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迂回の末に常識的な結論に落ち着いたという印象

2011-06-24 08:08:23 | 読書ノート
ジョン・ダンカン『知性誕生:石器から宇宙船までを生み出した驚異のシステムの起源』田淵健太訳, 早川書房, 2011.

  「全般的な頭の良さ」というものがあるかどうかを探った一般向け書籍。著者は英国の脳科学者で、能力の違いに関心を持っていることに対して、友人から「米国中の人がおまえを憎む」ことになるぞと忠告された(p.45)とのこと。しかしながら、本書が性差や人種に言及することはなく(まあ重要でないので当然だが)、政治的に際どい内容というには程遠い。この点で肩すかしを食らった印象である。

  本書のテーマは「いろいろな物事をある程度うまく処理することのできる能力というものはあるのか」と「それは脳生生理学的に裏付けられるのか」ということである。そして、それぞれについて著者はYesと答える。

  え、その発見のどこがすごいの?と問いたくなるだろう。それを理解するためには、この研究の主流の説を知らなければならない。著者によれば、これまでの認知科学では「一般的な問題の処理能力というものは存在せず、さまざまな問題を処理する個別のモジュールがあるだけで、そのことは脳の部位が機能別に分かれていることで証明できる」という考えが支配的だったらしい。すなわち「言語表現に優れていることと、図形を回転させるテストにすぐれていることは、独立しており相互に無関係である。二つともよくできる人がいるのは偶然である」という立場である。

  しかし、著者は20世紀初頭のスピアマン──相関係数で有名な──の研究に立ち戻る。そして、あることを上手くできる人は別のことも上手くできる可能性が高いという関係がしばしば見られるのは、モジュールを統合して効率的に問題に立ち向かう能力があるということを示しているのではないか、という考えに思いあたる。主流の説は「全体的な頭の良さとはすなわち別々のモジュールの処理能力の点数を総合したときの平均点が高いことである」と解釈してきたらしい。著者は、そうではなくて、モジュールを統括する機能が脳のどこかに存在して、その処理能力が高いのだという仮説を立てるのである。

  そこで、脳の障害に関する先行研究を参照し、総合的な問題処理能力を検知できる上手いテストを考えて実験し、脳スキャンをかけてみたところ、どうやら前頭葉がその統合処理機関であるらしいことが明らかになってきたという。したがって、「全般的な頭の良さ」があることは脳科学的にも裏付けられそうだ、というところで終わっている。

  このように、心理学・認知科学分野での能力についてのこれまでの考えを理解しなければ、著者の発見の価値はよくわからない。おそらく専門家ではない一般人ならば、著者と同じように「全般的な頭の良さ」があると漠然と思っていることだろう。この点で「米国中の人に憎まれる」という話は大袈裟に感じられる。もちろん、さまざまな研究の上に築かれた科学者の精緻な議論と、一般人の漠然とした思いこみを一緒にする気は毛頭ない。ただ、そのエピソードから常識を覆す議論が展開されることを読者は身構えるのだが、それほどでなかったということである。もう少し詳しくこの発見の含意について展開する章があれば、その印象は変わったかもしれない。

  ちなみに、音楽は特殊な能力だそうで、「全般的な頭の良さ」とは独立とのこと。音楽の能力はすごいけれども、それ以外の仕事や生活のあらゆる面でダメという人がいるわけである。
コメント
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