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150人が集団の適正規模だという主張の起源

2011-06-17 10:41:10 | 読書ノート
ロビン・ダンバー『ことばの起源:猿の毛づくろい、人のゴシップ』松浦俊輔, 服部清美訳, 青土社, 1998.

  人間の言語は猿の毛づくろいの延長で誕生したと訴える書籍。著者は英国で霊長類の行動研究を専門とする学者で、ダニエル・ネトル(参照1/2)の師匠のようだ。すでに高い評価を受けている本書だが、言葉の起源説についての評価よりも、コミュニケーションが円滑に進む組織規模は150人程度であるという主張をおこなった本としての方が著名だろう(その影響が見られるベストセラーとしては1)がある)。

  内容は一般向けではあるが、論証はかなり複雑で分かりやすいとはいえない。一つ目の主張は、霊長類の群れの規模が脳の大きさに比例するということ。他の個体を識別して、群れの中での同盟・敵対関係を把握できる群れの最適規模というのがあるというのだが、それは種の大脳新皮質の大きさに依存するらしい。それが小さければメンバー数の少ない群れを形成する種となり、大きければ大規模な群れを形成できるという。チンパンジーで50個体程度とのこと

  では人間はどこにあてはまるか?その答えが第二の主張で、他の霊長類の群れの規模と大脳新皮質の大きさとの相関から推論すると、人間の場合だいたい150個体前後になるという。これが、狩猟採取生活において、集団のメンバーとそれぞれの間の関係を認知できるぎりぎりの大きさらしい。この規模だと食物を得るために広範囲を移動しなければならないが、これより小規模な場合よりは捕食されたり戦争で敗れる確率が低くなるため安全である。

  三つ目の主張は、霊長類が毛づくろいにかける時間も、集団の規模に依存するということである。霊長類が日常的に行っている毛づくろいは、受けた側に安心感を与えて相互の関係を友好的なものにし、全体として集団内の結束を固めるよう機能しているという。結果として、メンバーの数が多いとその分毛づくろい回数を増加させなければ群れを維持できないということになる。

  四つ目の最後の主張がやっと言語に関連する。それによれば、人類が霊長類の群れの規模以上の集団を形成することができたのは、一対一でしかコミュニケーションできないという不効率性をもつ毛づくろいを採用せず、一度に3個体程度を相手にできる「ことば」を使用したからである。したがって「ことば」の主要の用途は、集団内部における人間関係や感情のゆれを確かめるためであり、ゴシップこそがその本質である。外的世界を認識するための情報伝達のための単なる信号系統ではないのだ、と。

  以上がその内容である。ことばが主にどのような用途で使われてきたかという議論としては納得させるものがあるが、「起源」といわれるとちょっと違うような。これは邦題の問題かもしれない(原題は"Grooming, Gossip, and the Evolution of Language"で「ことばの進化」である)。しかし、情動に訴えるコミュニケーション手段を持つことと、脳や集団の規模とが関係しているというのは興味深い指摘である。絶版のようだが、もったいない内容である。

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1) マルコム・グラッドウェル『ティッピング・ポイント:いかにして「小さな変化」が「大きな変化」を生み出すか』高橋啓訳, 飛鳥新社, 2000.

コメント (1)
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