29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

ヤンキー文化を田中角栄が支えたという説

2010-01-06 09:32:35 | チラシの裏
  前回のエントリの続き。ヤンキーは土着的で東京への憧れをもたないものらしい。最終的にはグループを「卒業」して、育った地域で働くようになるという。

  しかし、一昔前のアウトローと言えば「根無し草」が中心的イメージだったはず。1960年代の高倉健の映画や、渥美清による寅さんをもとに誰かがそう議論していた(誰だったかは忘れた)。この変化は何なのだろうか?

  以下は僕の私見。この変化は1970年代からの田中角栄による地方へ再分配が影響したのではないだろうか?

  1960年代までは地方から大都市に人が移動した。根無し草的アウトローは、そうした上京青年の心情とシンクロしたのだと考えられる。

  しかし、1970年代になると地方開発のためとして、多くの公費が注ぎ込まれる。地方の土建業者に仕事が入るようになり、その子どもが自由に使えるお小遣いも増えただろう。宮台によれば、ヤンキーの「リーダー格の子は地域の建設業の家の子弟であるのが定番」(p.17)だという。彼ら「学校で成功できない・都市に移動しない・だが小金はある」という層に浸透したのがヤンキー文化だと考えられる。これは1970年代を起源とする見方と一致する。

  こう考えると、なぜそれが1990年代に衰退したのかも分かる。阿部・大山の言うように、不況と産業構造の変化で、彼ら若年層を吸収する就職先が地方に無くなってしまった(p.174-201)というのがもっとも大きな原因だろう。単に「ダサくなった」からというような流行の変化ではないのだ。

  つまりヤンキー文化は自民党が間接的に支えてきた。だが、不況でその主な担い手の息の根は止められつつある。ということで衰退論に一票。
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滅びつつあるのか栄えているのかどっち?

2010-01-05 12:24:28 | 読書ノート
五十嵐太郎編著『ヤンキー文化論序説』河出書房, 2009.

  カルチュラル・スタディーズ。18名の著者による論集だが、玉石混交で全体の質はそんなに高いものではない。個人的には「つなぎを着て化粧をする脳(参考)」に衝撃を受けたので読んでみた。

  編者が序文で記しているように、「ヤンキー」は定義されないまま、各論者が自由に対象について述べている。大ざっぱに言って、①ヤンキー的な心性を対象とする論考、②ヤンキーそのものの生態について明らかにする論考、③改造車や漫画などのヤンキー的意匠についての論考の三つがある。

  このうち①と②は微妙に対立する説となっている。①に属する斉藤環と酒井順子は、過剰で悪趣味なヤンキー的センスは歌舞伎にまでさかのぼることができるという。彼らは、ヤンキー的なものは日本人の重要な心性のひとつであるため、大衆の中に拡散してしぶとく生き残っていると指摘する。キャバクラ嬢のような化粧のセンスがそうだというのである。一方、②の宮台真司や阿部真大ら社会学者による議論では、ヤンキーは1970年代に登場し、80年代に全盛を迎え、不景気または地域共同体などの崩壊によっ1990年代には衰退したとされる。

  前者に従えばヤンキーは栄えているが、後者によれば滅びつつある。両者の違いは、「ヤンキー的なセンス」を対象とするか、「人格化されたヤンキー」を対象とするかの違いに還元できるかもしれない。しかし、後者の対象は明確だが、前者は露悪的で悪趣味なものならなんでも入ってしまう。やはり定義無しでは粗いという印象。キャバクラ嬢とヤンキーを一緒くたにしていいものなのか?

  とはいえ、「つなぎ」はヤンキー的意匠に入るだろう。ちなみにそれを身に付けた学生たちは特にヤンキーというわけではなかった。その精神は形骸化し、外見だけが生き残ったというのが今なのだろう。
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バンドネオンを使った静謐な室内楽曲集

2010-01-03 20:43:31 | 音盤ノート
Dino Saluzzi "Cite de la Musique" ECM, 1997.

  アルゼンチン出身のバンドネオン奏者のリーダー作で、ベースとアコースティック・ギターとのトリオ編成による録音。ベースは晩年のBill Evans Trioに所属したMarc Johnson、ギターは息子のJose Saluzzi。本人は1935年の生まれで、このアルバムが録音された1996年時点ですでに還暦を超えている。内容はとても渋い。

  アルゼンチン出身でバンドネオンによる演奏と言えばタンゴが思い浮かぶ。だが、そこはピアソラ以降の音楽家らしく、二拍子でずんずん迫るタンゴ的瞬間は少なく、リズムに緩急をつけたクラシカルな演奏となっている。多少センチメンタルな部分があるものの、基本は激しさの伴わない静謐な楽曲。曲はバンドネオンとギターがソロと伴奏を入れ替わる形で進行してゆく。この二つの背後に深い生ベースの音を加えることによって奥行きを作っている。

  地味だがしみじみくる音楽。馬鹿騒ぎのあとにとても良い。
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