避難するケース、家族そろって避難するケース、家族内で意見対立があり、家から飛び出す形や、離婚して避難するケースなど、事情により様々です。みなさん、生活がとても苦しい状態にあります。避難した方は、「私は汚染された土地に多くの人を残して逃げてきてしまった。故郷を蹂躙され、自分の存在にすら、自信を持つのが難しいほどの日々を過ごしている。汚染地に留められている人は打ちのめされ、絶望し、自分が健康に生きる権利すらあきらめさせられている」と話します。

 私たちは、短期間でも子どもたちの心と体を癒すための「保養」や避難の相談会を行うなど、子どもたちやすべての命を守るために、あきらめずにあらゆる努力をします。どうぞ、世界中のみなさま、ご支援をお願いいたします。ありがとうございました。
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