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公共図書館は誤った目標を掲げて発展しやがては現実に服従した、と

2016-10-10 17:04:06 | 読書ノート
ディー・ギャリソン『文化の使徒:公共図書館・女性・アメリカ社会,1876-1920年』田口瑛子訳, 1996.

  米国の公共図書館史で、サブタイトルにあるように1900年前後の動きを扱っている。原書はApostles of culture : The public librarian and American society, 1876-1920 (The Free Press, 1979)である。全体は4部構成で、第一部は黎明期の図書館指導者、第二部はフィクション論争、第三部メルヴィル・デューイの伝記、第四部は公共図書館における女性職員について扱っている。

  第一部から第三部を大雑把にまとめると次のようになる。黎明期の図書館指導者は同時に古典学者だったが、19世紀後半にはデューイを筆頭にした世代が前世代と入れ替わる。後者は、労働者階級を図書館利用者にしようと尽力したが、その目的は社会的安定あって、利用者を中産階級的な秩序に取り込まれるべき「教化の対象」としてみなしていた。こうした態度は、図書館の目的に同意する社会の支配層からの寄付金を図書館に呼び寄せたが、実際の利用とはギャップがあった。いざ普及してみると、公共図書館は中産階級的な道徳と衝突するようなベストセラー本の提供機関として利用者をひきつけた。関係者からの反発はあったが、結局は現状を認める方向で落ち着いた。

  第四部は、女性の職場として図書館が発展したことの影響である。図書館員の給与は低かったので、教育ある男性が参入してこなかった。代わりに、教養がありながら就業機会が限られていた女性たちが図書館職員となった。彼女らはヴィクトリア朝道徳によってしつけられた淑女たちで、保守的であり、前段で示したような教条主義的な図書館の役割観を支持していた。結婚はできなかったし、結婚した者は図書館から離れた。このような献身があったのに女性は館長職から排除されていた。女性が図書館職員の多くを占めたことは、当時の性規範において「女性の仕事」が一段低く見られていたために、専門職としての図書館員の価値を低めた。

  1970年代の図書館史「リヴィジョニズム本」ということでいいのだろうか。簡単にまとめれば、公共図書館は「支配的道徳への利用者の服従」という誤った目的を掲げて発展し、女性労働者を搾取し、現実に復讐されて単なるベストセラー本提供機関になりました、という話だ。おまけに、図書館界の功労者であるデューイはかなり人格的に問題のある人物だよ、とも加える。図書館に肯定的な記述がないわけではないが、申し訳程度の量である。まあ、こういう見方もあるだろう。
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